人生とは道です。
	人はそれを歩んでいるのです。
	道の先には目的地が存在し、すべての人はそこへ到達します。
	すべての人が目的地へと向かって歩みを進めるのです。
	すべての人が目的地を持ちます。
	それは、現在の方向性によって決まります。
	それは、初めから決められた道ではありません。
	あなたは、それを自らの意思によって決めるのです。
	信仰が方向性を決定します。
	人は、信じるところに従って行うのです。
	すべての人が信仰を持ちます。
	無神論者であれば、無神論という信仰を持つのです。
	人の数だけ信仰があるということを覚えておきましょう。
	信仰によって方向性が決まり、それによって目的地が決まるのです。
	そのため、信仰というものは人生を左右するということを理解しなければなりません。
	しかし、多くの人は信仰に無頓着(むとんちゃく)です。
	多くの人は、自分自身の信仰の傾向や対象を知らずに生きているのです。
	そのため、目の前には思いも寄らない状況が導かれます。
	この世界には因果の仕組みが存在しているために、すべての状況は当然の結果なのですが、信仰を知らないためにその結果に驚くのです。
	自らの信仰を知っているのであれば、状況に驚くことはないのです。
	それは当然の結果として受け入れることが許され、状況をコントロールすることが可能になるのです。
	原因を理解することは、結果を理解することだからです。
	あなたが満足する結果を求めているのならば、原因を大切にする必要があります。
	原因を大切にしない者が、満足を得ることはできないのです。
	人生の原因とは、あなたの信仰です。
	あなたは信仰によって人生を築いているのです。
	そのため、常に信仰に対して審査し続ける必要があるのです。
	知識と経験の量に伴って知恵は増します。
	知恵の高まりによって、信仰の形態も変化します。
	幼い頃の信仰と、歳を重ねてからの信仰には違いがあるのです。
	そのため、信仰の形態は常に古いものとなります。
	知恵は毎日増していきます。
	どのような者であっても、生きているだけで知恵は増すのです。
	そのため、毎日信仰は変わっているのです。
	しかし、多くの人はそのようには認識しません。
	そのため、多くの人は古い形態の信仰をいつまでも守り続けているのです。
	歳を重ねても、考え方や生き方が変わらない者がいます。
	そのような人の信仰には違いがないのです。
	古い信仰はあなたの可能性を阻(はば)みます。
	古い情報が何の役に立つというのでしょうか?
	古い信仰はあなたに満足を導きません。
	それが示す目的地には満足することができないでしょう。
	あなたは毎日、信仰の形態を審査しましょう。
	それは、本当に信仰すべきものでしょうか?
	何よりも優先すべきものなのでしょうか?
	その信仰が示す目的地はどのような場所でしょうか?
	あなたは常に考え続けなければなりません。
	あなたが自分自身によって、どのような場所に向かうのかを決めるのです。
	それは守る価値のあるものですか?
	惰性(だせい)に従ってはなりません。
	あなたにとっての最善を選択するのです。
	他人と同じである必要はありません。
	人生とは、それぞれの道なのです。
	それぞれが満足する道を行くことが求められるのです。
	あなたは信仰を顧(かえり)みましょう。
	同じことを続けていてはなりません。
	時間は素早く過ぎていきます。
	後になって悔やんでも遅いのです。
	毎日、信仰を見直しましょう。
	
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