多くの人は苦しみの奴隷です。
しかし、そのことには気が付いていません。
多くの人は奴隷でありながら、自分のことを自由人だと思っているのです。
奴隷は、自分が奴隷であることを忘れます。
それは、その環境に慣れてしまうからです。
奴隷も長く続けるのであれば、自分が奴隷であるという自覚を失うのです。
そして、奴隷でありながらも、自由人であるという妄想に生きるようになるのです。
多くの人は人生に苦悩を覚えます。
多くの人が苦しみと共に生きているのです。
あなたの隣にも苦しみがいるでしょう。
喜怒哀楽がネガティブに傾けば、それは苦しみとなるのです。
喜楽が苦しみを免れることはありません。
ネガティブな喜楽は、苦しみであるのです。
不安、心配、争い、後悔・・・
ネガティブな感情の結果として、このような状態が導かれるのです。
しかし、多くの人はこれを普通であると考えています。
人は不安になり、心配し、争い、後悔する・・・
あなたはこのような状態が普通であると思いますか?
周囲を見渡すと、それを普通のこととして考えている人が多いはずです。
そのため、あなたはそのような状態が普通であると思い込んでしまう可能性が高いのです。
実際のところ、多くの人がそのような状態を放置しています。
何かに対する不安、心配、争い、後悔・・・
このような状態を先延ばしにしているのです。
これを解決するためには、あなたを苦しみの奴隷として繋ぎ止めてある鎖(くさり)を解かなければならないのです。
人は、苦しみに拘束(こうそく)されているのです。
そのため、苦しみは続きます。
それを振り解こうともがきますが、鎖が見えてはいないのです。
闇雲に行っても、鎖が解けることはありません。
あなたは、暗闇の中で自らを拘束している鎖を解くことができると思いますか?
それを解くためには、光が必要なのです。
鎖が目に映るのであれば、あなたはそれを解くこともできるでしょう。
光とは知恵のことです。
あなたは知恵を得なければなりません。
あなたを苦しみの奴隷として繋ぎ止めている鎖とは、無知のことなのです。
無知であれば、人は苦しみの奴隷となるのです。
罠を知らない動物は、簡単に捕らえられてしまいます。
多くの人も、無知の鎖を知りません。
そのため、簡単に奴隷となるのです。
自由とは、苦しみを持たない人の宝です。
何かに対して不安、心配、争い、後悔・・・
これ等を感じているのであれば、既に自由は奪われているのです。
無知の鎖は音も無く、姿を隠して襲います。
それは、暗闇を飛ぶ梟(ふくろう)のように、あなたに襲うのです。
梟が木の上から狙っていることを知らない鼠(ねずみ)は、簡単に餌食(えじき)となるでしょう。
それは、苦しみに捕らわれる人のようにです。
多くの人は、自分が既に苦しみの餌食になっていることにすら気が付いてはいません。
四肢はもがれ、腸(はらわた)は引き摺(ず)り出されているにもかかわらず、自分の立場を理解していないのです。
梟に捕らえられた鼠は、いつかは苦しみの死を得るのです。
無知の鎖に繋がれた苦しみの奴隷の結末は、梟に捕らえられた鼠に変わりません。
あなたは無知の鎖を解かなければなりません。
いつまでも、苦しみの奴隷として生きてはならないのです。
無知を先延ばしにしてはなりません。
生存競争に一生懸命になるあまり、知恵の会得を蔑(ないがし)ろにしてはならないのです。
無知な自由人がいるでしょうか?
自由人には知恵があるのです。
無知は奴隷を育むのです。
あなたは、苦しみの奴隷であるということを自覚しましょう。
そして、知恵の光によって、無知の鎖を解きましょう。
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