人生は、自分自身の選択によって展開します。
どのような状況を得たとしても、それはあなたの選択の結果です。
人生がどのようなものになるかは、あなた次第であるのです。
選択の基準は考え方にあります。
人は、どのように考えているか?によって、どのように選択するか?を決めているのです。
しかし、多くの人は、自らの考え方と受け取る状況との間に関連性を理解しません。
受け取る状況と自分自身の考え方とは、関係しないと思っているのです。
そのため、何かの問題が生じた時には、誰かや何かにその責任を転嫁(てんか)するのです。
あなたにも思い当たるところがあるでしょう。
多くの人は、考え方と状況が強固に結び付いているということを知らないのです。
目の前の状況が自らの考え方から生じていると想像する人は多くはありません。
それは、自己正当化と理想主義が導く弊害(へいがい)です。
多くの人は、自分には非がないと思いたいのです。
多くの人は、自分が悪者にはなりたくないのです。
しかし、自己正当化と理想主義は、その責任と原因を曖昧(あいまい)にします。
それは悲劇の始まりであり、苦悩への序曲(じょきょく)なのです。
自己正当化と理想主義を支持している間は、苦悩を逃れることができないということを理解する必要があるでしょう。
自己正当化と理想主義は何によってもたらされるのでしょう?
その原因を理解しなければ、それ等への支持を取り下げることはできません。
あなたが自己を正当化し、理想主義に逃げ込む時には、どのような心理的働きがあるでしょうか?
そこには、利己的な考えがあるはずです。
自分が優位な立場を得たい。
悪者にはなりたくない。
自分は悪くない。
責任を取りたくない。
責められたくない。
相手が悪い。
世の中が悪い・・・
このように、利己的な考えを巡らせる時には、人は自己を正当化し、理想主義を確立するのです。
利己主義は欲望に根差しています。
欲深い人は苦悩を得るでしょう。
欲深い人が幸福を得ることはできません。
なぜなら、それは見当違いであるからです。
利己主義が正しいのであれば、あなたは奪い合いの世界を生きなければなりません。
利己主義がもたらすのは、争いであるからです。
互いが自分の利益のために行えば、争いが生じることなど簡単に想像することができるでしょう。
利己主義が幸福をもたらすことなどないのです。
見当違いをしてはなりません。
すべての人は欲していますが、多くの人は与えられる人生を期待しています。
与えられるということは、物乞(ものご)いです。
それは、利己主義であり、欲望から生じるのです。
乞食(こじき)の考え方は、与えられることを欲しています。
先述したように、利己主義は苦悩を導きます。
そのため、与えられることを欲している限りは、幸福を得ることはできないのです。
与えられることにどれだけ努めても、乞食は乞食に他なりません。
与えられることを欲してるために、乞食という状態を結果として受けるのです。
人生は考え方によって大きく変わります。
あなたが重要視しなければならないのは、考え方なのです。
どのような考え方によって生きるのか?ということ以上に重要なことがあるでしょうか?
人は、考え方によって乞食にもなり、与える人にもなるのです。
あなたが与えられることによって幸福を目指しているのであれば、そのような考え方は見当違いであるということを覚えておきましょう。
人は、与えることによってのみ幸福を得られるのです。
そして、与える人は豊かさを得るのです。
豊かな乞食を知っていますか?
豊かな与える人ならば、あなたも知っているでしょう?
考え方を大切にしなければなりません。
与えられることを欲してはなりません。
豊かな心によって、与える人を目指しましょう。
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