この世界に新しいものがあるでしょうか?
それは、今までに存在しなかったものなのでしょうか?
世界に新しいものはありません。
それは、繰り返されるのです。
ただし、少しだけ変わって出てくるものはあります。
世界は、螺旋(らせん)を描き、存在しているのです。
基本的には、同じことの繰り返しです。
新しいものは存在しません。
どのような陶器も、同じ土から作られます。
どれだけ形が違っていても、本質は同じなのです。
多くの人は、新しいものが存在すると思っています。
新たな発見を成し遂げたと思い込んでいるのです。
革新的な働きをしたと考えますが、それも過去の焼き直しに過ぎません。
あなたが思い付くことは、過去の人が思い付いているのです。
あなたが行うことも、過去の人が行っています。
残念ながら、新発見もなければ、新しい行為もありません。
新しい生活も文化も、長い歴史を見ればないのです。
あなたは現代を先進的であり、革新的であると思い込んでいることでしょう。
しかし、それは過去にもあったのです。
受け入れることができないかも知れませんが、この世界には新しいものはありません。
しかし、多くの人はそれを新発見だと言い、その権利を主張するのです。
過去の焼き直しが、どうして新発見なのでしょうか?
人は権利を主張します。
しかし、それはあなたが始めではないのです。
始めの権利を主張することは恥ずべきことなのです。
それは、自らの無知を公言しいているに等しいからです。
今あるものは、昔にもあったのです。
世界は繰り返されるのです。
それは、人(類)の成長に比例しているのです。
人の成長に合わせて、螺旋は幅を変えます。
人の成長に合わせて、変化の量が変わるのです。
しかし、それは過去を基礎としているのです。
人は経験の中から生み出します。
様々な経験の中からその一部を抜き取り、創造するのです。
人の行為は過去の集大成に過ぎません。
人の行為が、過去を無視することはないのです。
人の行為は変わりません。
今も昔も同じことをしているのです。
そのため、全く新しいことは存在しないのです。
世界は繰り返しです。
救いがあるとするのであれば、より向上したものを繰り返しているということです。
あなたは謙虚でありましょう。
どのような発見も、既に世界に存在しているのです。
人類のすべての発見は、既に自然界に存在しているものに過ぎません。
自然界に存在していないものを発見することはできないのです。
存在しているものが見えるようになっただけのことです。
それだけのことで争ってはならないのです。
あなたはそれを喜びのために用いなければなりません。
努力して螺旋を進み、より良いものを生み出したのであれば、それを誰かや何かのために役立てましょう。
それを自分の利益のために用い、権利を主張し、醜(みにく)い争いに身を投じてはなりません。
”すべては一つ”です。
どのような立場の存在も、協力しなければなりません。
主張は異なっても、同じ世界に存在する仲間なのです。
謙虚でありましょう。
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