すべての人の人生は、その考え方によって形成されます。
人生が考え方を離れることはありません。
それは、人生には自己責任という選択肢が用意されているからです。
あなたは、自らの責任に応じた結果を得ることになります。
それは、人生が成長を目的としているためです。
人は、責任の範囲内で人生を築きます。
すべての状況は選択の結果であり、それはあなたに相応しいのです。
因果の仕組みがそれを導きます。
人は自らの考え方に従って選択します。
それは、相応の結果を導くのです。
人生は考え方の結果なのです。
それ以外を求めるのは責任転嫁(せきにんてんか)であるということを覚えておく必要があるでしょう。
どのような状況を得ようとも、それを誰かや何かの責任にしてはなりません。
あなたが責任転嫁をした時点において、その本質は闇に葬(ほうむ)られることになります。
あなたはそれを探しても見付けることはできません。
暗闇の中でどうして髪の毛一本を見付けることができるのでしょうか?
責任転嫁をするということは、それ程のことなのです。
すべてはあなたの責任です。
それは、あなたの考え方によって導かれたからです。
因果の仕組みは平等に働きます。
それは、人を分けることはありません。
どのような人をも平等に裁くのです。
あなたの行為が審査(しんさ)されるのです。
あなたの行為は考え方の結果です。
行為に及んだ後では、それを言い逃れることはできないのです。
すべてが自己責任なのです。
あなたはこのことを忘れてはなりません。
人生がどのように展開しようとも、それはその人の考え方によるのです。
誰かや何かがそのようにしたのではありません。
多くの人は誤解しています。
誰かや何かがそのようにしたのだと言い張るのです。
残念ながら、そのような事実はありません。
事実も無いのに訴(うった)える人は虚偽(きょぎ)の罪を犯し、その報いを受けることになるのです。
その苦しみは計り知れません。
周囲の人を見ましょう。
彼等はその考え方の通りの人生を得ています。
考え方と違う人生を得ている人などいないのです。
働き者は収穫を得、怠け者は空腹を得るのです。
怠け者で収穫を得、働き者で空腹を得る人はいません。
結果がそれを知らせています。
ただし、畑(収穫を与えるもの)に対しての働きでなければなりません。
畑の収穫を得ようと思っているのに、畑仕事を怠けてはならないのです。
畑以外の働きが、畑の収穫を導くことはないのです。
”神”のために働く者は、”神”からの恵みを受けるでしょう。
それ以外のために働く者には、それ以外からの恵みを受けるのです。
何に仕えるのかはあなたの自由です。
あなたは自らの仕えるものを考える必要があるのです。
人生は考え方によって形成されます。
その人の得ている結果は、仕えるものからの恵みなのです。
白菜の種を蒔いたのに、水菜を収穫することはできません。
白菜の種を蒔けば、白菜を収穫するのです。
しかし、怠け者にはその収穫さえ約束されません。
畑は、その人の働きに対して正直なのです。
あなたは、収穫したい作物の種を蒔きましょう。
そして、働きを収めましょう。
そうすれば、あなたは多くの収穫を得ることができるでしょう。
そして、空腹は満たされるでしょう。
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