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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2016年1月26日火曜日

多くの人は、立場に捕らわれています。
多くの人が、自分の立場にこだわっているのです。
多くの人は立場にこだわるあまり、立場としての視点に集中します。
その結果、立場にこだわった限定的な視点に固執(こしゅう)し、立場を離れた視点(客観視、相対的視点)を失ってしまうのです。
人の世には、善悪というものが存在しています。
それは、対立する立場を現します。
善悪とは立場によって入れ替わり、定まったものではないのです。
絶対の善もなければ、絶対の悪も存在しません。
それは、立場によって善であり、立場によって悪となるからです。
善悪というものは、実質の存在しない幻想であると理解しましょう。
しかし、多くの人はそれを確実なものとして解釈しています。
自分の立場から生じる視点は善であり、それ以外の立場から生じる視点は悪であると考えるのです。
(反対の場合もある)
そこには”無駄”な争いが生じます。
多くの人は、幻想に対して争っているのです。
何のために争っているか?も分からない人たちの争いには決着がつきません。
何のために争っているか?すら知らないのです。
何が決着であるのか?ということも知りようがないのです。
そのため、人は常に争いの中に生きなければならないのです。
あなたは争いの中に生きたいと思いますか?
そこに幸福が実現すると思いますか?
純粋に考えてください。
歪んだ習慣は正さなければなりません。
しかし、争うことが悪い訳ではないということも理解しなければなりません。
矛盾しているように思うかも知れません。
しかし、すべての立場は幻想であるのです。
争うことによって消耗し、争うことに飽きれば、争い以外の選択肢を探すでしょう。
その時には、自分や相手が立場にこだわっていたということを悟るのです。
それは、結果として、歪んだ習慣を正すことにもなるのです。
人の世では、立場を強制されます。
すべての人は立場に属さなければなりません。
しかし、立場に支配されない思想を確立することはできるのです。
それは、自由な発想によってもたらされます。
自由な発想とは、立場に捕らわれない柔軟な発想のことです。
多く人は立場にこだわった発想を頼ります。
例えば、男は男の立場でものを言い、女は女の立場でものを言うのです。
そのため、いつの世も両者は相容れないのです。
男が女の立場を察し、女が男の立場を察すれば、そこに争いが生じることはないのです。
争いとは、互いが自分の立場を主張し、相手の立場を否定することによって生まれるのです。
残念ながら、多くの人は立場を離れることはできません。
多くの人は善悪を絶対のものとして信じているからです。
そのため、人の世で生きるためには、立場を前提とした生き方をしなければならないのです。
本来ならば、立場を離れることが理想ですが、あなたは相手の立場を考慮することに努めましょう。
互いの立場を尊重することによって、ほとんどの争いは生じることがないのです。
それだけでも大きな前進です。
あなたが好きにしたいように、相手も好きにしたいのです。
しかし、立場がそれを拒むのです。
あなたは相手の主張を聞かなければなりません。
頭ごなしに断定してはならないのです。
人の世では”口”が強過ぎるのです。
それは、その心が満たされていないためです。
理想は”耳”が強くなることです。
互いが相手の主張を聞く耳を持てば、立場という幻想は崩れ、友となるのです。
この世界に存在するすべては友であるのです。
善悪で分けられるものではありません。
友を大切にしましょう。
善悪を超えた価値観によって生きることは素敵です。

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