あなたは他者を潤さなければなりません。
あなたは、自分のために行ってはなりません。
その行為が、自分の誉(ほま)れのためであってはならないのです。
その行為が自分のためであれば、あなたは却(かえ)って自分の誉れを失うでしょう。
あなたが自分の誉れのために行う程に、それは他者の誉れを生むのです。
人は、自分のために生きることができません。
それは、人が全体の一部に過ぎないからです。
あなたは、自然界の一つの命に過ぎず、他のどのような命とも等しいのです。
自然界は、共存共栄の精神によって成り立っています。
それは、争っているように見えるかも知れませんが、互いのために存在しているのが本質なのです。
そうでなければ、自然界は既に消滅しているでしょう。
それが豊かに存在しているのは、共存共栄の精神を重んじているからに他ならないのです。
自分の利益を追求するのであれば、その世界は破壊されるのです。
人の世は、自分の誉れのために行う者で満ちています。
他者のために行う者は多くはないのです。
そのため、人の世には苦悩が蔓延(まんえん)しているのです。
それは、互いが攻撃し合う仕組みを生み出し、互いに消耗するのです。
人は、人の世に属しているだけで苦しむのです。
しかし、多くの人は人の世に根差した幸福を求めています。
人の世が利己主義によって満ちている以上、人の世に根差した幸福などというものは幻想に過ぎません。
そのように矛盾したものは実現しないのです。
人が人の世において幸福を求めるためには、先ずは利己主義を廃止しなければならないのです。
人が自分の誉れのために行っている間は、誰一人として幸福を得ることはできません。
自己満足によって、偽りの幸福を楽しむことはできます。
しかし、それは虚しいのです。
真の幸福とは、他者を潤すことによってのみ実現するものなのです。
人の世は、自然界を倣(なら)って共存共栄の精神によって満ちなければなりません。
自然界を破壊しているのは人間だけです。
人の自己に対する(不足から生じる)強過ぎる欲求が、すべてを歪めているのです。
あなたが幸福を求めているのであれば、自分の態度を改めましょう。
それは、あなたの土壌となります。
自然の繁栄は、土壌によるのです。
あなたの幸福は、あなたの態度によるということを覚えておきましょう。
あなたはなぜ、他者を潤さないのですか?
なぜ、自分の誉れを求めるのですか?
自分の誉れを得たとしても、幸福は得られないのです。
自分の誉れが幸福であると思っているのですか?
人生というものを深く考えなければなりません。
自分勝手に幸福を宣言しても虚しいだけなのです。
実質が無ければ、それは脆(もろ)くも崩れ去るのです。
他者の幸福無くして、自己の幸福はありません。
全体の一部であるあなたは、全体の所有物なのです。
脳が健康であっても、その他の四肢が病に犯されているのであれば、脳は幸福を得られないでしょう。
あなたは、小さな腫物(しゅもつ)にさえ、動揺し、不安を覚えるでしょう。
全体の一部が自分勝手に行うことは、肉体が小さな腫物を得るようなものなのです。
あなたが小さな腫物に幸福を覚えるというのであれば、自分の誉れのために行いましょう。
あなたがそれを恐れるのであれば、他者の誉れのために行わなければなりません。
人の世には”愛”に対する反逆が跋扈(ばっこ)しています。
利己主義とは、”愛”に対する反逆なのです。
”愛”がなければ全体は潤わないのです。
”愛”のない場所に幸福などあるでしょうか?
他者の誉れを求めることは広義の”愛”です。
自分の誉れを求めることは狭義の”愛”なのです。
どちらも”愛”に違いはありませんが、その大きさは違うのです。
”愛”の大きさによって、幸福の大きさは違うでしょう。
それは、雨(水)の量によって、植物の数が違うようなものです。
多くの雨は、多くの命を養うでしょう。
あなたは他者を潤さなければなりません。
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