あなたには戒(いまし)めが必要です。
なぜなら、罪が何であるのかを知らないからです。
罪を知らなければ、それを犯すことになるでしょう。
罪を犯せば、因果の仕組みによって罰が与えられます。
それは、あなたにとっての最善の苦しみとなるでしょう。
人は無知を所有しています。
そのため、罪を犯すのは自然の成り行きです。
人は、罪を犯し、その罰を受けることによって知恵を得るのです。
知恵は戒めとなるのです。
人の内に知恵がある時には、その戒めによって人が苦しむことはありません。
しかし、時間の経過と共に、人の内からは知恵が去ってしまうのです。
多くの人は、罰によって得た知恵を忘れてしまいます。
それは、人が慢心を得るからです。
知恵は、慢心と共に消え去るのです。
人の内に知恵がある時には、その戒めに従って罪を避けます。
しかし、それもいつかは習慣となるのです。
その結果として、人は罪を忘れてしまうのです。
そして、同じ罪を繰り返すことになるのです。
できないことは、もう一度体験しなければなりません。
それは、できるようになるためです。
過ちを繰り返すことは、人生の目的ではありません。
あなたの人生の目的は成長にあるのです。
自らの過ちを正し、より高貴な人物になることを目的としているのです。
戒めを忘れ、罪を犯すことによって苦しんでいる者が尊(とうと)ばれるでしょうか?
あなたは、そのような人を尊敬するでしょうか?
戒めを守り、克己(こっき)に励む人を尊敬の対象とするでしょう。
罰は人を焼きます。
それは、炎であるのです。
小さな罪は小さな罰を導きます。
大きな罪は、それに見合う大きな罰を与えるでしょう。
罪に相応しい罰が与えられますが、それは、炎の大きさを現しているのです。
罰は炎であるということを覚えておきましょう。
しかし、それは肉体を焼く炎ではありません。
それは、霊体(意識、精神、心、魂)を焼くのです。
指先ほどの小さな炎であっても、あなたには耐えることができません。
小さな炎でも肌に触れるのであれば、あなたは泣き叫んで許しを請(こ)うでしょう。
あなたは、小さな炎にも耐えることができないのです。
罪はあなたを焼きます。
あなたはそれに耐えることができません。
しかし、この世界においては、あなたの状態は肉体に傾いています。
そのため、炎が霊体を焼いても、それに気が付くことは簡単ではないのです。
多くの人が自らの罪の炎に焼かれていますが、そのことには気が付かないでいるのです。
罪とは、愛に反する行為です。
冷酷さには注意する必要があるでしょう。
自分勝手に行ってはなりません。
それは、相手を傷付けるでしょう。
愛の不足によって、人(や、すべての存在)は傷付くのです。
それは、あなたに罰を導きます。
愛を軽んじてはなりません。
愛こそが戒めです。
愛を忘れる者は苦しむのです。
小さな炎も侮(あなど)ってはなりません。
それは、あなたを焼くに十分であるからです。
愛の戒めを忘れないように、克己に励みましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿