あなたは、”あの人”のようにはなりません。
”あの人”は、あなたのようにはなりません。
あなたと”あの人”は、別々の結果を得るでしょう。
それは、それぞれの原因が異なっているからです。
この世界には因果の仕組みが存在しています。
それは、すべての存在の責務なのです。
これを避けることはできません。
すべての存在は、自らの所有する原因によって結果を受けるのです。
原因に関わりの無い結果が導かれることはありません。
どのように望んでもそうはなりません。
誰に祈っても同じことです。
必ず、原因に相応しい結果が導かれるのです。
あなたの原因とは、あなたの心です。
それは、言動にまで至ります。
あなたの顕在(けんざい)と潜在(せんざい)を含めたすべての思考や感情が、あなたの原因となるのです。
あなたの認識は、僅(わず)かな顕在の思考や感情を知っています。
大部分である潜在の思考や感情については知らないのです。
あなたは、自分のことを知りません。
あなたは誰ですか?
あなたは何者なのでしょう?
何のために生まれ、何のために死ぬのですか?
この問いに答えることができますか?
これ等の問いに答えることができなければ、自分のことは知らないのです。
あなたには認識することのできない原因が存在しています。
それを知らないので、自分が”あの人”と同じになると考えるのです。
そして、そのように思い込むのです。
あなたがそのように考え、思い込むのであれば、それは新たな原因となってその通りの結果を導くでしょう。
その時には、あなたは「やはり、同じになった」と言うでしょう。
しかし、あなたは自らの生み出した新たな原因によって”あの人”と同じになっただけであり、本来ならば、そのようになる必要はないのです。
あなたは自分を知っていると思い込んではなりません。
残念ながら、あなたは自分のことを知りません。
あなたが自分を”思い出した”時には、”あの人”のようになることなどないということを知るでしょう。
あなたは”あの人”について、自分のことのように心配してはなりません。
”あの人”について、自分のことのように不安を抱えてはならないのです。
あなたは、自分と”あの人”を混同して考えているのです。
”あの人”の問題(因果)を、いつの間にかに自分のものとして考えているのです。
人生はそれぞれのものです。
あなたは”あの人”ではないのです。
そのため、”あの人”と同じように振る舞わない限りは、そのようにはならないのです。
”あの人”のようになろうとしてもなれないのです。
すべては原因に起源するのです。
それ以外はありません。
「自分が”あの人”のようになったらどうしよう」
「あなたは私のようになってはいけない」
このような議論は、空論に過ぎないということを覚えておかなければなりません。
あなたは決して、”あの人”のようにはなりません。
”あの人”は決して、あなたのようにはならないのです。
余計な心配や不安を抱えてはなりません。
あなたには、人生の目的があるのです。
心配や不安によって立ち止まってはなりません。
思うように生きれば良いのです。
これは、あなたの人生なのです。
”あの人”のように生きる意味などないのです。
本当に手本が必要でしょうか?
熟考する必要があるでしょう。
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