立ち止まることは幸いです。
	失敗をすることは幸いです。
	思い通りに進まないことは幸いです。
	敵がいるのは幸いです。
	反発を受けることは幸いです。
	上手くいかないことは幸いです。
	損失を得ることは幸いです。
	病気になるのは幸いです。
	あなたはこのように思うでしょうか?
	ここに列挙してあることに対して、あなたはネガティブな感想を持ったでしょう。
	あなたは立ち止まりたくはないはずです。
	失敗を恐れているでしょう。
	思い通りに進まないことに腹を立てます。
	敵によって苦しみます。
	反発を受けることによっては悩むでしょう。
	上手くいかないことに困り果てます。
	損失を得ることによって絶望します。
	病気になることによって諦めるでしょう。
	これが”普通”です。
	人は、物事を破滅的に考えるのが普通なのです。
	常識とは、この普通を教えます。
	しかし、普通に考えるのであれば、人生には苦悩が絶えないのです。
	人生において立ち止まることは自然です。
	失敗をすることも、思い通りに進まないことも自然です。
	敵がいて、反発を受けることも自然です。
	上手くいかないこと、損失を得ることは自然です。
	病気になることも自然なのです。
	これ等のどこに不自然なところがあるのでしょうか?
	どれか一つでも悪いことがあるでしょうか?
	あなたは深く考えなければなりません。
	人生において、人が未熟であることは自然です。
	すべての人は成熟するために存在しているのです。
	未熟者が立ち止まることは当然なのです。
	それが悪いことである訳がありません。
	もしも、未熟者が、未熟な手段を許されるのであれば、それは未熟者を滅ぼしてしまうでしょう。
	立ち止まるということは、考え直す機会を得るということなのです。
	立ち止まる必要がないというのは、ブレーキの備わっていない車に乗り込むようなものなのです。
	あなたは止まることを考えずに車を設計するでしょうか?
	止まることができない車に乗り込む勇気がありますか?
	その車に乗り込むのは、止まることが保証されているからなのです。
	止まることができないと知った時点において、あなたはその車を拒絶するでしょう。
	さて、人生において立ち止まるのは悪いことでしょうか?
	人生を車(の進む道)として考えてみましょう。
	あなたは未熟です。
	あなたは常に考え直す必要があるのです。
	立ち止まることがなければ、あなたは真っ直ぐに進み、奈落(ならく)の底へと落ち込んでしまうでしょう。
	立ち止まることができるのであれば、違う道を選び、安心して進むことができるのです。
	立ち止まることは悪いことでしょうか?
	それとも、幸いでしょうか?
	真っ直ぐに進むことが幸いであり、違う道を進むことは悪いことなのでしょうか?
	あなたは常識に惑わされてはなりません。
	未熟な考えに従ってはなりません。
	あなたは自分の考えで人生を生きていると思っているのですか?
	あなたに車の操作を教えた人がいるはずです。
	あなたはその教育によって安全な走行ができるのです。
	あなたの車には、常にあなたを教える存在が同乗しています。
	あなたが道を間違える時には、ブレーキを踏んで立ち止まらせるのです。
	文句を吐くものではありません。
	あなたは助けられたのです。
	理解しなければなりません。
	すべてが必要です。
	
0 件のコメント:
コメントを投稿