あなたは対象の価値を理解する必要があります。
何故なら、対象の価値を理解することができなければ、正しい判断を下すことができないからです。
正しい判断は豊かさを導きます。
それは、あなたに喜びと満足を届けるのです。
しかし、誤った判断は乏しさを導きます。
それは、あなたに苦しみと不満を届けるのです。
人は判断によって何を得るのかを決めています。
どのような対象にも”決まり”はありません。
そこにあるのは決め付けだけであるのです。
善悪は対象の所有するところではありません。
それは、それを決め付ける者の所有なのです。
善悪は、それを観察する者によって決まります。
初めから善悪が決まっていた訳ではないのです。
人は、自分から生じた決め付けによって翻弄(ほんろう)されます。
それを決め付けているのはあなたなのです。
人は自らの判断によって、人生を左右します。
対象の価値への理解が、判断の基準となります。
その判断が正しければ、あなたはそこから豊かさを導くことができるでしょう。
しかし、その判断が誤っているのであれば、そこに乏しさを導くのです。
あなたは価値を見極めなければなりません。
対象の価値を見極めるためには、何度もそれと向き合う必要があります。
一度向き合っただけでは決して理解することはできません。
人が理解を得るためには、何度も何度も向き合う必要があるのです。
それは、何事に関しても同じことです。
あなたは対象の価値を理解するために何度も向き合う必要があります。
そして、あなたは対象の価値を理解する必要があるために、何度も向き合うようになるのです。
対象の価値を理解するまでは、それと何度も向き合わなければなりません。
同じことを繰り返しているように思うのは、対象の価値を理解してはいないからです。
理解が及べば、繰り返す必要はなくなるのです。
人生を進めるためには、対象の価値を理解する必要があります。
それ以外の方法を以て人生が先へと進むことはありません。
時間を経ても、状況や環境や人間関係に変化を得ても、人生が先へと進んだことにはなりません。
違うことをしているように思えても、結局は同じことを繰り返しているのです。
その繰り返しが大きな周期であるために気が付かないだけです。
しかし、多くの場合は繰り返しているのです。
あなたが対象の価値を理解するために、一度離れることが許されています。
離れることは失うことです。
人は対象を失った時に、その価値に気が付くものなのです。
常に所有していれば、価値を理解することはできません。
価値を理解するどころか、それを煩(わずら)わしく思って、拒絶するでしょう。
常に所有しているのであれば、あなたは嫌悪によって満たされるでしょう。
そうなれば、その価値を理解することが難しくなります。
そのために、一度それから離れなければならないのです。
あなたは手にしたものをすべて失います。
それは決められたことです。
あなたにはそれを避けることはできません。
例えば、死を避けることができるでしょうか?
死は、誰にでも訪れるのです。
あなたは何故、一度得た命(人生)を失うのでしょう?
それは、その価値を理解するためです。
失って初めて気が付くことは多いのです。
失って気が付いたことがあるのならば、それを繰り返さないように自らを改めるでしょう。
その繰り返しによって失わないようにするのです。
価値を理解すれば、失う必要はありません。
価値を理解すれば、あなたがそれ以上を失うことはないのです。
あなたは対象の価値を理解する必要があります。
それが人生の目的でもあるのです。
失うことを恐れてはなりません。
失った時に気が付くのです。
それは、良いことなのです。
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