人は額に汗して働かなければなりません。
労働とは、尊(とうと)い宝です。
それは、人を喜ばせます。
労働という宝無くして、人が喜ぶことはないのです。
すべての人が尊い宝を得るために、額に汗して働かなければなりません。
しかし、多くの人はそのことを忘れています。
労働が尊いものであるということを忘れているのです。
多くの人にとって、労働は悪となってしまったのです。
それは、自らに相応しい労働を得ていないからです。
多くの人の労働の動機は不純です。
あなたは何のために働きますか?
何のために働いているのでしょうか?
多くの人は生活のため、お金のため、贅沢のため、安心のため、地位のため、名声のため、有利な立場のため、異性を得るため・・・
多くの人はこのような動機のために働きます。
しかし、それは欲望に根差した動機であり、労働を悪たらしめるには十分なのです。
動機が不純であれば、受け取る結果も不純なものとなります。
そのため、多くの人は労働を嫌うのです。
多くの人は労働が尊いものであるということを知りません。
欲望を満たすために、”嫌な”労働を我慢して続けているのです。
そして、多くの人はそれに耐えられません。
そのため、浅知恵を使って楽な方法を探すのです。
浅知恵によって得た楽な労働は、人の額に汗を導きません。
額に汗して働かない者(不正を働く者)には、労働の喜びはありません。
そのため、労働の動機も益々歪んでしまうのです。
労働を嫌う者は、自らの働きよりも多くの報酬を求めます。
それは、盗人と同じです。
楽を求める者は、認められていないものを取ります。
与えられていないものを貪(むさぼ)るのです。
それは、因果の仕組みによって、大きな損失を導く結果となります。
認められていないもの、与えられていないものを欲する者は、自ら多くの破滅的な代償を手にするのです。
因果の仕組みは、その者の労働に相応しい報酬を支払います。
報酬は労働の代価であり、それ以外ではありません。
あなたの働きは”神”(真理)によって計られるのです。
その秤(はかり)は正確です。
そこに間違いはありません。
あなたの労働は、”神”によって完璧に計られているのです。
あなたの受ける状況が、その答えなのです。
しかし、目の前の状況がすべてではありません。
”神”による代価がいつ支払われるかは、誰も知らないのです。
認められていないもの、与えられていないものを取る者は聞かなければなりません。
そのような者は必ず苦悩を受けることになります。
額に汗して働かない者は聞きなさい。
あなたは乏しくなります。
あなたの喉(のど)が乾く時、一滴の水も与えられません。
それは、今までに認められていないもの、与えられていないものを散々貪ったからです。
認められていないもの、与えられていないものを得ることは借り入れることなのです。
借り入れたものには、利子(りし)が発生します。
あなたは、借り入れたものに相応しい利子を支払わなければなりません。
借り入れる程に、あなたは多く支払う必要があるのです。
楽を欲する者は多くを借り入れなければなりません。
それは、怠け者であるからです。
怠け者の畑には、作物は実りません。
それは、怠けているからです。
楽をして多くを得ようと考える怠け者には、それに相応しい報いがあるのです。
それは”神”の決定です。
逃れることはできません。
あなたは額に汗して働かなければなりません。
甘えてはなりません。
懸命に働き、認められたもの、与えられたものがどのようなものであろうとも、それを喜びましょう。
それ以外は決して、あなたのものではないのです。
自惚れてはなりません。
思慮深く、懸命に生きましょう。
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