人生とは、それぞれのものです。
すべての人がそれぞれの人生を生きています。
それは、それぞれに目的が違うためです。
すべての人の目的が、別々の異なる形をしているのです。
同じ目的のために生まれ、同じ目的のために生きている人はいないのです。
それぞれが別々の目的のために生まれ、別々の目的のために生きているのです。
あなたはそのことを理解しなければならないでしょう。
多くの人は理解を求めています。
それは、満たされていないためです。
満たされていない人は、他人に理解を求めます。
それは、自分自身と他人との混同を生み出します。
満たされていない人は、他人に自分自身を投影します。
そして、他人を自分自身として扱うのです。
他人を自分自身として扱うというのは、相手が自分を受け入れてくれること、理解してくれることを前提とする考えです。
満たされていない人は多くの場合、相手が自分のことを受け入れ、理解してくれることが当然だと考えます。
そして、自分の意思に反する態度や状況に対して怒りを覚えるのです。
満たされていないために、余裕がないのです。
満たされていないために、欲するのです。
満たされていない人は、欲することを当然のこととします。
満たされていない人は、与えられるのを当然とします。
満たされていない人の頭の中には、(多くの場合)与えるという選択肢はありません。
不足しているために、満たそうとする考えが(無意識的にも)強過ぎるのです。
そのため、相手の気持ちや立場を考えることができません。
そして、自分の主張を押し通そうと意地を張るのです。
人生を考察すれば、目的がそれぞれに違うということを理解することができます。
「すべては一つ」に違いありませんが、それは根本が一つであって、それぞれは樹木の枝のように分かれているのです。
枝はそれぞれに分かれています。
しかし、同じ樹木から生じるのです。
それぞれの枝がそれぞれの枝葉を所有しています。
同じ形の枝葉ありません。
それぞれが環境に合わせて発展するのです。
同じ環境にある人はありません。
同じ家庭に育ったとしても、それぞれの環境は確実に異なるのです。
異なる環境を得るのは、目的が異なるためです。
それぞれの目的に沿った環境が与えられるからです。
そのため、混同して考えるのは無意味です。
無意味どころか、問題を導くでしょう。
枝が環境に対して最善を尽くすように、人も環境に対して最善を尽くす必要があります。
他人と同じように行っていてはなりません。
光が当たらなければ、長く伸びなければなりません。
多くの光が当たるのであれば、広く伸びるのです。
環境に対して柔軟に対応することができなければ、枝は枯れ落ちてしまうでしょう。
あなたは他人と自分を混同してはなりません。
他人を自分のようにする必要はありません。
また、自分を他人のようにする必要もないのです。
あなたは”あなた”であれば良いのです。
”あなた”でなければならないのです。
あなたの目的は、あなたの役割です。
あなた以外にこの役割を果たすことができる他人がいるでしょうか?
残念ながら、本当の意味であなたの代わりになる他人など存在しないのです。
胎(たい)を痛めて産んだ子の母親が、他にいるでしょうか?
厳しくも労り、子の成長を諦めない父親が他にいるでしょうか?
あなたには、”あなた”でなければならない理由があるのです。
人生はそれぞれのものです。
あなたは自分と他人を混同してはなりません。
それぞれが、それぞれの生き方をすれば良いのです。
人生は、その目的に対して自由なのです。
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