すべての存在は、”神”の作物です。
あなたを含めたすべての存在は、”神”の畑である地上に蒔(ま)かれたのです。
”神”は地上に蒔いた種を大切に思っています。
一粒の種も忘れることはありません。
すべての種の世話をするのです。
しかしならが、種にはそのことが分かりません。
種は自分が種であるということすら知らないからです。
種であるあなたは、大地に蒔かれました。
蒔かれた種は、その種類に合わせて育まれます。
ある種は土の上に蒔かれます。
ある種は土の上に蒔かれた後に土を被(かぶ)せられます。
ある種は浅く掘られた穴に蒔かれ、土を被せられます。
ある種は深く掘られた穴に蒔かれるのです。
種によって、育て方は違います。
しかし、それは種の特性によるのです。
その種に相応しい状態を与えられるのです。
それは、種が無事に成長するためです。
しかし、種にはそのことが分かりません。
地上に蒔かれた一粒の種も、主である”神”の意思を理解しないのです。
土の上に蒔かれた種は、土の上に蒔かれたことに不安を覚えます。
土の上に蒔かれた後に土を被せられた種は、そのことに文句を吐きます。
浅く掘られた穴に蒔かれた種は、浅い穴に満足することができません。
深く掘られた穴に蒔かれた種は、絶望を覚えるのです。
すべての種が、否定的な態度をとります。
自分自身に与えられた境遇を受け入れることができないのです。
種が適切な境遇を知っているのでしょうか?
発芽率は、境遇に比例するのです。
主である”神”はそのことを知っているのです。
その種に最適な境遇を与えるのです。
それぞれに良いところと悪いところがあります。
しかし、それが最善です。
他の種と境遇を比較することは意味を成しません。
なぜなら、それぞれが違う種類の種だからです。
少ない水で育つ種もあれば、多くの水を必要とする種もあります。
多くの土が必要な種もあれば、少ない土で育つ種もあるのです。
それぞれが、与えられた境遇に最善を尽くせば、発芽(覚醒)が促(うなが)されるのです。
発芽しなければ、幹も枝葉もありません。
幹や枝葉がなければ、花や果実もないのです。
人生には(あなたにとって)辛いことが多くあるでしょう。
しかし、泣き言を用いてはなりません。
深く掘られた穴に蒔かれた種ならば、土の重さや地上までの距離などの抵抗を糧(かて)にして力強く生きれば良いのです。
それは、地上に出た時に力となるからです。
希望の光が見えなくても、決して諦めてはなりません。
少しずつでも根を伸ばし、土を押し退けて進むのです。
そうすれば、地下から地上へと新芽を伸ばすことができるのです。
あなたは自分が”神”の作物であるということを忘れてはなりません。
あなたには最善の境遇が与えられています。
しかし、そのことを理解することができる種はありません。
そのことも理解しておきましょう。
種の立場と、農夫の立場では、見える景色が違います。
種にとっての大事も、農夫にとっては無事(小事)であるのです。
あなたは与えられた境遇を愛しましょう。
しかし、誤解してはなりません。
甘んじてはならないのです。
我慢して種のままで過ごせとは言っていません。
発芽して地上に出なければなりません。
その時になって初めて、種は自らの境遇に感謝することができるでしょう。
そして、自分を蒔いたのが”神”であるということを知るのです。
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