人生は、心に相応しい場所となります。
	人生は、心によって決まるのです。
	人は、その心によって人生を築きます。
	それは、すべての選択、すべての行為が心によってもたらされるからです。
	人は心です。
	心とは、人そのものなのです。
	あなたは心を大切にしなければなりません。
	しかし、多くの人は心について関心を持ちません。
	心に関することに努めないのです。
	多くの人は肉(肉体)の欲求に関心を持ちます。
	多くの人は、如何(いか)に肉を満足させるかを考えているのです。
	その選択、行為は肉に従います。
	肉に従えば、心は弱まります。
	それは、人の主が肉となるからです。
	肉に従う人は、その僕(しもべ)となるのです。
	僕が主以上の力を得ることはありません。
	僕は制限され、自由を失うのです。
	僕には自由が与えられません。
	すべての僕は、主に従わなければならないのです。
	肉を主とする人は、肉に逆らうことができません。
	それは、肉のための人生となり、自由は制限されるのです。
	肉の欲をどれだけ満たしても、あなたは幸福を得ることができません。
	残念ながら、肉の欲を満たしても、それは一瞬の満足に過ぎず、またすぐに乾いてしまうのです。
	それは、喉(のど)をどれだけ潤しても、またすぐに潤わさなければならないことに等しいのです。
	腹を満たしても、またすぐに同じことをしなければなりません。
	眠りを満たしても、またすぐに同じことが必要です。
	性的快楽を満たしても、またすぐに求めるのです。
	肉の欲には満足が無いのです。
	そこにあるのは、一瞬の満足なのです。
	心は同じことを求めません。
	一つが満たされたのであれば、同じことを繰り返す必要がなくなります。
	心には真の満足があるのです。
	あなたが真の満足を欲しているのであれば、肉に関することではなく、心に関することに努めなければなりません。
	肉を育むことよりも、心を育むことの方が有益なのです。
	それは、人生が心によって生じているからです。
	肉によって生じるのは苦悩です。
	人が肉に従う時には、そこに苦悩が導かれるでしょう。
	多く食べれば苦悩するでしょう。
	多く眠れば苦悩します。
	多く”愛せば”、やはり苦悩するのです。
	肉の欲があなたを幸福にすることはありません。
	しかし、心の欲には、あなたを幸福にする力があります。
	それは、心の欲が壮大(そうだい)であるからです。
	心が求めるものは、”神”が求めるものと等しいのです。
	それは、利他的な欲求です。
	心に従えば、人は思いやりに根差すのです。
	肉に従えば、人は自分勝手に根差すでしょう。
	肉の目的は生存です。
	心の目的は(霊的、人格的な)成長なのです。
	そこには大きな違いがあるのです。
	肉の僕は生存を繰り返します。
	心の僕は成長を繰り返すのです。
	肉の生存が到達するのは衰退と死です。
	これを避けることはできません。
	心の成長が到達するのは別世界なのです。
	これも避けられません。
	人生を変えるためには、心の成長を実現する必要があります。
	いつまでも、肉の欲に熱中していてはなりません。
	あなたが人生というものを深く考えた時には、心の欲に従わなければどうすることもできないということに気が付くでしょう。
	人の主が誰であるのかを思い出しましょう。
	
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