何事においても、そこには必ず因果の仕組みが働きます。
	すべてには因果関係が存在し、それに漏れることはありません。
	どのような事柄に関しても、必ず因果の仕組みが働くのです。
	あなたはこのことを覚えておかなければなりません。
	因果の仕組みは絶対の法です。
	何者もこれを犯すことはできません。
	あなたが人の世でどのような立場の人物であり、どのように考えようとも、”神”の法である真理を犯すことはできないのです。
	あなたは従わなければなりません。
	決して逆らうことはできません。
	一切は、因果の仕組みによって実現します。
	何かが起こっても、何も起こらなくても、それは因果の仕組みによって実現したことなのです。
	あなたの目の前の状況は、あなたの因果です。
	原因はあなた自身にあります。
	あなたの心や言動によって、それは実現するのです。
	しかし、多くの人は因果の仕組みが働いているということを知らずにいます。
	因果関係が存在しなければ実現することがないにも関わらず、それを求めているのです。
	原因がなければ結果はありません。
	あなたがどれだけ求めても、それは覆りません。
	”奇跡”など起こらないのです。
	あなたは甘い(都合の良い)言葉に騙されてはなりません。
	しっかりしなければならないのです。
	多くの人は困難に会った時に”神”の助けを求めます。
	それは、誰かや何かに対しても同じです。
	しかし、原因がなければ救われることはありません。
	それは、因果関係が認められないからです。
	因果関係が存在しないにも関わらず救われるのであれば、それを”奇跡”と呼べば良いでしょうが、そのようなことは有り得ません。
	同じようにしても、人によって結果は違います。
	多くの人はそれを不思議がります。
	しかし、そこには因果の仕組みが働いているだけであり、それ以外の理由はないのです。
	誰かや何かに救われるためには、誰かや何かを救わなければなりません。
	”神”の救いを求めるのであれば、”神”を救わなければならないのです。
	当たり前のことです。
	あなたは、あなたのために貢献しない者に施(ほどこ)すでしょうか?
	あなたのために貢献しない者が施しを求めた時には、あなたはそれを断るでしょう。
	しかし、あなたのために貢献する者に対しては、相手が求めもしないのに施すでしょう。
	与える者は与えられ、奪う者は奪われます。
	そこには、当たり前の因果関係が存在するのです。
	多くの人は与えることをせずに与えてもらおうとしています。
	それは、奪うという行為そのものなのです。
	しかし、そこには罪悪感はありません。
	奪うことが当然だと思い込んでいるのです。
	そのため、思うような結果を得ることができないのです。
	あなたは、何事においても因果の仕組みが働いているということを忘れてはなりません。
	他人から奪ってはなりません。
	何より、”神”から奪ってはならないのです。
	因果の仕組みを定めた”神”が、あなたの都合の良いように惜しみ無く与えると思いますか?
	残念ながらそのようなことはありません。
	”神”が自らの法を犯すことなど有り得ないのです。
	あなたが受けるすべてのものは、あなたの因果の証です。
	どのようなものを得ても、それがあなたに相応しいのです。
	勘違いしてはなりません。
	思い上がってはなりません。
	何もしていないのに、何かをしてもらえると考えてはなりません。
	”神”はそれを見抜いています。
	あなたが企(たくら)むのであれば、それは因果の仕組みによって相応しい形で、相応しい時に返るでしょう。
	
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