人は、自分を知りません。
あなたは誰なのですか?
人はそれを答えることができません。
自分自身のことすら知らないのです。
しかし、多くの人は自分を知らないことすら知りません。
何も知らずに存在しているのが現状なのです。
何も知らずに存在するということは、歪んでいることにも気が付かないということです。
汚れていることを知らなければ、滅びを導くのです。
しかし、人はそのことを知りません。
そのため、多くの人は自らの喜びのために他人を苦しめるのです。
多くの人は自分勝手に楽しみます。
それが他人を苦しめているということに気が付くことはありません。
そのような人の視野は狭く、他人のことまでは考えることができないのです。
自分の喜びを貪(むさぼ)ることに必死であり、それだけにとどまるのです。
しかし、人は自分勝手に生きることはできません。
なぜなら、人は他人との関係の中に自分を知る機会を得るからです。
人は、自分を知るために生きています。
それは、自分(現状)を知ることがなければ、成長することができないからです。
自分を知るためには、相対的な他人によって教えてもらう必要があるのです。
独りであれば、その歪みや汚れに気が付きません。
それこそ、自分勝手に陥ってしまうからです。
比較対象である他人こそが、あなたに”自分”を教えるのです。
あなたは他人を見(観測し)ましょう。
そして、自分と比較しなければなりません。
他人の長短を知り、自分を知るのです。
あなたはそれを前向きに捉(とら)えなければなりません。
他人と比較することによって、気が滅入ってはならないのです。
人は歪んでいます。
人は汚れています。
この世界において、正しい人というものはありません。
どのような人も必ず歪み、汚れているのです。
それは、”神”との比較によって知ることができるでしょう。
”神”とは真理です。
人は、真理と自分を比較する必要があるのです。
真理は、あなたに正しい結果を導きます。
それは、状況や心境によって知ることができるでしょう。
あなたが苦悩を得るのであれば、それは歪みと汚れを所有していることになります。
自分勝手に振舞う者には、それに相応しい形の報(むく)いがあるのです。
それは苦悩としてあなたの側にあるでしょう。
”神”への信仰が必要です。
ただし、これは宗教への信仰ではありません。
利他への信仰であり、真理への信仰であるのです。
あなたの喜びが他人を苦しめてはなりません。
あなたの喜びが他人を喜ばせ、救うことが求められているのです。
人は自分を知りません。
自分を知らない人が、どうして正しい喜びを知ることができるでしょうか?
あなたの知っている喜びは、本当に喜びなのでしょうか?
”神”への信仰を持たない者が、どうして正しく存在することができるでしょうか?
肉の欲に溺(おぼ)れ、自分のことしか考えることができない者が褒められるのでしょうか?
あなたの尊敬がどこにあるのかを考えましょう。
敬意を受ける者が、自分の喜びのために他人を苦しめるでしょうか?
人は自分を知りません。
その行為が愚かであるということを知らなければなりません。
自らの愚行を知り、それを正すのであれば、あなたは敬意を受けるに相応しい人となるでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿