すべての人は幸福を目指しています。
	幸福とは、それぞれの形であり、他人の幸福を他人に当てはめることはできません。
	人は、それぞれの幸福の形を目指す必要があるのです。
	幸福の形はそれぞれに違えど、それに相応しい自分というものは同じです。
	どのような道においても、その道に対して純粋でなければなりません。
	純粋な自分を保つことができなければ、人が幸福を得ることはできないのです。
	純粋とは、不純物のない状態です。
	道に対し、幸福に対して純粋でなければ、それを得ることはできないのです。
	あなたは、道に対し、幸福に対して純粋でなければなりません。
	道に対して不純であれば、道を間違えます。
	幸福に対して不純であれば、幸福を見失うのです。
	純粋でなければ辿り着くことはできません。
	どのような道を進み、どのような幸福の形を目指していたとしても、その目的を見失ってしまえば叶わないのです。
	目的地へと歩みを進めている時に、他のことに心が捕らわれるのであれば、人は目的地ではない他の目的のために歩みを進めることになるのです。
	それは、純粋な目的が、他の目的と混ざったということなのです。
	二つのものが混ざり合えば、それだけで元を知ることが難しくなります。
	二つ以上のものが混ざり合えば、あなたは元を知ることはできないでしょう。
	他の目的のために純粋を離れるのであれば、道は途絶え、幸福は崩壊するのです。
	あなたは幸福を目指しているはずです。
	しかし、あなたはその幸福を得るために、純粋であるでしょうか?
	その道に対して、幸福に対して純粋でいられるでしょうか?
	あなたは何のためにその道を歩み、その幸福を得たいのでしょうか?
	あなたの動機は、歪んではいませんか?
	多くの場合、その目的は純粋から離れます。
	いつの間にかに、様々な欲求が湧いて、目的を違えるのです。
	”あれもしたい”、”これも欲しい”と本当は必要のないものにまで手を伸ばすのです。
	純粋な子どもは、一つの目的のために精一杯に突き進みます。
	純粋であるが故に、”余計”なものは目に映らないのです。
	多くの人は純粋から離れています。
	”余計”なものばかりに目が奪われ、本当に大切なものを見失うのです。
	それは、道に迷っている状態です。
	多くの人(大人)が苦悩を抱えています。
	それは、道に迷っているためです。
	子どもが苦悩を抱えるでしょうか?
	あなたは純粋から離れてはなりません。
	余計な知恵、余計な欲念(よくねん)は必要ないのです。
	ただ、道のため、ただ、幸福のために進めば良いのです。
	なぜ、”余計”に迷い、”余計”に苦しむのですか?
	多くの人は状況や環境を言い訳とします。
	状況や環境があなたの幸福に関わるのでしょうか?
	状況や環境が、本当にあなたの邪魔をしているのでしょうか?
	条件が整わなければ出来ないのでしょうか?
	いつ、それが整うのでしょうか?
	残念ながら、多くの人は条件が整ったとしても、それを言い訳にします。
	結局は、不純を取り入れることによって道に迷うのです。
	なぜ、子どものように生きられないのですか?
	純粋に道を求め、純粋に幸福を目指してはいけないのですか?
	あなたを食い止めるものは何ですか?
	あなたは何を恐れているのですか?
	幸福を目指していながら、それを否定するのですか?
	矛盾はあなたを苦しめます。
	他人を気遣うことは大切ですが、他人に遠慮する必要はないのです。
	あなたはあなたの道を進み、あなたの幸福の形を実現すれば良いのです。
	それぞれが幸福を実現することこそ、この世界の喜びなのです。
	それぞれが幸福を諦める世界には、喜びはないのです。
	あなたは、自分のためにも、他人のためにも、世界のためにも、幸福を実現しましょう。
	余計なことを気に掛けず、純粋に求めましょう。
	
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