この世界には、陰陽の仕組みが存在しています。
	一切の存在は、陰陽の対極性を所有しています。
	どのようなものに対しても、陰陽の二つの側面が存在しているのです。
	例えば、正義というものは、立場によって悪ともなるのです。
	正義とは、善悪の対極性を所有しているものであるのです。
	陰陽のどちらか一つの性質だけを所有しているものは存在しません。
	どのようなものも必ず、陰陽の二つの性質を所有しているということを覚えておきましょう。
	人は、立場によって陰陽を隔(へだ)てます。
	立場によってそれの陰の部分を強調したり、陽の部分を強調するのです。
	陰陽が切り離されることはありませんが、どちらかを強調することによって、強調されない方は隠れてしまうのです。
	多くの場合、立場を重んじる人は自己を正当化します。
	意識的にも、無意識的にもそのように振る舞います。
	自己を正当化することによって、強調する部分のみが明白となり、強調されない部分は不明となるのです。
	人は、立場によって陰陽を明白と不明に隔て、多くの誤解を所有します。
	それは、混乱を導き、動揺した心は真理から離れます。
	真理から離れた心は苦悩に行き着くのです。
	あなたが行わなければならないのは、立場に固執(こしゅう)しないことです。
	陰と陽に隔ててはならないのです。
	一切の存在は、陰陽のどちらをも所有しているのが自然なのです。
	それを隔てるのであれば、不自然が生じることになります。
	不自然によって、心が喜ぶことはありません。
	陰陽を隔てるという不自然を導いては、あなたが喜びを得ることはできないのです。
	あなたは立場を離れなければなりません。
	立場を離れ、陰陽の両側面を受け入れなければならないのです。
	多くの人は、自分自身に都合の良いように解釈しています。
	認識において、自分にとって都合の良いものは存在し、都合の悪いものは存在しないのです。
	(ここで言う”都合の良い”とは、思考の傾向にとって都合の良い状態です)
	例えば、ネガティブな状態の人にとっては、苦しみが都合の良い状態です。
	ネガティブな思考の状態の人にとっては、苦しみが都合の良い状態であるため、その部分を強調します。
	それによって、何に付けても”苦しい”と吐き続けるのです。
	苦しみという状態が存在するのであれば、その対極に存在する喜びという状態も同時に存在しているはずです。
	しかし、ネガティブな思考という立場に捉われているために、苦しみという状態に固執するのです。
	ネガティブな思考の状態の人にとっては、苦しみは現実的です。
	その苦しみはその人を追い込み、”神”に見放されたような気分になり、やがては絶望に辿り着きます。
	しかしながら、それは真実なのでしょうか?
	苦しみが現実的であり、喜びは非現実的なのでしょうか?
	ネガティブな思考の状態の者にとってはそうでしょうが、ポジティブな思考の状態の者にとってもそうでしょうか?
	あなたがネガティブな思考の状態の時と、ポジティブな思考の状態の時では、同じ結果を導くでしょうか?
	結局は、あなたの立場が陰陽のどちらかに傾いているだけなのです。
	ただ、それだけです。
	ネガティブな思考の状態の時も、ポジティブな思考の状態の時であっても、苦楽は共に現実的(もしくは非現実的)であるのです。
	片方しか見えていないだけなのです。
	今は苦しいかも知れませんが、後には喜んでいます。
	今は喜んでいるかも知れませんが、後には苦しんでいるのです。
	すべては現実であり、幻想です。
	この世界には、陰陽の仕組みが存在しています。
	例外は存在しません。
	これは、すべての存在に与えられた理(ことわり)であるのです。
	すべてを創造した”神”は、すべての存在に陰陽を施(ほどこ)しました。
	”神”でさえ、陰陽の性質を所有しているのです。
	どちらか一方だけが導かれるということは有り得ないのです。
	あなたが苦しみを見ている時には、喜びを探さなければなりません。
	あなたが喜びを見ている時には、苦しみを探しましょう。
	どちらをも大切にしなければなりません。
	都合の良いように解釈してはなりません。
	それは、あなたに歪みを導きます。
	どちらかに偏ってはなりません。
	
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