あなたは真実を求めなければなりません。
	真実を求めなければ、満足のいく選択をすることはできないでしょう。
	満足のいく選択をすることができなければ、満足のいく人生を得ることはできないのです。
	選択は、信仰によって導かれます。
	どのような人も、その信仰に従って選択するからです。
	あなたは、自分が信じていることを行います。
	そして、信じていないことを行いはしないのです。
	信じていることというのは、あなたにとっての真実です。
	真実とは、決して一つのものではありません。
	真実とは、人それぞれに存在しているのです。
	それは、立場によって変わります。
	どのような立場の人にとっても、その立場に正しければどのようなことも真実となるのです。
	あなたの信じていることはあなたの真実となり、他者の信じていることは他者の真実となるのです。
	あなたはこのことを覚えていなければなりません。
	真実と事実は別のものなのです。
	そのため、あなたは常に真実を求めなければならないのです。
	自らの立場にとっての真実とは何か?ということを追求し続ける必要があるということを覚えておきましょう。
	知性によって真実は変わります。
	同じような立場の人であっても、知性の差によって真実は別のものになるのです。
	知性とは、知恵を導く力です。
	それは、知識と経験による力なのです。
	真実を求めるということは、知識と経験によって知性を求めるということなのです。
	知識と経験を求めることがなければ、その結果である知性を得ることはできません。
	知性に乏しければ、未熟な見解と歪んだ視界を得ることになるでしょう。
	それは誤解を生むのです。
	誤解によって満足を得ることはできません。
	自己満足は得られるでしょうが、それも一時のことなのです。
	多くの人は”深い”真実を求めようとはしません。
	多くの人にとって、知識と経験を求めることは困難なのです。
	それは、知識と経験を求めるよりも、快楽に溺れる方が楽であるからです。
	人は堕落しています。
	そこには怠慢(たいまん)と傲慢(ごうまん)が蔓延(まんえん)しています。
	知識と経験を得るためには勇気を以て努力することや、習慣を捨てる必要がありますが、それができないのです。
	慣れ親しんだ習慣の中には安楽があると信じているのです。
	しかし、習慣を継続するだけであれば、やがて可能性は途絶えてしまいます。
	同じことを続けていくことに、何の可能性があるのでしょうか?
	そこには衰退と苦悩が待ち受けているのです。
	そのため、人が人生に対して満足を求める時には、勇気を以て努力すること、習慣を捨てることが求められるのです。
	あなたは努力すること、習慣を捨てることができるでしょうか?
	戯(たわむ)れに”捨てていた”時間を、知識や経験を得る有意義な時間に変えることができるでしょうか?
	何事も、同じように続けていてはなりません。
	どのようなことも、必ず向上を以て続けるのです。
	向上しないものに未来はありません。
	真実が変わらないのであれば、あなたに未来はないのです。
	これは仕方のないことです。
	あなたの信仰の対象である真実は、それ以上のものにはならないのでしょうか?
	同じ対象に対しても、子どもと大人では違う真実を得ることになります。
	(優劣の話ではありません)
	それは、立場によって視界(視点)が違うからです。
	子どもと大人では、真実は違います。
	あなたの知性の状態によって、真実は違うものとなるのです。
	知識と経験を求めなければなりません。
	あなたは決して怠慢や傲慢に過ごしてはなりません。
	時間を無駄にしてはならないのです。
	いつでも、満足のいく選択ができるようにしておきましょう。
	
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