苦悩は所有によって導かれます。
	あなたが苦悩を離れたいと考えているのであれば、所有を離れなければなりません。
	所有を離れるというのは、執着を離れるということです。
	人は何かに執着します。
	執着することは、人を苦しめるのです。
	熱した炭を握っていれば、掌(てのひら)が焼かれます。
	冷めた氷に触れていれば、指先は死を得ます。
	あなたにとっては、熱した炭も冷めた氷も問題であるのです。
	それは、苦悩を導きます。
	それに執着し、手放さないのであれば、苦しみは必至なのです。
	あなたが苦しみを手放すためには、所有(執着)を手放す必要があるのです。
	熱した炭も冷めた氷も、手放さなければ苦悩は続くのです。
	あなたがそれ等を手放した時から苦悩が去るのです。
	手放したとしても、すぐに苦悩が去る訳ではありません。
	しかし、それは徐々に去るでしょう。
	多くの人は執着します。
	それは、所有しているものを大切だと考えているためです。
	しかし、それは本当に大切なのでしょうか?
	あなたは思慮深くありましょう。
	多くの人は無知の中にあります。
	無知は視野を狭めます。
	視野の狭まりは、人を執着へと導くのです。
	視野の狭まりが人から可能性を奪います。
	それは、比較対象を隠し、所有の価値を高めます。
	比較対象があれば、所有の価値は下がるのです。
	それしかなければ、あなたは無条件でそれを選ぶでしょう。
	しかし、二つの選択肢があれば、別のものを選ぶこともできるのです。
	無知は所有に対して執着を強要します。
	無知な者はそれを否定することはできません。
	無知である程執着しなければならず、苦悩しなければならないのです。
	人生において苦悩を抱えている人は無知を所有しています。
	その苦悩は無知の克服によって解決するのです。
	そのためには、無知を手放さなければなりません。
	人は、知らず識(し)らずの内に無知という問題を所有し、それに執着しているのです。
	無知を所有するということは、変化を否定するということです。
	無知は変化を嫌います。
	無知な者程、何かを変えることを恐れます。
	それは、変わることによって不利を得る可能性があると考えているからです。
	もしくは、変わることの価値を知らないのです。
	どのような変化であっても、それがあなたに不利に働くことはありません。
	それに、価値の無い変化など存在しないのです。
	寧(むし)ろ、変化しないことには大きなリスクがあるということを覚えておかなければならないのです。
	あなたは変化(成長)しない人を許しますか?
	あなたは変化(成長)しない人と共にいたいでしょうか?
	良く考えましょう。
	熱した炭や冷えた氷を握って離さないにもかかわらず、苦悩を訴えている滑稽(こっけい)な者を見る時、それを褒(ほ)めるでしょうか?
	そのような人に対して、あなたは今すぐに握っているものを手放すように声を荒げるでしょう。
	それでも離さないのであれば、呆(あき)れてその人を離れるでしょう。
	執着によって、どのように豊かさを得るというのでしょうか?
	変化を続ける人は褒められます。
	それは、多くの人の羨望(せんぼう)を受けるでしょう。
	変化を放棄する人は軽んじられます。
	それは、多くの人の恥となるのです。
	あなたは苦悩の対象を手放さなければなりません。
	ただ、それだけのことです。
	何も難しいことはないのです。
	執着を離れましょう。
	
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