すべての表には裏が存在しています。
すべては陰陽の仕組みの中に存在しているのです。
必ず、対極が存在するのです。
多くの人は独自の視点を重要視します。
独自の視点を重要視することは良いことではありますが、弊害(へいがい)となることもあります。
それは、独自の視点を重要視するあまり、それに執着してしまうということです。
物事には必ず陰陽の仕組みが働いているために、一方的な見方によって足りるということはありません。
一方の見方があれば、もう一方の見方が存在するのが自然なのです。
最低、二つの視点を同時に所有しておかなければ、本質を見極めることはできないのです。
あなたは簡単に本質を見極められると思い込んではなりません。
本質は常に深くに潜み、明るみに出ることはありません。
その本質が愛によるものであったとしても、それが簡単に明るみに出るということはないのです。
あなたが愛を明るみに出す時、それは”安っぽい”ものとなってしまうでしょう。
本質が隠れているために重厚となりますが、本質が現れているのであれば、そのようにはならないのです。
裏がなければ表はありません。
あなたが誰かの問題点を指摘しなければならない時、どのように伝えますか?
あなたが愛によってそれを伝えようとするのであれば、指摘の裏には愛を忍ばせるでしょう。
愛の裏に指摘を忍ばせることなどないはずです。
あなたは表裏を読み取らなければならないのです。
物事には必ず表裏が存在しています。
表だけを見て裏を見ないのは正しくありません。
裏だけを見て表を見ないのも同じです。
あなたは表裏を同時に見なければならないのです。
一方的な視点に偏っていれば、決してその本質を見極めることはできません。
本質を見極めることができないということは、偏見を所有するということです。
偏見を所有すれば、人は誤解を導くのです。
誤解によって豊かさが導かれるということはありません。
誤解によっては、苦悩が導かれるだけなのです。
自然界では、生存をかけた生命活動が繰り広げられています。
そこには、表裏が存在しているのです。
表では相手を騙し、裏では相手を仕留めるのです。
人が魚を釣り上げる時には、餌に釣り針を仕込むのです。
裏を読み取ることをしなければ、自然界においては、すぐさま捕らえられてしまうのです。
それは、大切なものを失うということになるのです。
人生に幸福を求めている者は少なくありません。
しかし、表裏を読み解こうとする者は少ないのです。
多くの人が見た通り、聞いた通り、教えられた通りに生きています。
それが幸福を導くのでしょうか?
表だけを見て選択するのであれば、餌に釣られる愚かな魚と変わりはしないのです。
簡単に食い付いてはならないのです。
”良い話”に踊らされてはなりません。
そこには必ず裏があります。
”悪い話”に踊らされてはなりません。
そこにも必ず裏があるのです。
何事においても(先ずは)疑うことです。
情報は精査する必要があります。
簡単に信用してはなりません。
もしも、他人が争っている時には、最低でも両者の意見を聞くようにしましょう。
一方的に決め付けてはならないのです。
そのような方法では、決して問題は解決しないからです。
(主観的に)良いことにも、悪いことにも必ず裏を見ましょう。
自分が正しいと誰が決めたのですか?
勝手に思い込んではなりません。
裏の重要性を忘れてはなりません。
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