すべての人は、身の程を知らなければなりません。
	それは、成長のためです。
	身の程とは、自分自身の程度です。
	それは、現在地のようなものなのです。
	自分自身の現在地がどこであるかを知らずに、目的地に辿り着くことはできません。
	どれだけ詳細な地図を以(もっ)てしても、現在地を知ることができなければ目的までの道程を知ることはできないのです。
	現在地を知らない人にとっては、どのような地図も無用の長物となるのです。
	どのような目的地に対しても、現在地を知る必要があります。
	あなたが幸福という目的地に到達するためには、身の程という現在地を知る必要があるのです。
	身の程を知らない者の考えは歪んでいます。
	身の程を知らないために、目測を誤るのです。
	身の程を知らない者には知恵がありません。
	それは、すべての判断が(求めている幸福に対して)誤っているためです。
	知恵とは知性のことです。
	身の程を知らない者にそれを望むことはできません。
	なぜなら、身の程を知らないために高ぶるからです。
	そこに謙虚さはありません。
	高ぶる者が学ぶことはありません。
	身の程を知らないために、自分が優れていると思い込むのです。
	自分が優れているという思いは、利己主義を導きます。
	利己主義とは自分勝手のことです。
	身の程を知らない者は、自分勝手に振舞います。
	それは、盗人のように計(はか)らいます。
	身の程を知らない者は、他人から盗むのです。
	身の程を知らない者は厚かましく、そこに遠慮はありません。
	他人の所有は自分の所有であると考え、その区別を知りません。
	盗人は、他人の所有を自分の所有と思い込んでいるのです。
	そのために、盗む人は盗人と呼ばれるのです。
	身の程を知らない者は盗みます。
	依存心によって多くのものを盗むのです。
	身の程を知る者には弁(わきま)えがあります。
	身の程を知る者が高ぶることはありません。
	自己を制し、克己(こっき)によって勝利者となるのです。
	身の程を知らない者には自制がありません。
	それは欲望のままに振舞い、思慮(しりょ)に欠けます。
	当然、未来には苦悩を得るのです。
	人間の活動のすべては、”身から出た錆(さび)”に他なりません。
	それは、この世界には因果の仕組みが働いているからです。
	身の程を知る者も、身の程を知らない者も、これに逆らうことはできません。
	すべては、自らの行為によるのです。
	身の程を知らない者は愚か者と呼ばれます。
	愚か者が一人でもいれば、そこには争いが導かれるのです。
	身の程を知らない者がいる場所には、必ず争いの火種があるのです。
	そこには幸福は実現しないでしょう。
	それぞれが身の程を知り、謙虚に努めるのであれば、そこには融和(ゆうわ)が生じるでしょう。
	人々が心を通じ合わせた時には、幸福が実現するのです。
	あなたは身の程を知らなければなりません。
	高ぶってはなりません。
	謙虚でありましょう。
	盗んではなりません。
	与えましょう。
	あなたは、自分が誰なのか?ということを真剣に考えなければなりません。
	そこには、あなたの身の程が存在するからです。
	それを知りましょう。
	
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