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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2016年3月7日月曜日

親の信仰

あなたは人を責めてはなりません。
その人は、既にその報いを受けているからです。
あなたは何が正しいかを知らないのです。
どうして、他人を責めることができるのでしょうか?
あなたがその人を責めるのであれば、その人が正しくないことを証明しなければなりません。
そして、自分が正しいということを証明する必要があるのです。
あなたにこれができるでしょうか?
あなたが信じて主張する正しさにどれだけの人が賛同し、どれだけの人が反対するでしょうか?
正しいというのであれば、すべての人に支持されるはずです。
しかし、それは実現しないでしょう。
あなたが正しいと主張しても、それに反対する人は必ずいるのです。
あなたは、完全なる正しさを有することはできません。
あなたが有することができるのは、”自分が正しいと思う意見”であるのです。
それは、決して正しくはないのです。
すべての人が”自分が正しいと思う意見”を所有しています。
そのため、誰一人として正しさを有することはありません。
自分を正しいと主張する者は、その時点において正しくはないのです。
この世界には、正しい人など存在しないのです。
すべての人が未熟です。
すべての人が歪みを有しています。
すべての人が成長を求められています。
すべての人が苦悩します。
すべての人が学んでいるのです。
正しい人は存在することが許されないのです。
この世界は学びを得る場所だからです。
そのため、自分を正しいと主張する時点において、学びを得ているのです。
人は、自らに相応しい場所(状況、環境)を得ます。
正しいのであれば、問題は決して生じません。
すべては因果の仕組みによるからです。
問題を受ける者は、それが相応しいために受けるのです。
自らが正しくもないのに誰かを責め、不正によって本当は低い自らを高めようとする者には、その行いに相応しい問題を受けるでしょう。
あなたが問題を受けないようにするには、人を責めることをやめることです。
あなたは人を責めることができるような”立派”な人物なのでしょうか?
あなたには知らないことも、できないこともないというのでしょうか?
”わたし”はあなたの高ぶりに反対しましょう。
その時点において、あなたは完全には正しくないのです。
それでも、あなたは自らが正しいと主張し、人を責めるのですか?
自らを顧(かえり)みて、どうするのかを決めましょう。
自らを顧みることなく、どうして自分が正しいというのでしょうか?
客観視すらできない者が多いのです。
あなたの信じている正しさは、決して正しくはありません。
あなたは疑い続けなければなりません。
あなたがそれを信じる根拠はどこにあるのですか?
習慣としての信仰があるのではないですか?
子は親を見て育ちます。
子は普通、親のように振る舞うのです。
親の業(わざ)を子が真似るのです。
子が親を排(はい)することは稀(まれ)です。
親が正しいと主張することを、子は真似るのです。
”普通”の子は、親の信仰を受け継いでいるのです。
親が酒に耽(ふけ)るのであれば、子も酒を楽しみます。
親が暴力的であれば、子も暴力的であるのです。
親の正しさが子の正しさとなるのです。
酒に耽ることは正しいのでしょうか?
暴力的に振る舞うことは正しいのでしょうか?
意見は二分するでしょう。
どちらが正しいかを決めることはできません。
あなたはどちらかの意見によって人を責めるでしょうが、それは正しくはありません。
あなたはどうして人を責めることができるのでしょうか?
あなたは何が正しいのかを知らないのです。

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