”神”とは、すべてです。
	存在する一切が”神”なのです。
	それは決して限定されません。
	一部を以て”神”とすることはできません。
	すべてが”神”なのです。
	最も大きなものから、最も小さなものまで、そのすべてが”神”であり、それ以外ではありません。
	そのため、”神”には名前が無いのです。
	”神”に名を付けることはできません。
	それは、すべてだからです。
	すべてには名前の付けようがないのです。
	誰も、”神”に名を与えることはできません。
	それは、”神”に名を与えようとする者も”神”の一部に過ぎないからです。
	脳が(浅)知恵を働かせて、自分が”神”であると宣言しても、肉体の一部の器官に過ぎません。
	心臓がその働きを止めれば、簡単に死んでしまうのです。
	そのようなものが”神”であるはずがないのです。
	どのような存在も、名前が与えられているのであれば、それは”神”ではないのです。
	名前は個体に与えられます。
	”神”の一部が名を受けるのです。
	脳は”神”ではありません。
	あなたはこの事実に気が付かなければなりません。
	名を持つ一切は決して”神”ではありません。
	何かが自分を”神”であると宣言しても、あなたは名を持つものを信仰してはなりません。
	それは、”神”を偽装するのです。
	偽りの”神”への信仰は、偽りの”神”からの施(ほどこ)しを得ることになります。
	詐欺師からの施しは盗品であるのです。
	盗品によって、あなたが幸福を得ることはありません。
	盗品によって一時的に幸福を覚えることもあるでしょうが、それが明るみに出た時には苦悩を得るでしょう。
	知らないという理由では許されません。
	すべては、因果の仕組みによるのです。
	あなたが”神”を求めているのであれば、その信仰を一部に限定してはなりません。
	況(ま)して、名を持つものを信仰してはならないのです。
	その”神”が名を掲げているのであれば、それは偽りの”神”に他なりません。
	それは詐欺師であるのです。
	詐欺師に従う者は、汚名を着せられるのです。
	その行為が”神”によって誉(ほま)れを受けることはありません。
	多くの人は名を持つ”神”を信仰しています。
	それは、様々な偶像(ぐうぞう)で現されます。
	偶像は、木や石や土や金属や絵の具に過ぎません。
	そのようなものが、どうして”神”なのでしょうか?
	多くの人は偶像のため、偽りの”神”のために生き、そのために死ぬのです。
	しかし、そこで約束されるのは盗品による報酬なのです。
	偽りの”神”を信仰する者は、偽りの信仰と偽りの報酬によって苦しむでしょう。
	ただし、それが悪いというのではありません。
	偽りの”神”に捕らわれる者は、それ以外の選択はできないのです。
	それはその者に相応しいのです。
	偽りの”神”に仕える者は、その行為の故に苦しめば良いのです。
	苦しむことによって、そこに不足が存在することに気が付くようになるからです。
	すべては”神”の一部です。
	どこを取っても、そこから”神”へと至ることができるのです。
	すべての人は”神”を知ります。
	すべての人は”神”へと辿り着くのです。
	あなたもいつかはそうなります。
	その時を得るために、あなたはこのことを覚えておきましょう。
	”神”とはすべてです。
	”神”は名を持ちません。
	覚えておきましょう。
	
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