人は、自分以外の存在を助けなければなりません。
	人生の目的である成長(特に霊的、人格的)を実現するためには、自分以外の存在を助ける必要があるのです。
	利己主義と成長は反比例します。
	自分勝手に行う者が成長を実現することはないのです。
	自分勝手に行う程に、人は成長から遠ざかるのです。
	成長とは、自分よりも困っている存在に手を差し伸べることによって実現するのです。
	そのため、あなたが真の幸福を得るためには、自分以外に施(ほどこ)す必要があるのです。
	困っている存在に恵み与えることによって、あなたは至高の宝を得ることができるのです。
	それは、成長のために必要な”材料”であって、それは他者を助けることでのみ受けることができます。
	自分勝手に行う者には手にすることができない代物(しろもの)なのです。
	どれだけの金銭、地位、名声、”奴隷”を得たとしても、成長することはできません。
	成長のために必要な”材料”がなければ、成長は実現しないのです。
	あなたは、自分よりも困っている存在に対して、恵み与えるようにしましょう。
	しかし、それは、あなたの所有の中から与えなければなりません。
	誰かの所有を自分の所有と偽って与えても、成長のための”材料”が得られることはないのです。
	多くの人は、自分の所有を損なうことを恐れます。
	成長を得ないために、欲深くなるのです。
	純粋な子どもは、少ない所有の中から最大限に与えます。
	歪んだ大人は、多くの所有の中から最小限も与えません。
	どちらが成長を得ているかは、一目瞭然(いちもくりょうぜん)であるのです。
	人は、世の中に熱中することによって、純粋さを失いました。
	大抵の大人は盲目(もうもく)なのです。
	その瞼(まぶた)は重く閉ざされ、その瞳は光を見ることはありません。
	そのため、自分勝手には行えど、困っている存在に対して恵み与えることをしないのです。
	多くの人が自分の所有を手放しません。
	そして、自分を知らないのです。
	人は恵み与えることで人生の目的を果たします。
	しかし、それを拒否するのであれば、人生の目的を知らないということなのです。
	多くの人が自分を知らないのは、”虎の威を借る狐”であるからです。
	それは、他人の力(所有)を自分の力(所有)だと思い込んでいる人のことです。
	例えば、多くの人はそれが親の力であるにも関わらず、それを自分の力であると思い込んでいます。
	会社の力、仲間の力、”神”の力であるにも関わらず、それを自分の手柄としているのです。
	そのような者には知恵がありません。
	他人の所有を恵み与えてもらうことはしても、自分の所有を恵み与えることはしないのです。
	愚かな者は、自らのために蓄えます。
	賢い者は、他者のために蓄えるのです。
	多くの人が自分が”狐”であるということを知りません。
	多くの人は、自分が”虎”であると思い込んでいるのです。
	多くのことを豪語(ごうご)しますが、独りでは何もできないのです。
	他者の所有を頼る者には、実質(実力)がないのです。
	そのような者は、何をしても悉(ことごと)く苦悩に繋がるでしょう。
	少ない所有であっても、その中から恵み与えることに意味(価値)があるのです。
	他者の所有の中から、どれだけを恵み与えようとも、何の意味もないのです。
	それは、与える者も与えられる者も、共に苦悩を得ることになるからです。
	今の自分の実力では成し得ないことは、成し得なくても良いのです。
	下らない見栄を張り、虚しい誉(ほま)れを受けようと必死に努めても、受けることができるのは苦悩だけなのです。
	あなたは他者の所有を頼ってはなりません。
	他者の所有から盗んではいけません。
	力の及ばないことは諦めましょう。
	無理に事を運んでも、実力不足のあなたには実現することができないのです。
	あなたは、実力に従って自分以外の存在に施しましょう。
	他者の所有に迷惑を掛けてはなりません。
	他者の所有から恵み与える者は、愚(ぐ)の骨頂(こっちょう)そのものであるのです。
	知らないところで嘲笑(ちょうしょう)され、誹(そし)りを受けることはあっても、尊敬されることはありません。
	知らないのは、本人だけであるのです。
	自分のできることに専念しましょう。
	
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