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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2016年2月14日日曜日

収穫の時

喜びに会った時、あなたは誰から生まれたのかを思い出しましょう。
怒りに会った時、あなたは同じようにしなければなりません。
悲しみに会った時も、安楽に会った時にも、あなたは自分の主人が誰であるのか?を思い出さなければならないのです。
多くの人は、自分が誰から生まれたのか?を知りません。
多くの人は、自らの出生(しゅっしょう)を忘れてしまったのです。
それは、多くの人が表面的な結果ばかりを気に掛けているからに他なりません。
多くの人は結果を重視します。
それは決して悪いことではありません。
しかし、結果だけを見ているのであれば、その判断は必ず歪んでしまうのです。
大切なのは、原因から生じる結果を見ることです。
すべての結果には必ず、それに相応しい原因が存在しています。
結果と等しく、原因も重要なのです。
原因は、結果の始まりです。
それがなければ結果はないのです。
結果は、新たな原因となります。
しかし、結果が次の原因となることを多くの人は知らないのです。
大切なのは原因の手入れです。
原因を気に掛けなければ、次の結果は歪むのです。
それは、野菜から種を得るようなものです。
野菜が実ったからといって、種を蔑(ないがし)ろにするのであれば、来年の収穫は期待することができないのです。
収穫の時には、来年のために種を気に掛けておかなければならないのです。
多くの人は結果を得た時に、次のことを考えてはいません。
その結果に懸命になるあまり、次のことを忘れるのです。
収穫は終わりではありません。
それは、始まりであるのです。
多くの人は喜怒哀楽に会った時に、それで終わりだと思い込んでいます。
その時には、主(種)を忘れているのです。
誰によって収穫が得られるのですか?
その種を、誰があなたに与えたのでしょうか?
多くの人は自分が主人だと思い込んでいます。
しかし、あなたにはその種を生み出すことも、それを育てることもできないのです。
あなたに出来ることと言えば、種を蒔(ま)き、育った後に収穫することだけなのです。
あなたの力によって野菜が育まれるのではありません。
それは、主人の力によって育まれるのです。
あなたの力によって野菜が育つのであれば、あなたは自らを主人として、それを称(たた)えれば良いでしょう。
しかし、あなたの力によって野菜が育つことはありません。
野菜は勝手に育つのです。
そのため、収穫の時には、あなたは主人を称える必要があるのです。
喜怒哀楽を収穫した時に、あなたは誰(何)を称えていますか?
誰(何)によって、その収穫が成されたのでしょう?
あなたは考えなければなりません。
義(ぎ)を忘れる者に栄光はありません。
主人に感謝することの無い召し使いは、主人に覚えられることはありません。
それは、主人の保護を受けるには足りないのです。
収穫(結果)の時に主人を称えない者は、種(原因)を得ることはできないでしょう。
そうなれば、次の収穫の時期には、その人の畑には収穫物はないのです。
あなたは誰から生まれたのかを思い出しましょう。
あなたは誰に仕えているのですか?
あなたは誰の所有なのでしょうか?
その判断を誤れば、次の結果を誤ることになるでしょう。
あなたを生かしているのは誰ですか?
生きていることが当たり前のことでしょうか?
それは、主人の保護の賜物(たまもの)なのです。
畑に作物が育つことによって、あなたは生かされているのです。
そのことを覚えておきましょう。
あなたに収穫をもたらすのは誰か?ということを考えましょう。

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