多くの人は、偽りに酔い痴(し)れています。
偽りは、人を酔わせます。
偽りに酔った人は、冷静な判断を下すことができません。
冷静な判断を下すことができない人は苦しみに捕らわれてしまうでしょう。
偽りとは、装飾(そうしょく)のことです。
それは、表面を飾ります。
見た目を美しくすることによって、多くの人はそれ(の本質)を美しいものだと判断します。
しかし、見た目が美しいからといって、本質が美しいとは限りません。
見た目と本質が同じであるとは限らないのです。
見た目が美しくても、本質が醜(みにく)いのであれば、偽りです。
見た目が醜くても、本質が美しい方が真実なのです。
大切なのは本質であるということを覚えておきましょう。
何事においても、その本質を軽んじてはなりません。
装飾はすぐに剥(は)がれ落ちます。
それは、長くは持ちません。
しかし、本質は永遠に保ちます。
誰も、本質を偽ることはできないのです。
偽ることができるのは、その見た目であり、表面であるのです。
あなたが満足を求めているのであれば、装飾の美しさではなく、本質の美しさを選びましょう。
装飾の美しさは簡単ですが、本質の美しさは難しいのです。
簡単なものよりも、難しいものの方に価値があるでしょう。
その価値によって、あなたは満足することができるのです。
しかし、多くの人は物事の表面的な部分に捕らわれています。
多くの人が本質に触れることができないのです。
そのため、装飾に惑わされては苦しむのです。
多くの人は偽りに酔い痴れています。
しかし、酔いはいつかは覚めるものです。
偽りはいつかは暴かれるのです。
そして、その本質を見た時には苦しむでしょう。
初めから本質を見て判断していたのであれば、苦しむことはなかったのです。
しかし、人は装飾を好みます。
それは、損得勘定に影響されているからです。
自分の利益になることは、表面的には得を得るように思えます。
自分の利益ではなく、他人の利益になることは表面的には損を得るように思えるものです。
そのため、装飾を主とする愚者(ぐしゃ)には、自分の利益を追求する道が開かれます。
自分勝手に振る舞えば、他人からの拒絶を得ます。
表面的な利益を貪るような愚行は、決して利益を導いてはくれないのです。
大切なのは本質を得ることです。
あなたが満足を求めているのであれば、自分の利益ではなく、他人の利益になるように努めましょう。
それは、表面的には損をするように思えます。
実際に、その場では損をするでしょう。
しかし、その場の小さな損よりも後に大きな利益が返ってくるのです。
それは、その人から返るとは限りません。
しかし、必ず返るのです。
それは、最善の形、最善のタイミングによって導かれます。
他人の利益のために働いた者が、損をすることなど有り得ないのです。
他人のために働くということは、表面的には醜く、本質的には美しいのです。
自分のために働くということは、表面的には美しく、本質的には醜いのです。
この違いを理解する必要があります。
これは、他人からの見た目ではありません。
あなたの”姿勢”の話なのです。
他人のために働くことには苦労があります。
それは見た目には醜いのです。
自分のために働くことには苦労はありません。
それは見た目には美しいのです。
自分勝手に生きて何になるというのでしょう?
他人のために生きることは醜いことです。
しかし、その本質は美しいということを覚えておきましょう。
美しい本質を得る人は、その本質である魂(霊格、人格)を輝かせるでしょう。
自分の利益にならないことを大切にしましょう。
それを軽んじてはなりません。
人生は、巡り巡って返るのです。
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