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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2016年3月8日火曜日

野の獣

あなたが金を儲けるには、人の弱みに漬け込めば良いでしょう。
それは難しいことではありません。
不安を駆り立て、怒りを導けば良いのです。
人は不安と怒りによって、あなたに多くを捧げるでしょう。
あなたが金を信仰しているのであれば、人に不安と怒りを導きましょう。
そうすれば、あなたの主人(信仰の対象である金)は、あなたに報酬を惜しみなく与えるでしょう。
すべてのものには性質が備わっています。
人が頭脳によって生き、鳥が翼によって生き、魚が鰓(えら)によって生きるようにです。
金はその性質によって自ら生き、また人を生かします。
金という存在に命が無いと誰が決めたのですか?
金に命が無いと考えてはなりません。
金はその性質によって生きているのです。
あなたが金を扱う時には、生き物として扱わなければなりません。
それは野の獣のように、人に従うことはありません。
人が野の獣を従えることができるでしょうか?
その時には従えたように思っても、その性質が牙を剥いて襲うのです。
多くの人は自分が金の主人であると考えています。
しかし、そうではありません。
金の主人は金自身であり、あなたではないのです。
あなたがどうして、自分以外の存在を従えることができるでしょうか?
あなたは我が子でさえ、従えることができないのです。
どうして金を従えることができると考えるのでしょうか?
金を求める人は、金の主人には成り得ません。
それは、僕(しもべ)の方が主人を求めるからです。
あなたが金のために生きるのであれば、その主人はあなたではないのです。
金を求める者は金の僕となり、その命令に従わなければならないのです。
金のために働き、金のために生きる者が、どうして金の主人なのでしょう?
金を儲けるために人の弱みに付け込む者は、その業(わざ)によって鎖(くさり)に繋がれます。
人から奪う者は、盗人となるのです。
あなたは目的(金儲け)のために、人から奪ってはなりません。
金と共存しなければならないのです。
野の獣は、その扱い方を間違えなければ安全です。
しかし、その扱い方を間違えてしまえば、牙を剥くのです。
その時には、あなたは簡単に捕らえられ、大いに悲しむでしょう。
金の扱い方を間違えてはなりません。
野の獣はあなたの僕にはならないのです。
それを制することはできません。
互いの性質を知り、共存する方法を探すのです。
金を信仰する者は金に仕え、”神”を信仰する者は”神”に仕えるでしょう。
人は仕える主人から、その報いを得るでしょう。
あなたは自らの務めを果たし、与えられるもので満足しましょう。
それが足りないからといって、奪い取ってはなりません。
人に不安と怒りを導けば、それはその人を苦しめる結果となるからです。
人から奪い取って苦しめるのであれば、その人が次にあなたに報いることは、それと同じことなのです。
あなたは自らの行為を受けるでしょう。
因果の仕組みは正しく、そして相応しくあなたに返るからです。
すべての責任は自分自身で負わなければなりません。
あなたは、自らの責任を放棄することはできません。
金を得ることは決して悪いことではありません。
それが与えられた結果であるのならば安全です。
しかし、与えられていなければ安全ではないのです。
野の獣が自ら歩み寄るのであれば安全です。
しかし、それを追い立てることは安全ではないのです。
どうするべきなのかを考えましょう。
あなたは何に仕えるのかを考えなければなりません。
どのように向き合うのかを考えなければなりません。

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