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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2017年9月30日土曜日

片目

大切なのは、理解を深めることです。
あなたは、本質に向かって進まなければなりません。
理解を深めるということは、本質に向かうということです。
理解を深める先では、本質を得ることができるのです。
本質を得ることによって、あなたは人生の意義を理解することができるでしょう。
人生の意義を理解することは重要です。
なぜなら、人生の意義を理解することこそが、人生を豊かにする唯一の方法であるからです。
人生の意義を知ることなく、人生を豊かにすることはできません。
人生の意義とは、人生の目的のことです。
目的を知らずに時間を過ごしたところで、あなたは満足を得ることはできないのです。
人生を豊かなものにするためには、人生の意義を必要とします。
そのためには、理解を深める必要があるのです。
理解を深めるためには、”それ”と深く向き合う必要があります。
深く向き合うとは、”それ”のすべてを観察するということなのです。
多くの人は、理解を深めようとはしません。
なぜなら、多くの人は偏見によって”それ”を観察するからです。
自分にとって都合の良いものを見ようと努める一方、自分にとって都合の悪いものには目を背けるのです。
また、その逆もあるでしょう。
多くの人は、偏見によって物事を見ています。
それでは、一部を見ることはできても、全体を観ることはできません。
一部を見るだけでは、理解を深めることはできません。
理解を深めるためには、どうしても全体を観ることが必要なのです。
すべてには、陰陽の仕組みが備わっています。
すべてのものに、陰と陽の性質が備わり、互いが交わることによって輪郭(りんかく)を成すのです。
あなたが何かを認識することができるのは、陰陽の交わりを見ているからなのです。
あなたはどのようなものに対しても、善悪を認めることができるでしょう。
すべてのものには一長一短が備わっているのが自然なのです。
しかしながら、多くの人はそのことを認めません。
善を見ても、悪は見ないのです。
その結果、善という名の偏見によって悪事を働くことになるのです。
偏りは、破滅的な結果を導きます。
陰と陽の二つの性質を受け入れなければ、本質に辿り着くことはできません。
あなたは、偏見に陥ってはなりません。
それは、強欲の業(わざ)であるからです。
片目で歩む者は、道を踏み外してしまうでしょう。
あなたは片目に注意しなければなりません。
偏見によって、あなたは片目に陥ります。
片目では、盲目(もうもく)であるのです。
多くの人は、偏見によって豊かさを得られると考えています。
しかしながら、自分ではそれを偏見とは考えません。
多くの人は、偏見を正義感や善行だと考えているのです。
善も、単体では悪事を働きます。
悪も同じです。
善悪の支え合いによって初めて、善事が行われるということを理解しましょう。
知恵に乏しい者は、悪事を働きます。
無知である者は、悪事を働くことしかできないのです。
悪事を働く者は、偏見に陥っています。
理解を深めることによって知恵を得ることができます。
知恵の豊かな者は、善事を働きます。
それは、物事の本質を得ているからです。
自分が何をしているのか?
どこへ向かっているのか?ということを知っているのです。
あなたは理解を深めるために、偏見を手放しましょう。
矯正(きょうせい)しなければ、人は偏見に従います。
そのため、すべての人が偏見に陥っているのです。
偏見を手放し、理解を深めましょう。
片目で見てはなりません。
両目で観ましょう。

2017年9月29日金曜日

違うこと

大切なのは、豊かさを実現することです。
すべての人は、幸福を得るために生まれました。
すべての人は、幸福を生きる必要があるのです。
しかしながら、多くの人は乏しさを実現しています。
多くの人は幸福を得るために生まれたにもかかわらず、不幸を得ています。
多くの人は、幸福を生きる必要があるにもかかわらず、不幸を生きているのです。
あなたは、自らの人生が豊かだと思いますか?
それとも、乏しいと思っていますか?
残念ながら、多くの人は乏しさを生きているのです。
多くの人が、不満を抱き、文句を吐いています。
様々なものを拒絶し、様々な悩みを抱えています。
多くの人は、そのような現実を生きているのです。
それは、人生の目的ではありません。
先述(せんじゅつ)したように、あなたは幸福を得るために生まれたのです。
豊かさを実現する必要があるのです。
それが人生の目的です。
人生は、不幸になるためにあるのではありません。
乏しさを得るために生きているのではないのです。
あなたの目指すべきは豊かさです。
あなたは、人生の目的が豊かさにあるということを覚えておきましょう。
豊かさを実現するためには、協力する必要があります。
豊かさの本質とは可能性です。
可能性とは、協調と調和によって導かれるのです。
そのため、協力することがなければ、豊かさを実現することはできないのです。
多くの人は、非協力的です。
多くの人は、不調和を生きているのです。
それは、互いに奪い合うという選択をしているからです。
協力とは、互いに与え合うことです。
互いに奪い合えば、そこには争いが導かれます。
争いによっては、互いに疲弊(ひへい)する以外に方法はないのです。
奪い合えば、必ず乏しさに向かうのです。
多くの人は互いに奪い合っています。
不満も文句も、拒絶も悩みも、奪い合うことによって導かれるのです。
互いに与え合えば、満足と感謝、そして、受諾(じゅだく)と目標が導かれるのです。
しかしながら、多くの人は自分が何をしているのか?を知りません。
多くの人は、自分が他者と協力関係にあると考えているのです。
多くの人は、他者と同じことをしようと考えます。
そして、他者と同じことをするのです。
多くの人は、それを協力と考えています。
残念ながら、他者と同じことをするのは協力ではありません。
他者と同じことをするというのは、一つの立場や利益を奪い合うということだからです。
同じことをするのは、決して協力ではありません。
真の協力とは、他者と別のことをすることによって、互いに支え合う状態を築くということだからです。
多くの人は、他者と同じことをしているために、一つのものを奪い合っています。
そのため、不満や文句や拒絶や悩みが導かれるのです。
それは、当然の結果なのです。
幸福も豊かさも、他者と別のことをしなければ実現しません。
それは、それぞれに与えられた役割が異なるからです。
人生の目的はそれぞれに異なります。
豊かさや幸福の意味もそれぞれに異なるのです。
そのため、それぞれが別々のことをするのが自然です。
しかしながら、人の世は、それぞれが同じことをしようとしている不自然な状態なのです。
奪い合って幸福や豊かさを実現することはできません。
奪い合うことに能力を費やしてはなりません。
あなたが豊かさを欲しているのであれば、与え合うことに能力を活用しましょう。
同じことをすれば、奪い合う以外に方法はなくなります。
違うことをすれば、与え合うことができるのです。
自分自身に対して素直に生きれば(やりたいことをやる)、あなたは誰かと何かを奪い合う必要がなくなります。
自分自身に対して素直に生きれば、あなたは誰かと何かを与え合う必要ができるでしょう。

2017年9月28日木曜日

より良く成り、より良いものを遺す

すべての人は、成長することを目的として生まれました。
すべての人は、成長を志(こころざ)し、それを実現しなければなりません。
成長とは、より良く成るということです。
あなたは、より良く成る必要があるのです。
より良く成るということは、より良いものを生み出すということです。
あなたは、より良いものを遺さなければならないのです。
あなたは、より良く成ろうと志しているでしょうか?
そして、より良いものを遺そうとしているでしょうか?
残念ながら、多くの人は志を持たずに生きています。
多くの人は、より良く成ろうとは考えていません。
多くの人は、偽りの満足に捕らわれ、それを手放すことを恐れているのです。
そのためより良くなるという変化を求めはしません。
現状で得られる満足が形を変えないように、現状維持を図るのです。
より良く成ることがなければ、より良いものを生み出すことはできません。
あなたの人生の目的は成長することであり、満足は、より良いものを生み出すことによって得られるのです。
現状維持によって得られるものは、真の満足ではないのです。
偽りの満足は、やがて大きな問題として表面化するようになります。
満足だと思っていたものによって、苦悩を得るようになるのです。
それは、人生の目的に反した結果なのです。
人生の目的に従って生きることによって、人は豊かさを覚えます。
しかしながら、人生の目的に反すれば、人は乏しさを覚えるのです。
残念ながら、自分勝手に幸せを得ることのできる人はいないのです。
あなたが幸せを手にするためには、より良いものを遺す必要があるということなのです。
あなたは、より良く成る必要があり、より良いものを遺す必要があります。
そのことを覚えておかなければなりません。
しかしながら、多くの人はそのことを忘れてしまいます。
志を失った者は、同時に主体性を失います。
主体性を失った者は、誰かや何かに依存することによって、幸福を得ようと考えるのです。
しかしながら、そのような方法によって幸福を得た人はいません。
それは、誰かや何かに依存することによっては、より良く成ることも、より良いものを遺すこともできないからです。
多くの人は、教えを覚えることによって成長することができると考えます。
残念ながら、教えを覚えることによって成長することはできません。
多くの人は、教えを伝えることによって成長することができると考えます。
残念ながら、教えを伝えることによって成長することはできません。
多くの人は、教えを真似することによって成長することができると考えます。
残念ながら、教えを真似することによって成長することはできないのです。
大切なのは、より良く成り、より良いものを遺すということです。
教えをそのままの形にとどめているのであれば、それは成長とは成り得ないのです。
変化することこそが成長です。
あなたは、古い教えをそのまま守ってはなりません。
古い教えにそのまま従ってはならないのです。
その教えが的を得ていようが、そのままの形にとどめてはならないのです。
教えを、食物のように噛(か)み砕き、それを力に変える必要があるのです。
食物をそのまま飾っておけば、腐ってしまいます。
それでは価値を粗末にしているようなものなのです。
教えをそのまま飾っておいてはなりません。
教えは、それを自分なりの解釈や体験に変えていかなければならないのです。
そのため、型にはまった方法に執着してはならないのです。
型にはめれば、それ以上にはならないからです。
あなたは覚えておかなければなりません。
あなたは、より良く成り、より良いものを遺す必要があるのです。
教えを大層なものと思い込んで、それを飾っていてはなりません。
それは、より粗悪な人を作り、より粗悪なものを遺すことになるからです。
志を失ってはなりません。
謙虚(けんきょ)に誠実に生きましょう。
より良く成り、より良いものを遺すのです。

2017年9月27日水曜日

自分の欠片

あなたの目的は、成長することにあります。
あなたは、この人生において、自らを成長させるための時間を過ごしているのです。
すべての経験は、自分を知るための学びです。
あなたが成長するということは、自分を知るということなのです。
自分を知ることによって、あなたは成長することができます。
自分を知らない者は、成長を知らないのです。
自分を知らない者は、成長が乏しく、多くの問題を引き起こし、多くの苦悩を抱えていることでしょう。
すべての人が幸福を求めています。
すべての人が豊かな人生を望んでいるのです。
幸福も豊かさも、それぞれの形が存在し、同じものとして扱うことはできません。
しかしながら、幸福感や充足感というものは、それぞれに共通しているものなのです。
それを幸福や豊かさと呼ぶのです。
人は、それぞれの幸福感や充足感を得るために生きているのです。
すべては、成長のためなのです。
あなたは自分を知らなければなりません。
しかしながら、あなたは自分を直接的に認識することができません。
すべての存在は、”自分”というものを直接的に認識することができないのです。
それは、それが自分だからです。
あなたに認識することができるのは、自分以外の存在です。
残念ながら、あなたは自分だけは直接的に認識することができないのです。
そのため、あなたは自分以外の存在を観察することによって、自分という存在を推測(すいそく)する必要があるのです。
あなたは、自分以外の存在によって、自分という存在を間接的に認識することができるのです。
あなたが自分を知り、人生に幸福と豊かさを実現するためには、自分以外の存在を観察し、それ等に対する認識を深める必要があるのです。
認識の対象を限定しては、自分を知ることはできません。
なぜなら、どのような対象も、必ず自分を映しているからです。
あなたは、どのような対象からも、自分を知るヒントを得ることができるのです。
自分以外の存在は、自分の欠片(かけら)であるということを知らなければならないのです。
多くの人は、自分にとって良いものを見ようと努めています。
美しいと思うものを求めているのです。
それが悪いことだとは言いません。
しかしながら、それは自分の一面を見ようとしているに過ぎないのです。
残念ながら、あなたは良い人ではありません。
残念ながら、あなたは美しくはないのです。
残念ながら、あなたは歪んだ人でもあります。
残念ながら、あなたは醜(みにく)くもあるのです。
光と共に影が存在しているように、あなたは善と悪、美と醜(しゅう)によって構成されているのです。
自分を知るということは、自分の善と悪、美と醜を知るということです。
そのため、良いものを見ようと努め、美しいものを求めているのであれば、自分の虚像を認識することになるのです。
自分に対する認識が間違っているのであれば、人生における選択も間違うことになります。
それは、問題を引き起こす選択をするということなのです。
多くの人は問題を抱えています。
多くの人は、苦悩と共に生きているのです。
それは、偏見によって自分以外の存在を選別しているということを意味しているのです。
正しい認識とは、全体への理解によって実現します。
一部だけを見て、理解を得ることなどできるはずがないのです。
多くの人は、欲望に従って自分にとって都合の良いものや、自分にとって美しいものを好み、それだけを見ようとしています。
そして、自分にとって都合の悪いものや、自分にとって醜いものを嫌い、それ等から目を背けるのです。
この世界には、陰陽の仕組みが存在し、一つの対象には、それに対峙する対極の性質が存在するのです。
陽を求めるのであれば、同時に陰を求める必要があるでしょう。
偏見は幸福や豊かさには繋がりません。
人は、”片足”で歩むことはできないのです。
陰と陽の二つの性質を大切にすることによって、初めて歩むことができるのです。
美しいものだけを追い求めてはなりません。
醜いものによっても学ぶことは多いのです。
自分の欠片を集めましょう。
そして、成長を実現しましょう。

2017年9月26日火曜日

毒と良薬

すべての人は道を進んでいます。
それは、人生の目的地への道のりです。
すべての人は目的を以(もっ)て人生に生まれます。
すべての人は、目的を果たすことを使命としているのです。
そのため、人は目的地に向かって歩みを進めるのです。
しかしながら、多くの人は、人生の目的を見失っています。
多くの人は、どこへ向かって歩みを進めて良いかを知らないのです。
そのため、誰かのように歩もうと試みます。
誰かのように歩むことを非難しているのではありませんが、誰かの目的地とあなたの目的地は似て非なるものなのです。
あなたはあなただけの目的地を目指しています。
他者は、他者の目的地があるのです。
人は、それぞれの目的地に向かって歩みを進める必要があるのです。
大切なのは、自らの目的を知ることです。
人生に対する目的を知らなければ、目的地を知ることもありません。
目的地を知らなければ、歩みを進めることもできないのです。
多くの人は人生の目的を見失っています。
そして、自らの目指すべき目的地を知りません。
そのため、歩んでいるように思っていたとしても、先へ進むことができていないのです。
あなたは日々を消費していますが、人生が確実に展開していると感じているでしょうか?
人生が展開しているというのは、成長を実感しているということです。
成長を実感しているということは、人生がどのような展開をしようとも、それに充足しているということなのです。
目の前の状況に対して、満足することができない者は、成長してはいません。
不満に捕らわれるということは、それだけ狭量(きょうりょう)であるということだからです。
どのような状況に対しても充足することができる人は、目的地へと向かって進んでいることでしょう。
あなたが人生の目的を知り、目的地へと向かって歩みを進めたいと考えているのであれば、人生がどのように展開しようとも、そこに充足感を得るような意思選択を行えることが求められるのです。
充足感を得るためには、器量(きりょう)が必要です。
広量(こうりょう)でなければ、目の前の状況に対して充足感を得ることはできないのです。
なぜなら、人生は思い通りには展開しないからです。
人生は、あなたの期待を裏切り続けます。
そのような展開に充足感を得るためには、狭量ではならないのです。
”器”を育てるためには、目の前の状況に対して真摯(しんし)に向き合う以外に方法はありません。
不満を抱き、心を汚しているような”暇(ひま)”はないのです。
不満を選択しても、満足を選択しても、時間の消費は同じです。
不満を選択すれば、狭量のために時間を使うことになります。
満足を選択すれば、広量のために時間を使うことになるのです。
少しずつ汚していけば、器は価値を失います。
少しずつ磨いていけば、器は価値を増すのです。
選択は、確実に積み重なるのです。
人生に豊かさを求めているのであれば、器を磨くことに時間を使いましょう。
時間を大切に扱わなければなりません。
あなたが器を磨くことを選択すれば、自ずとその時間は充実したものになるのです。
充実した時間を過ごしていれば、あなたは自分の人生の目的を知ることができるでしょう。
人生の目的を知れば、目的地を知ることができます。
目的地を知ることができれば、どのように歩みを進めるのかの目処(めど)が立つのです。
そのような人の人生には、迷いがありません。
迷いがなければ、悩みもないのです。
苦悩を欲するのであれば、不満を選択しましょう。
不満は多くの問題を引き起こしますが、多くの人はそのことを理解しないのです。
多くの人は、余りにも簡単に不満を選択します。
それが、器を汚しているということには気が付かないのです。
汚れた器に何を注いでも、それは毒となるでしょう。
狭量な者は、どのような状況を前にしても苦しむのです。
それは、器が汚れているからです。
しかしながら、それを誰かや何かのせいにしているのです。
あなたは器を磨かなければなりません。
そうすれば、不満を抱くことも無くなるでしょう。
狭量な者は毒を飲み、広量な者は良薬を飲むということを覚えておきましょう。

2017年9月25日月曜日

立場

すべての人は立場を得ています。
人は、立場に従って行わなければなりません。
誰も、立場に逆らうことはできないのです。
立場とは、あなたの主人であり、あなたは立場の僕(しもべ)であるということを覚えておきましょう。
あなたは、立場に従って行わなければなりません。
立場に従って行うとは、その仕事を全(まっと)うするということなのです。
人は、それぞれに立場を持ちますが、そこで与えられている仕事を立派に果たさなければなりません。
ただこなすのではありません。
立派に果たすのです。
立場に逆らっているのであれば、その仕事を全うすることはできません。
自らが置かれている立場がどのようなものであろうとも、あなたはそれに真摯(しんし)に向き合う必要があるのです。
気に入るか、気に食わないかは、思い込みによって異なります。
気に入るかどうかは、偏見によって決められていることなのです。
そのため、気に入るかどうかで判断しているのであれば、あなたは立場に苦しむことになるでしょう。
人は、必要があって、その立場を与えらえれています。
それを拒絶することは、人生の必要を拒絶するということです。
それは、成長のために必要な学びを拒絶するということであるのです。
成長のために必要な学びを拒絶するのであれば、人が豊かな人生を生きることはできません。
豊かな人生とは、豊かな自分によって導かれるのです。
拒絶を用いる者は豊かではありません。
拒絶を用いてはならないということではありませんが、気に入るかどうかで拒絶をしているのであれば、豊かさを得ることはできないということなのです。
大切なのは、立場に従うことです。
そこには、必要な学びが導かれるのです。
そして、他者も自らの立場を学んでいるということを理解する必要があるのです。
人には、それぞれに立場が存在するのです。
立場を持たない人はいません。
すべての人が、それぞれに相応しい立場を得ているのです。
人は、互いに立場に従っています。
それは、仕方のないことなのです。
あなたが立場に従わなければならないように、他者も自らの置かれた立場に従う必要があります。
それは、そこに学びが存在しているからです。
あなたは、現在の立場に不満を抱えてはなりません。
気に入らないかも知れませんが、それが今のあなたにとっては相応しく、必要な学びなのです。
現在の立場を拒絶して、より良い立場を求めたとしても、それが導かれることはありません。
なぜなら、その立場は自らに相応しいからです。
人の判断は未熟です。
あなたは自分や他者に相応しい立場を探してはなりません。
自分が苦しい立場にあろうとも、それが相応しいのです。
他者が羨(うらや)ましい立場にあったとしても、それが相応しいのです。
大切なのは、立場に拘(こだわ)ることではありません。
立場とは、学びを導く環境に過ぎないのです。
あなたは、より良い立場を求めて方方(ほうぼう)を駆け回る必要はないのです。
自分は自分に相応しい立場を得ており、他者は他者に相応しい立場を得ているのです。
自分の立場を拒絶し、他者の立場を羨む必要はありません。
立場などというものは、必要に応じて変化するものです。
それにいつまでも執着しているのであれば、変化に取り残されてしまうのです。
停滞は乏しさを導きます。
豊かな人生を生きるためには、変化を受け入れる必要があるのです。
変化を受け入れるというのは、現状を受け入れるということです。
現状を受け入れることのできない者には、変化を受け入れることはできないのです。
なぜなら、変化は次の現状であるからです。
現状を拒絶する者は、別の現状であっても同じように拒絶するのです。
あなたは、誰もが立場に従っているということを覚えておきましょう。
それぞれには、相応しい分際(ぶんざい)というものがあります。
人の立場とは、自らの分際を越えないのです。
あなたはこの世界において、”自分”というものを学んでいます。
そのため、すべての人が置かれた立場に従う必要があるのです。
あなたは、自らの立場を弁(わきま)えましょう。
そして、他者の立場を考慮して察する必要があるのです。
その立場でなければ学ぶことのできないことがあります。
人は、それを得ようとしているのです。
覚えておきましょう。

2017年9月24日日曜日

純粋な歩み

すべての人の人生には目的が存在します。
人は、人生を無駄に生きているのではありません。
すべての人は、生まれた瞬間から死へと向かって生きているのです。
人は、虚しい死のために生まれ、生きているのではないのです。
人は、その死を意味のあるものにするために生まれ、生きているということを覚えておきましょう。
人は、豊かな死のために生きているのです。
死を豊かなものにするためには、生を豊かなものにしなければなりません。
豊かに生きることによって、豊かに死ぬことができるのです。
あなたが豊かに生きるためには、人生の目的を果たすことが求められます。
人生の目的を果たすことなく、豊かな死を迎えることはできないのです。
人は、豊かな死に向かって歩みます。
あなたが人生という道を進んでいるのは、豊かな死という目的地が存在しているからなのです。
あなたは豊かな死に向かって歩みを進めなければなりません。
しかしながら、ただ歩んでいるだけでは、豊かな死に辿り着くことはできません。
出鱈目(でたらめ)に歩みを進めたところで、目的地には辿り着くことができないのです。
目的地に辿り着くためには、目的地へ向かって歩みを進める必要があるのです。
途方も無く歩んだところで、あなたが豊かに死ぬことはできないのです。
しかしながら、多くの人は出鱈目に歩みを進めています。
歩み続けていれば、目的地に辿り着くことができると信じているのです。
残念ながら、因果の仕組みの存在するこの世界においては、そのような奇跡は起き得ません。
出鱈目に歩みを進めていれば、途方を失うことになるのです。
豊かな死に辿り着くためには、豊かな生き方という原因が必要です。
豊かに生きていない者が、豊かな死に辿り着くことはできないのです。
人は、豊かに生きることもできれば、乏しく生きることもできます。
どうするかは、あなた次第なのです。
取捨選択(しゅしゃせんたく)によって、あなたはどの道に歩みを進めるのかを決めるでしょう。
あなたは選択しなければなりません。
ただし、これは自我意識に任せるということではありません。
多くの人は、選択とは、自分で選ぶことだと考えます。
確かに、選択はあなたの決断によって行われます。
大切なのは、選び方なのです。
多くの人は、自分の考えによって取捨選択します。
自分の考えとは、自分の利益に基づくものです。
多くの人は、自分の利益に繋がると考えるものを選択するのです。
利益を得ることを非難しているのではありません。
あなたは、利益を追求しなければなりません。
ただし、自分という自我意識の考える利益とは、真の利益ではなく、歪んでいるのが普通なのです。
すべての人が未熟であり、歪んでいます。
未熟者の考える自分とは、弱く、歪んだ存在のことなのです。
弱く、歪んだ存在の求める利益とは、その弱さや歪みを慰(なぐさ)めるためのものに過ぎません。
苦悩を選択する人が、強い酒を喜んでいるようなものです。
それは、真の利益ではありません。
なぜなら、強い酒によって、その苦悩は増すことになるからです。
あなたが豊かな死を望んでいるのであれば、純粋に道を求めることです。
純粋に道を求めるということは、結果を追い求めず、原因を追い求めるということなのです。
多くの人は、結果を追い求めています。
それは、自我意識による欲望の選択です。
そこには、雑念が入り込んでいます。
あなたは、ただ道の探求を求めれば良いのです。
好きなことを楽しく探求すれば良いのです。
そうすれば、最善の結果を受け取ることができます。
金を追い求める者は却(かえ)って貧乏に陥(おちい)り、健康を追い求める者は却って病を得ます。
他者を追い求める者は却って孤立を強いられ、生を追い求める者は却って死を受けるのです。
結果は原因によって導かれます。
結果を追い求めてはなりません。
純粋に、道を探求しましょう。
純粋に歩みましょう。

2017年9月23日土曜日

豊かさか乏しさか

この世界には、豊かに生きる人と、乏しく生きる人がいます。
人は、豊かに生きるか、乏しく生きるのかを決めることができます。
残念ながら、人はどちらかを選ばなければならないのです。
豊かに生きるというのは、満足して生きるということです。
現状に対して満足し、感謝して生きることを豊かさと言うのです。
贅沢な暮らしのことではありません。
贅沢な暮らしをしている人であっても、乏しく生きている人はいるのです。
乏しく生きるというのは、不満を以(もっ)て生きるということです。
現状に対して不満を抱き、文句を吐いて生きることを乏しさと言うのです。
この世界には、感謝する人と、文句を吐く人がいるということなのです。
感謝する人は文句を吐きません。
文句を吐く人は感謝をしないのです。
この二つの状態を同時に生きることのできる人はいません。
あなたは感謝することか、文句を吐くことかを選ばなければならないのです。
豊かに生きる人は感謝をしています。
現状に対して感謝することができる人というのは、可能性を見出しているのです。
可能性を見出す人は、可能性を得ることができます。
豊かさとは、可能性のことなのです。
すべての人が可能性を豊かさと感じるのです。
乏しく生きる人は文句を吐いています。
現状に対して文句を吐いている人というのは、可能性を見失っているのです。
可能性を見失っている人は、可能性を失います。
乏しさとは、可能性を失った絶望のことなのです。
すべての人が、絶望を乏しさと感じるのです。
豊かに生きたいと考えている人は、現状に対して感謝をしましょう。
そうすれば、どのような現状に対しても可能性を見出すことが許されます。
乏しく生きたいと考えている人は、現状に対して文句を吐きましょう。
そうすれば、どのような現状に対しても可能性を見失うことが許されるでしょう。
人は、どちらかを選ばなければなりません。
しかしながら、あなたは好きな方を選ぶことができるのです。
豊かに生きる人と、乏しく生きる人がいるのは、どちらかを選ぶことができるからです。
生まれや環境や状況を言い訳とすることはできません。
なぜなら、それ等に恵まれていない人であっても、豊かに生きることができるからです。
それ等に恵まれていようが、乏しく生きる人もいるのです。
人生とは、自分自身の選択なのです。
結果に違いがあるのは、原因に違いがあるからです。
それ以外の理由はありません。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
そのため、奇跡というものは存在しません。
すべての結果には、それに相応しい原因が存在しています。
豊かに生きる人は、感謝という原因を所有し、乏しく生きる人は、文句という原因を所有しているに過ぎないのです。
単純な理由によって、人は人生を決めているのです。
あなたが乏しさを感じ、豊かに生きたいと考えているのであれば、文句をやめて感謝すれば良いだけなのです。
ただそれだけのことなのです。
しかしながら、多くの人は難しく考えます。
特別な場所で、特別なことをすれば、人生が豊かになると思い込んでいるのです。
残念ながら、人が乏しく生きることになったのは、特別な場所で特別なことをしたからではありません。
乏しく生きることになったのが特別な方法ではないのに、どうして豊かに生きるために特別な方法が必要だと考えるのでしょうか?
あなたは、冷静に考えるべきなのです。
あなたが乏しさを感じているのであれば、それは日常によってそうなったのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、日常によってそれを実現することができるのです。
原因を変えることによって、結果は変わります。
原因に相応しくない結果など、決して導かれはしないのです。
原因とは、あなたの選択です。
あなたの言動こそが、人生を築いているのです。
誠実に、真摯(しんし)に生活すれば良いのです。
豊かな人生にとって、それ以外の方法は必要ではありません。
豊かさか乏しさを、感謝か文句によって選びましょう。

2017年9月22日金曜日

豊かな時間

人生を豊かなものにするためには、時間を大切に扱わなければなりません。
残念ながら、時間は有限です。
あなたには、必要な時間が与えられてはいますが、無駄に多くの時間が与えられてはいないのです。
多くの人は、時間の重要性を理解してはいません。
多くの人は、時間を有効に活用することができずに、退屈に時を過ごしているのです。
多くの人にとって、時間は有り余る荷物に過ぎません。
多くの人は、時間を持て余しているのです。
そのため、決断に遅れます。
多くの人は、決断を遅くしています。
それは、時間に余裕を持ち過ぎているからです。
普段から暇を感じている人は、時間に価値を見出すことができません。
そのため、決断を遅くすることが可能です。
しかしながら、何かしらの目的に向かって邁進(まいしん)している人にとっては、時間は貴重な財産です。
目的を持っている人は、時間よりも価値のあるものを知らないでしょう。
それは、時間がなければ、どのような目的も実現することができないからです。
目的を持っている人は、時間の価値を知っているために、決断を早くします。
そのような人が、時間を持て余すようなことはありません。
暇を感じることもないのです。
この世界には、時間に価値を見出す人と、時間には価値を見出さない人が存在しています。
それぞれの違いは、決断に対する時間の使い方です。
先述(せんじゅつ)したように、時間に価値を見出す人は決断を早くします。
一方、時間に価値を見出さない人は決断を遅くするのです。
人生の豊かさを考えた時には、変化というものが必要だと気が付きます。
変化することによって、人は豊かさへと向かって軌道修正することができるのです。
すべての人が無知であり、未熟です。
無知であり、未熟な者が向かうのは乏しさです。
そのまま進めば、確実に乏しさに辿り着くのです。
そこで、豊かさへと辿り着くためには、変化による軌道修正が必要不可欠であるのです。
人は、変化することによって、より良い方向性を得ることができるのです。
変化を実現するためには、変化に対する決断が必要です。
変化に対する決断を下すためには、時間に対する価値を見出す必要があるのです。
時間に対して価値を見出すことのない者は、変化を求めません。
変化を求めるのは、時間に価値を見出した者だけなのです。
死を意識する者は、時間の価値を見出すことができます。
時間の価値を見出した者は、その前に自分自身の無知と未熟さを知るのです。
時間に価値を見出した者は、このままでは死ぬことができないと思います。
それは、後悔することを悟るからです。
制限時間の存在を知れば、人はより良いものを残そうと考えるのです。
しかしながら、時間が無限に存在すると思えば、怠慢(たいまん)に過ごすでしょう。
あなたは、人生を怠慢に過ごしてはなりません。
あなたは常に死へと向かって進んでいるのです。
常に制限時間は迫っているのです。
あなたは、自分が何をしているのかを知らなければなりません。
多くの人は、自分が何をしているのかを知りません。
そのため、無益に時を過ごします。
自分が何をしているのかを知らない者は、貴重な時間を後悔を得るために費やしているのです。
あなたは、そのような時間の使い方をしてはなりません。
あなたは、今何をしているのですか?
貴重な人生の時間を、目の前の”それ”に費やしても良いのですか?
深く考えなければなりません。
あなたが深く考えて、貴重な時間を投資するだけの価値があると思えたなら、それはあなたを豊かさへと導く指標となることでしょう。
時間は無限に使える訳ではありません。
後悔のために時間を費やしてはなりません。
懸命に生きましょう。
そうすれば、時間を持て余すことはありません。
暇を感じて生きてはなりません。
休むにしても、そこに暇を感じてはならないのです。
休むために時間を使いましょう。
働くために時間を使いましょう。
遊ぶために時間を使いましょう。
豊かな人生のために時間を使いましょう。

2017年9月21日木曜日

分際に従う

あなたは、満足のできる生き方をしなければなりません。
人生において大切なのは、満足することです。
どのような状況であろうとも、それに満足することが重要なことなのです。
これは、泣き寝入りをしろということではありません。
どのような状況においても、あなたを満足させる視点があり、あなたを成長させるための学びが存在します。
それを見出せということなのです。
この世界には、無意味なことは存在しません。
すべてが重要な意味を以(もっ)て目の前に現れるのです。
それを理解することができれば、人は満足を得ることができるのです。
多くの人は、不満の中に生きています。
多くの人は、満足のできる生き方をしてはいません。
不満とは、我慢によって生じます。
しかしながら、我慢は大切なものであり、それを否定しているのではありません。
大切なのは、自分のやりたいことをするということなのです。
自分のやりたいことをしているのであれば、我慢も必要です。
自分のやりたいことをしている中での我慢からは、不満は生じないのです。
多くの人が不満を抱いているのは、自分がやりたいこと自体を我慢しているからなのです。
人には、それぞれに与えられた分際というものがあります。
それは、役割に付属しているのです。
すべての人が、この世界における重要な役割を担っているのです。
その役割を果たすためには、分際に付き従わなければならないのです。
しかしながら、多くの人は、自分の分際を弁(わきま)えません。
多くの人は、自らの担っている役割を忘れているのです。
そのため、分不相応(ぶんふそうおう)な生き方をします。
分際に相応しくない生き方によっては、自分のやりたいことをすることはできません。
自分のやりたいことをすることができなければ、満足することはできないのです。
あなたは、自らの分際を弁えなければなりません。
あなたには、自分のやりたいことがあるはずです。
余計な我慢によって、自分のやりたいことを否定してはならないのです。
人生においては、自分のやりたいことを我慢してはならないのです。
分際に付き従えば、あなたは自分のやりたいことをして生きるでしょう。
それが、満足のできる生き方なのです。
あなたは満足のできる生き方をしていますか?
分際に反する生き方を続けてはなりません。
満足の形はそれぞれに異なります。
あなたは、自らの分際に従った生き方をしなければならないのです。
あなたがこの人生において本当にやりたいことは何ですか?
我慢している時間はないのです。
残念ながら、あなたに与えられた時間には余裕がないのです。
それは、この世界には、無駄が存在しないからです。
不満を抱えながら生きるのは得策とはいえません。
そのような生き方を続けていれば、満足のできる人生からは遠ざかってしまうのです。
満足のできる人生とは、幸福のことです。
あなたの幸福は、自分のやりたいことをすることによってのみ実現するのです。
多くの人は、自分のやりたいことを我慢しても、幸福が得られると考えています。
しかし、残念ながら、誰かや何かによって幸福が実現することはありません。
誰かや何かに幸福を頼ったとしても、一時的にはそのような気分を味わうこともできるでしょうが、すぐにそれが思い込みであったということに気付かされるのです。
塗装(とそう)は必ず剥(は)がれます。
自分のやりたいことを我慢しても、決して幸福を得ることはできないのです。
あなたは、自分のやりたいことをしていますか?
現在の生き方に満足していますか?
不満を吐いているのであれば、あなたは自分のやりたいことをしてはいません。
自分のやりたいことをしている時には、その行為が自発的であるために、どのような苦労や苦悩も不満に思うことはありません。
人生に残された時間には限りがあります。
不満を手放し、後悔しないように生きましょう。

2017年9月20日水曜日

幸福への道のり

あなたは、幸福について考え続けなければなりません。
すべての人は、幸福を求めています。
幸福の形はそれぞれに異なりますが、誰もが自分の幸福を目指しているのです。
すべての人が幸福を得るために活動しています。
すべての人が、自らの幸福のための選択を続けているのです。
幸福の形が異なるため、選択も異なるのが自然です。
そのため、誰かのように選択することが、あなたの幸福とは限りません。
幸福への道のりは、一つではないのです。
目指す幸福によって、その道のりは異なります。
しかしながら、幸福に辿り着くためには、自分勝手であってはならないということだけは共通していることなのです。
多くの人は、自らの幸福を求める余り、利己的な考え方に陥ってしまいます。
多くの人は、幸福を焦ります。
多くの人は、幸福を得るために必死なのです。
そのため、どうしても、自分の考える最短の道のりを選ぶようになるのです。
残念ながら、すべての人が未熟です。
誰も、幸福への近道を知りません。
なぜなら、誰もが幸福へ到達してはいないからです。
辿り着いたこともない者が、その道のりを知ることはできません。
多くの人の考える幸福への道のりは、推測(すいそく)に過ぎません。
そのため、その道のりが幸福へと続いているかは分からないのです。
しかしながら、多くの人は自らの推測を信じて疑いません。
多くの人は、自分の選択が正しいと考えているのです。
例えば、多くの人は金持ちになることによって、幸福に辿り着くと考えています。
多くの人は、財産が欲しいのです。
しかしながら、あなたが金持ちになるためには、貧乏人を生み出す必要があります。
金持ちという状態を保つためには、貧乏人との相対的な関係性を必要とするのです。
誰もが裕福であれば、金持ちという状態を保つことはできません。
多くの貧乏な人たちの支えによって、金持ちは財産を保つことができるのです。
そのため、金持ちになることが幸福だと考えている人は、その裏では多くの貧乏な人たちを求めているということなのです。
もちろん、金持ちになることが幸福だと考えている人は、そのようなことは意識してはいません。
しかしながら、誰かが金持ちになるということは、誰かが貧乏になるということなのです。
これは、金持ちになることが悪いというのではありません。
人は、幸福を得る理由を考えなければならないのです。
金持ちになることを目指している人は、何のために金持ちになるのでしょう?
大抵の場合、その理由は利己的なものです。
欲望を満たしたいとか、貧乏の苦しみから逃れたいというのが理由であるでしょう。
それ等の理由は、自分勝手なものなのです。
残念ながら、人は自分勝手に幸福を手にすることはできません。
なぜなら、あなたは幸福までの道のりを知らないからです。
あなたが幸福に辿り着くためには、幸福までの道のりを誰かに尋(たず)ねる必要があるのです。
知らない土地に出向いた時には、その土地の人に道を聞くのが良いでしょう。
それと同じように、幸福に辿り着くためには、誰かの協力を必要としているのです。
金持ちになりたいという願いのように相対的な幸福を求めているのであれば、あなたが幸福を得るために、誰かが不幸になる必要があります。
自分勝手に道を進んだとしても、あなたは幸福へと辿り着くことはできないのです。
あなたは誰かを自分と同じように幸福にしなければなりません。
自分と他者が幸福を得る状態こそが幸福であるのです。
自分だけが幸福であったり、他者だけが幸福であるという状態は、決して幸福という状態ではありません。
誰かを犠牲にして幸福を得た人はいません。
”悪事”を働いて幸福になった人はいないのです。
あなたは、自分の幸福と同時に、相手の幸福も望みましょう。
それが、人に道を聞くということなのです。
あなたの幸福への道のりは、あなたが幸福を与えた相手から教えてもらうことができるでしょう。
あなたが不幸を与えた相手からは、不幸への道のりを教えてもらえるのです。
自分の幸福のために、誰かを不幸にしてはなりません。
自分と他者が互いに幸福を得る状態こそが、真(まこと)の幸福です。
あなたは、そのような道を進みましょう。
その道に間違いはありません。

2017年9月19日火曜日

分岐

すべての人には、熱意が与えられています。
すべての人が、熱意を所有しています。
それは、原動力です。
すべての人には、道を進む力が備わっているのです。
あなたは、熱意によって道を進むことができます。
道を進むということは、何かを探求するということです。
何を探求し、どのような道を進もうとも、それはあなたの自由です。
しかしながら、熱意の力なくしては道を進むことはできません。
あなたは熱意の力によって好きな道を進むことができるのです。
誰もが、道の上に存在します。
誰もが、何かを探求し続けているのです。
そのような意識がなくても、あなたは常に何かを学んでいるのです。
好こうが嫌おうが、あなたは道の上に存在しているということを覚えておきましょう。
大切なのは、道を進むことです。
どのような道でも構いません。
好き嫌いは気分の問題です。
それは不安定なものであり、道を進むにあたっての絶対的な理由とは成り得ません。
絶対的なことは、あなたがその道の上に存在しているということです。
その事実を覆(くつがえ)すことはできません。
好こうが嫌おうが、現状においてはその道を進んでいるのです。
その道を進んでいる時には、その道から学ばなければなりません。
現状を否定し、道から学ばずにいるのであれば、道を進むことはできません。
道を進むことをしなければ、次の道へと続く分岐(ぶんき)に辿り着くことができないのです。
人は、道の分岐に差し掛かった時に、初めて道を選ぶことができるのです。
道の分岐に差し掛かっていない者が、道を選ぶことはできません。
多くの者は、道の分岐に差し掛かってもいないにもかかわらず、道を選ぼうとしています。
どこからでも、道を変更することができると考えているのです。
残念ながら、人は自分勝手に道を進むことはできません。
決められた道を進むということではありませんが、道を作ることができない場所もあるのです。
人は、地理に従って道を作ります。
それと同じように、あなたは自分自身の学びに従って道を作ることができるのです。
自分自身の学びに関係のない場所に道を作ることは無駄です。
無駄なことはする必要がないのです。
必要のないことはできないのです。
そのため、あなたは、道の分岐を待たなければならないのです。
それは、何もしないということではありません。
道の分岐は道を進んだ先に存在しています。
そのため、あなたが道を選ぼうと思うのであれば、道を進む必要があるのです。
早く進めば、早く分岐に差し掛かることができます。
あなたの歩みを早めるのは熱意です。
人は熱意の量によって、道を早く進むことができるのです。
あなたの目の前には、あなたにとって必要な学びが導かれています。
あなたの目の前の現実は、あなたの道なのです。
それがどのようなものであろうとも、熱意を以(もっ)て向き合うことによって、歩みを早めることができるのです。
多くの人は、気に食わないことに対して熱意を失います。
それは、分岐がこの道の先に存在しているということを知らないからです。
多くの人は、いつでも道を選ぶことができると考えています。
しかしながら、それはできません。
あなたは自分勝手に何かを手放し、自分勝手に何かを手に入れることができるでしょうか?
そのようにできないのは、人生から学んでいるはずです。
すべてには”時”があるのです。
そして、すべてがあなたに相応しいのです。
”時”を満たすのは、あなたの成長です。
成長は、熱意によって実現します。
熱意を持たない者が成長することはできません。
そのため、熱意を以て目の前の現実と向き合っている者は、より豊かな道を進むことができるようになるのです。
熱意を持たず、目の前の現実に対して否定的な態度を示す者は、乏しい道から抜け出すことができないのです。
あなたは、どのような現実に対しても、熱意を以て向き合いましょう。
そうすれば、あなたはその現実から分岐する、より豊かな現実に向かって歩み出すことができるでしょう。


2017年9月18日月曜日

因果の実り

あなたは、自分が何を選択するのかを考えなければなりません。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
すべての原因はあなたから生じ、すべての結果はあなたに導かれるのです。
あなたは、自らの選択を体験するでしょう。
あなたは、自らの選択の結果を否定することはできません。
どのような選択であろうとも、その結果を受け取らなければならないのです。
結果を受け取る時になって、それを拒んでも無駄です。
あなたには、因果の仕組みを否定する力はないのです。
原因は、確実に結果を実らせます。
日光や風雨や肥料が、確実に果実を実らせるように、あなたの選択は、その結果を確実に導くのです。
因果は少しずつではありますが、確実に実ります。
しかしながら、多くの人は自分が因果を育てているということを知らないのです。
目の前の状況に対して驚愕(きょうがく)し、不満や不安を抱いているのがその証拠なのです。
あなたが自らの選択を考慮(こうりょ)しているのであれば、目の前に導かれるすべての状況が当然の結果であるということを理解することができるのです。
目の前の状況に対して驚愕し、不満や不安を抱くのは、それを予想していなかったからに他なりません。
そのような人は、自らの選択を考慮していないということなのです。
自らの選択を考慮している人は、目の前にどのような状況が導かれるのかを、ある程度、推測(すいそく)することができます。
それは、心の準備ができているということなのです。
因果の仕組みを理解し、自らの選択を考慮している人は、目の前に導かれる状況に対して、いちいち驚愕する必要も、不満や不安を抱く必要もないのです。
あなたには、どのようなタイミングによって因果が実を結ぶのかを知ることはできませんが、それは確実に実を結ぶのです。
因果は一つではなく、原因の種類に応じた結果が導かれるのです。
蜜柑(みかん)の種を蒔けば、蜜柑の木が芽吹きます。
林檎(りんご)の種を蒔けば、林檎の木が芽吹くのです。
蜜柑も林檎も、それぞれに成長します。
多くの人は、”悪いこと”をした後でも、”良いこと”によって因果を免(まぬ)れると考えます。
しかしながら、あなたが因果を免れることはありません。
”悪いこと”は悪い実を結び、”良いこと”は良い実を結ぶのです。
そのため、多くの人は”良いこと”を継続することができません。
それは、良い実を収穫する前に、悪い実を収穫しなければならないからです。
大切なのは、自分が何を選択するのかを考えることです。
原因が結果を導くのです。
悪い種を蒔かなければ、悪い実を収穫することはありません。
良い種を蒔けば、良い実を収穫することができるのです。
問題と思える状況が導かれたとしても、そこに不満や不安の感情を選択してはならないのです。
それは、問題という果実から、不満や不安などの種を取り出して蒔くようなものだからです。
問題に対して、不満や不安を抱いている人は、いずれ苦悩することになるのです。
それは、当然の結果です。
問題に対して、楽しさや希望を抱く人は、いずれ喜ぶことになるのです。
それも、当然の結果なのです。
人生は、自分の選択によって大きく変わります。
蒔く種の種類によって、あなたの畑は様変わりするのです。
悪い種を蒔けば、悪い実を収穫する畑になります。
良い種を蒔けば、良い実を収穫する畑になるのです。
良い種とは、心を清らかにする感情のことです。
不満よりも満足を、不安よりも安心を、争いよりも調和を、苦しみよりも喜びを、欲するよりも与えることを選択すれば良いのです。
状況を変えることはできなくても、心の中を変えることはできます。
特別な方法や時間や金銭は必要ありません。
ただ、辛抱強く選択し続けることだけです。
熱意さえあれば、あなたは心を変えることができるのです。
因果は確実に実ります。
あなたはそれを軽んじてはなりません。
今は問題ではないことであっても、後に必ず問題として導かれます。
一つ一つの選択は小さなことではありますが、小さなことの積み重ねこそが結果なのです。
熱意を以(もっ)て、自らの選択を考慮しましょう。

2017年9月17日日曜日

豊かに生きる人

あなたは、心を豊かに生きなければなりません。
心を豊かに生きるということは、目の前の現実を受け入れて生きるということです。
目の前の現実とは、あなたを成長させるための学びです。
それは、あなたにとっての最善なのです。
最善と共に生きることによって、人は心を豊かなものに育てることができます。
しかしながら、最善を否定し、それ以外と共に生きることによっては、人は心を乏しくさせてしまうのです。
多くの人は、目の前の現実を否定します。
現状に対して、不満や不安を抱いているのです。
それは、理想という幻想を生み出し、現実から逃避することを手伝います。
現実から離れ、理想へと近付けば、人は最善を受け取ることができなくなります。
それは、心の豊かさから遠ざかるということを意味しているのです。
多くの人は、心を乏しく生きているのが現状です。
あなたは、現状に対して、それを受け入れることができていますか?
一度手に入れたものを失うことを恐れて欲深くなり、まだ見ぬより良いものがあると思って欲深く探し回ってはいませんか?
そのような者の心は、残念ながら乏しいのです。
心の乏しい者は、小さな利益にしがみ付き、自己の儚(はかな)い権利を主張するのです。
残念ながら、心の乏しい者の執着しているものには、本当の意味での価値はありません。
心の乏しい者は、そこに価値を見出していますが、それは価値を損なう選択でしかないのです。
価値とは、可能性のことです。
可能性とは、変化であるのです。
心の乏しい者は、狭い視野の中に生きています。
そのため、小さな世界しか知らないのです。
小さな世界では、価値は限られます。
小さな世界では、限られた価値を奪い合う他ないのです。
そのため、心の貧しい者は、互いに奪い合うのです。
大切なのは、変化の数だけ価値が存在するということを知ることです。
あなたは、無限に変化することができます。
そのため、価値に限りはないのです。
人生は思い込みによって決まります。
それは、この世界には、因果の仕組みが存在しているからです。
あなたは自らの人生の原因を選択することができるのです。
心の乏しい者は、乏しい人生を生きることを選択します。
どうして、この世界には、豊かに生きる人と乏しく生きる人がいるのでしょうか?
それは、そのような選択肢があるからです。
あなたの生きる現状は、あなたの選択の結果でしかないのです。
そのため、選択を変えれば、現状が変わるのです。
あなたは、心を乏しく生きてはなりません。
あなたは、心を豊かに生きるのです。
そのためには、小さな利益にしがみ付き、自己の儚い権利を主張していてはなりません。
欲深くあってはならないのです。
心の乏しい者は、執着を所有しているために変化することができません。
変化することをしなければ、可能性は途絶えてしまうのです。
可能性こそが豊かさであるために、それを途絶えさせてはならないのです。
どのような現実であっても、それはあなたを成長させるための最善の学びです。
そのことを理解して、受け入れるのです。
損得勘定によって選択してはなりません。
それは、偏見であるからです。
あなたは、すべての現実から学びを得ることができるのです。
損得勘定で選択するのであれば、あなたの学びは偏ったものになってしまうのです。
豊かさとは、調和でもあります。
欲深い者の損得勘定は、乏しさを実現するのです。
何も心配する必要はありません。
手放すことは与えることです。
それは、あなたを成長させます。
受け取ることは度量を育みます。
価値と思えるものを手放し、問題と思えるものを受け取りましょう。
そうすれば、偏りが軽減されるでしょう。
心を豊かに生きましょう。

2017年9月16日土曜日

待つ者

あなたは、退屈な日々を過ごしてはなりません。
人生には、果たすべき目的が存在しているのです。
退屈に日々を過ごしているということは、目的に対して力を尽くしてはいないということなのです。
残念ながら、多くの人が日々を退屈に過ごしています。
あなたは充実した日々を過ごしているでしょうか?
人生に満足を得られているでしょうか?
多くの人は、不満に寄り添(そ)って生きています。
それは、人生を退屈なものにさせるのです。
多くの人が退屈な日々を過ごしています。
しかしながら、その原因が自分自身にあるということを知りません。
心をときめかせる環境や状況や他者が存在しないことが原因であると考えているのです。
残念ながら、日々を退屈に過ごしているのはあなたの原因です。
あなたが目的に対して力を尽くさず、日々を退屈に過ごすための行為に力を尽くしていることが原因なのです。
環境や状況や他者は、あなたの人生には関係のないことです。
どのような環境や状況や他者との対峙(たいじ)においても、あなたは豊かな日々を過ごすことができるのです。
人生を変えるためには、考え方と行為を変えるしかありません。
しかしながら、多くの人は自らの考え方と行為を顧(かえり)みることをしません。
それは、原因が外に存在しすると思い込んでいるからです。
環境や状況や他者を変えようとしても無駄です。
それ等のものが変わることはありません。
そして、それ等のものを変えようとしている間は、自分自身の考え方と行為は変わらないのです。
考え方と行為が変わらなければ、退屈な日々は加速していくということを覚えておきましょう。
あなたは、自らの考えた通りの人生を生きます。
そして、自らの行った通りの人生を生きるのです。
あなたが退屈な日々を過ごしているのは、あなたの考え方と行為の結果です。
すべてが合理的であり、説明することのできることなのです。
あなたは当然の結果として、そのような現状を生きているのです。
大切なのは、人生には果たすべき目的が存在するということを理解することです。
そして、それを探し続けることなのです。
日々を退屈に過ごす多くの人は、人生について、その目的について考えることがありません。
目の前の小さな損得を考えるのが精一杯なのです。
そのため、人生の目的に対して力を尽くすことができず、退屈な日々を過ごすために力を尽くしているのです。
あなたは、退屈な日々から抜け出さなければなりません。
退屈な日々を過ごしている者には自発性がありません。
そして、与えようとする気持ちが無いのです。
退屈な日々を過ごしている者は受け身です。
そのような者は多くを欲しています。
常に何かを欲しがり、少しも与えようとはしないのです。
欲しがる者は、与えてもらうまで待たなければなりません。
待つという行為は不確定であり、いつまで待つ必要があるのかも分かりません。
そのため、待つ者は退屈を得るようになるのです。
欲深い者は退屈な日々を過ごすでしょう。
何かを与えようと考える者が退屈な日々を過ごすことはありません。
それは、何かを与えるためには、何かを所有しなければならないからです。
何かを所有するためには、自発的に働かなければなりません。
働かない者は、得ることができないのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
働く者には、受け取る原因が存在します。
待つ者には、失う原因が存在するようになるのです。
退屈な日々を過ごす者は、既に失っているのです。
人生は、退屈に過ごす時間ではありません。
退屈に過ごせば、その時間の豊かさを失っているということなのです。
そして、目的を果たすための道を見失っているということでもあるのです。
あなたは退屈な日々を過ごしてはなりません。
そのためには、待っていてはなりません。
自発的に働き掛けるのです。
そうすれば、退屈を過ごすこともないでしょう。

2017年9月15日金曜日

強情

人は、豊かな人生を生きることが許されています。
すべての人が、豊かな人生を生きることができるのです。
しかしながら、初めから人生が豊かな訳ではありません。
どのような人にとっても、人生は乏しさから始まるのです。
人は、意思選択によって人生に豊かさを導きます。
意思による選択をしなければ、人生が乏しさを離れることはできないのです。
しかしながら、これは自分勝手に生きることによって豊かさが得られるということではありません。
人は自らの意思により、豊かさを選択することによって、豊かな人生を生きることができるのです。
人が乏しさを選択するのであれば、乏しい人生を生きることになるのです。
人生は常に選択を迫ります。
あなたは、常に選ばなければならないのです。
しかしながら、誰かや何かにその選択を委(ゆだ)ねることはできません。
あなたは、自分自身の意思で選択しなければならないのです。
日常のあらゆる事柄を決めているのはあなたです。
それは、すべての環境や状況も、あなたの感情によって決まるからです。
あなたが建設的である時には、どのような環境も状況も建設的であるでしょう。
あなたが破滅的である時には、どのような環境も状況も破滅的であるのです。
環境も状況も、すべてはあなたの選択です。
環境や状況の状態を決めている感情も、あなたの選択なのです。
あなたは、自分自身によって、豊かな時間を過ごすのか?乏しい時間を過ごすのか?を決めているのです。
そのことを忘れてしまえば、現状における問題を、誰かや何かのせいにしてしまうようになるのです。
現状における問題を誰かや何かのせいにしているのであれば、その問題が解決することはありません。
それは、すべての状態を決めているのが、自分自身の意思選択であるからです。
人生に豊かさを感じている人は、その選択が柔軟です。
どのような状態に対しても、現状から豊かさへの選択を行うことができます。
選択が柔軟な人は、常に豊かさに向かうように、その選択を修正することができるのです。
その一方、人生に乏しさを感じている人は、その選択が頑(かたくな)です。
目の前の状態に対して、頑に主張をし続けるのです。
そのため、選択が頑な人は、豊かさに背を向けていたとしても、その選択を続けるのです。
人生を豊かなものにするためには、現状を把握(はあく)し、何を選択するべきかを考えなければなりません。
何も考えずに、豊かな人生を生きることはできないのです。
多くの人は、人生について考えることをしません。
そのため、多くの人は目の前の損得勘定によって選択します。
損得勘定とは、利己的な感情です。
それは、頑な選択なのです。
そのような人は、必ず乏しい人生を生きることになります。
乏しい人生とは、苦悩の絶えない人生のことです。
多くの人は、頑に生きています。
それは、柔軟性を欠いた感情に従って生きているということです。
多くの人は、自分が正しいと考えて譲(ゆず)りません。
そのため、人生を豊かさへと向けることができないのです。
あなたは、人生について考察しなければなりません。
頑に意地を張らずに、変化を導きましょう。
問題は、あなたに変わることを求めているのです。
それを理解することができなければ、問題を抱え続けることになります。
問題を抱え続けるのであれば、それは大きく育ち、いずれは抱え切れないものとなるのです。
問題を抱え切れなくなった時、あなたは漸(ようや)く頑に守り続けていた意地を手放すでしょう。
理解に乏しい者は、長く苦しむ必要があります。
それは、仕方のないことではありますが、わざわざ長く苦しむ必要はないのです。
あなたは自分の意思選択によって、人生を決めているということを理解しておきましょう。
そして、目の前の状態に対して、柔軟に対応しましょう。
そうすれば、あなたは豊かさへと向かい続けることができるのです。
豊かさへ背を向けてはなりません。
頑に意地を張ってはなりません。

2017年9月14日木曜日

無理をしない

大切なのは、自然であることです。
あなたは、自然と共に生きていくのが良いのです。
自然とは、理(ことわり)のことです。
あなたが自然と共に生きるということは、理と共に生きるということなのです。
理に反して生きるということは、乏しさを得るということです。
すべての人が、理の中に存在します。
そして、それに逆らうことのできる人はいません。
理に逆らおうとすれば、乏しさが与えられるのです。
あなたが豊かな人生を求めるのであれば、理に逆らうことはできません。
理と共に生きることによって、あなたは豊かさを得ることができるのです。
理と共に生きるということは、あなたが自分の役割に従って生きるということです。
自分の役割とは、持って生まれた資質のことです。
すべての人は、特別な資質を持って生まれます。
特別とは、他よりも優れているということではありません。
それぞれの資質は他に存在しないということなのです。
あなたの資質は、あなただけが持っている財産です。
それを、誰かに譲ることも、失うこともできません。
あなたは自らの資質を抱えながら生きていくのです。
自らの資質を大切にすることによって、人は自然と成ります。
自らの資質を尊重し、それを活用することによって、人は理と共に生きることができるのです。
残念ながら、あなたの資質は、自分が求めている能力とは異なるかもしれません。
それは、あなたが自分と思っている”それ”は、後天的な自我意識であり、本当のあなたではないからです。
本来ならば、持って生まれた資質こそが、あなたにとっての自然であり、最善の能力です。
後天的な自我意識にはそのことを理解することができません。
そのため、あなたは、自らの見解が歪んでいるということを理解する必要があるのです。
多くの人は、自らの資質を理解してはいません。
そのため、多くの人が理に反して生きているのです。
そして、多くの人が問題を抱え、苦悩し、心を乏しく生きているのです。
あなたは、自分が無理をしているとは思いませんか?
心の中に苦悩を抱えているのであれば、それは無理をしているということなのです。
多くの人が無理をしているのです。
それは、多くの人が理想を追い求める姿からも理解することができます。
多くの人は、理想を実現することが豊かさだと思い込んでいます。
しかしながら、理想を実現するには無理が必要なのです。
それは、目の前の現実を否定しなければならないからです。
理想を追い求めるためには、目の前の現実を否定する必要があります。
現実を否定するからこそ、理想を追い求めることができるのです。
多くの人は、無いものを無理に欲しがっているのです。
それは、理に反する生き方です。
理は、あなたに必要な学びを導きます。
あなたには理解することができない目の前の現状も、あなたにとっては最善の学びなのです。
現実とは、苦しいものではありません。
理想を追い求めているために、現実が苦しいものとなっているのです。
理想を追い求める時には、現実を否定します。
否定しているのだから、現実は苦しいのです。
大切なのは、現実と向き合うことです。
現実とは、理によって導かれた最善です。
現実とは、あなたの自然の姿なのです。
自然と共に生きていくことによって、あなたはこの世界の理を知るでしょう。
無理をすれば、理を否定することになるのです。
あなたには、特別な資質があります。
あなたは、自分が特別な存在であるということを理解しなければなりません。
そして、目の前の現実と向き合い、それを克服しましょう。
特別な自分であれば、それが可能です。
あなたが自分自身であり、自然であり、理と共に生きていれば、どこにでも豊かさが導かれるのです。

2017年9月13日水曜日

特別な自分

あなたは、豊かな人生を望んでいるでしょう?
誰もが、豊かな人生を望んでいるのです。
すべての人が豊かな人生を生きる権利を持ち、すべての人が豊かな人生を生きることができます。
しかしながら、豊かな人生を生きるためには、豊かな人生を生きる選択をする必要があるのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
原因は、それに相応しい結果を導きます。
原因を所有していれば、結果は自然と導かれるのです。
大切なのは、豊かな人生を導く選択をすることです。
それ以外には、豊かな人生を生きる手段は存在しません。
多くの人は、豊かな人生を求めて、その手段を方方(ほうぼう)に探し求めます。
多くの人は、豊かな人生を生きる手段が、外に存在していると考えているからです。
そこで、特別な人物や場所や道具を求めるのです。
残念ながら、他者や場所や道具によって、豊かな人生が導かれるということはありません。
誰もあなたに豊かな人生を与えることはできません。
場所があなたの豊かな人生を決めるのでもありません。
道具があなたの豊かな人生を作るのでもないのです。
あなたが外に手段を探し求めている間は、豊かな人生を生きることができないということを覚えておきましょう。
豊かな人生とは、豊かな自分によって実現します。
自分自身が豊かな存在であることが、豊かな人生を生きる原因となるのです。
多くの人は、そのことを理解しません。
そのため、外に特別な何かを求めて方方を訪ね回るのです。
あなたは、内に存在する特別な自分を訪ねましょう。
すべては、あなたから始まるのです。
あなたの選択によって、人生の状態が決まるのです。
他者や場所や道具が、あなたの人生を決めているのではありません。
他者や場所や道具に触れていたとしても、人生を決めるのは自分自身なのです。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
自分自身を改めることをせずに、現状を変えることはできません。
豊かな人生という変化を求めているのであれば、豊かな自分に変化しなければならないのです。
豊かな自分とは、豊かさを感じることのできる自分です。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、目の前の現状に対して、豊かさを感じていなければなりません。
目の前の現状に対して、否定的な感情を抱いている人の選択は、人生に乏しさを導く原因となるのです。
あなたは、現状に対して否定的な感情を抱いている人が、豊かに生きているのを知っていますか?
不満や心配を抱えている人は皆、乏しく生きているのです。
人生の原因は自分自身です。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
特別な人物や場所や道具を求めてはなりません。
自分自身から目を背けるのであれば、豊かさの原因から目を背けることになるのです。
自分以外の存在が、人生を豊かなものにすることは出来ないのです。
あなたはそのことを忘れてはなりません。
人生を豊かなものにするためには、特別な手段は必要ありません。
否定的な感情を手放し、目の前に存在する豊かさに気が付くだけなのです。
豊かな人生には、”良いもの”が満ち溢れています。
乏しい人生には、”悪いもの”が満ち溢れているのです。
それを決めるのはあなたです。
あなたは、現状の中に”良いもの”を探しましょう。
人生は決して、思い通りには展開しません。
しかしながら、そこには多くの”良いもの”が存在しているのです。
もちろん、同時に”悪いもの”も存在しています。
何を抽出(ちゅうしゅつ)するかによって、何を得るかを決めるのです。
”毒”を飲んで豊かに生きる人はいません。
あなたが豊かな人生を望んでいるのであれば、自らの選択に注意しましょう。
外に助けを求めるのではなく、内に救いを求めるのです。
人生を変えるのは難しいことではありません。
あなたの思い込みを変えるだけです。
内に存在する、特別な自分を訪ねましょう。

2017年9月12日火曜日

心頭を滅する

あなたには、果たすべき目的があるのです。
そのことを忘れてはなりません。
あなたは、目的を以(もっ)て”それ”を行っているはずです。
目的はそれぞれのものであり、あなたは自分の考える目的に従えば良いでしょう。
多くの人は、自分が目的を果たすために”それ”をしているということを忘れています。
それは、状況が思い通りには進まないからです。
どのような道も、必ず問題が生じます。
問題の生じない道は存在しません。
それは、問題こそがあなたに目的を果たす力を与えるからです。
問題という抵抗が存在しなければ、あなたは道を進むことができません。
氷上を歩むことが難しいように、問題の存在しない道を歩むことは難しいのです。
問題によって、あなたは前進する力を得ているということを覚えておきましょう。
多くの人は、問題によって道を阻(はば)まれていると考えています。
問題が生じているために、道を進むことができないと思い込んでいるのです。
あなたは、それが誤解であるということを覚えておかなければなりません。
問題は存在して良いのです。
寧(むし)ろ、問題が存在しなければ困るのはあなたなのです。
多くの人は、誤解を抱いています。
問題が悪いものだと考えているのです。
そのため、問題を否定し、争います。
多くの人は、問題に対して感情を乱します。
多くの人は、問題に対して、心頭で相手をしているのです。
多くの人は、問題に対して、破滅的な感情を抱きます。
怒りや不安や悲しみといった感情によって、問題と向き合うのです。
そのような感情は、あなたの熱意を奪います。
多くの人は、自らの選択によって、道に停滞しているのです。
問題が道を阻んでいるのではありません。
あなたの選択が、道を阻んでいるのです。
自らが苦しいのを、誰かや何かのせいにしてはなりません。
あなたが苦しいのは、問題に対して心頭で相手をしているからです。
前述(ぜんじゅつ)したように、問題は存在して良いのです。
あなたが問題を目の当たりにして、心頭で相手をしなければ良いだけなのです。
冷静に対処すれば、問題から多くのことを学ぶことができます。
あなたが問題の存在を認めるのであれば、問題は成長の糧(かて)となるのです。
問題を敵にして、成長することのできる人はいません。
問題は、敵ではありません。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
利己的な考えに従っているのであれば、問題を敵として争うでしょう。
利己的な考えに従っている者が成長することはできないのです。
あなたの目的は、利益によって自己を満足させることではないでしょう?
自己の利益を追求したところで、他者が損失によって苦しんでいれば、満たされることはないのです。
あなたは豊かな人生を望んでいるはずです。
それがどのようなものであるのか?ということを考えなければならないのです。
あなたの果たすべき目的は何ですか?
何のために、”それ”を行っているのですか?
目的を見失った者は、総じて苦しみに至ります。
あなたは苦しむために生まれたのではありません。
苦しむために道を行くのでもないのです。
どのような問題を前にしても冷静でありましょう。
考察すれば、その問題が大切な成長の糧であることを理解することができるのです。
あなたが考察するためには、目的意識が必要なのです。
自己の利益のために、冷静さを失ってはなりません。
あなたの目的とは、自己の利益などという小さなものではないのです。
問題に対して、心頭で相手をしてはなりません。
問題を大切に扱いましょう。
そうすれば、あなたは道を進むことができるでしょう。

2017年9月11日月曜日

小さな声

人生とは、目的の旅路です。
あなたは、目的地を目指して旅を続けているのです。
人生は、目的地へと辿り着くことを目的としているのです。
あなたは、ただ生きているのではありません。
あなたは目的を果たすために生きているのです。
虚しく時を過ごしてはなりません。
あなたは常に意義と共になければならないのです。
すべての人の人生には、目的地が存在しています。
誰もが、自らの目的を果たすために生まれたのです。
生きるということは、道を進むということです。
あなたは道を進んでいるということを覚えておきましょう。
しかしながら、目的地へと向かっているかは分かりません。
すべての人が、見当によって方向性を決めているだけだからです。
目的地への道程を理解している人はいません。
誰もが、推測によって道を進んでいるのです。
あなたは、自らの人生の目的を知らなければなりません。
自らの目的を知るためには、自分を知る必要があるのです。
あなたが自分を知り、人生の目的を知るためには、素直に自分の心に従わなければなりません。
あなたが自分であることが、人生の目的を知るためには必要なことなのです。
ただし、自分には、自我という自己と、真我(しんが)という自己が存在しています。
自我とは、弱い心です。
真我とは、強い心です。
両方とも自分に違いありませんが、それ等を別々に考えている人がいるのです。
多くの人は、自我に従っています。
多くの人は、弱い心を自分だと思い込んでいるのです。
あなたの中の自我とは、大きく見えて小さな存在です。
あなたの中には、大きな真我が存在し、それに寄り添うように自我が存在しているのです。
しかしながら、自我は”声”が大きいのです。
そのため、あなたは自我こそが自分だと考えるようになるのです。
自我の求めるものは慰(なぐさ)めです。
自我は、いつも自分を慰めようとしています。
それが、不安や心配や不満や卑屈(ひくつ)や防衛や欲望などの歪んだ感情に繋がっているのです。
あなたの人生の目的は、自分を慰めることではありません。
自我の求める道の先には、あなたの人生の目的地は存在しないのです。
あなたの人生の目的地は、真我の求める道の先に存在しています。
あなたの人生の目的地は、真我が知っているのです。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、真我の”声”を聞く必要があります。
しかしながら、真我の”声”は小さいのです。
自我は常に大声で自己主張を繰り返しています。
そのため、真我の”声”を聞くことは簡単なことではないのです。
あなたが真我の”声”を聞くためには、常に真我の”声”に耳を傾けなければなりません。
それは、常に自らを観察し、それを改めるということなのです。
あなたは常に自我と真我に影響されています。
自我は小さくても、その”声”は大きいのです。
真我は大きくても、その”声”は小さいのです。
そのために、あなたは自我の”声”を聞いてしまうのです。
そのため、あなたは常に自分を改める必要があるのです。
あなたは、自らの思考を改めなければなりません。
そして、言動を改めなければなりません。
そして、人生を改めるのです。
人生は、自分が選択するものです。
あなたは、自分でどう生きるのか?を決めることができるのです。
あなたの思考が言動を導くでしょう。
あなたの言動が人生を導くのです。
それ等を改める必要があるのです。
目的地へと辿り着くためには、何度も方向性を確認しなければなりません。
あなたは自分自身を見詰めなければなりません。
自分を疎(おろそ)かにしてはなりません。

2017年9月10日日曜日

疑問を持つ

あなたには、知らなければならないことがあります。
あなたは、多くのことを知る必要があるのです。
それは、余りにもあなたが知らないからです。
すべての人は無知です。
すべての人は、無知な状態から人生を始めなければなりません。
それは、成長するためです。
人は、知ることによって成長し、成長することによって知るのです。
知ることと成長することは等しいということを覚えておきましょう。
人生の目的は成長することです。
そのため、あなたは知らなければなりません。
多くの人は無知を喜びます。
しかしながら、それでは人生に豊かさを望むことはできません。
人は、知恵によって得られる喜びを知る必要があるのです。
無知によって得られる喜びとは、偏見によって得られる喜びです。
偏見によって得られる喜びとは、誤解に過ぎないのです。
無知な者が信じる喜びとは、偽りの豊かさであるということを覚えておきましょう。
あなたが求めているのは、真の豊かさであるはずです。
真の豊かさを得るためには、無知を克服する必要があるのです。
無知を克服するためには、知らなければなりません。
知るためには、疑問を持つことなのです。
多くの人は疑問を抱きません。
多くの人は、現状を受け入れているのです。
しかしながら、それは建設的な動機によってではありません。
多くの人は、諦めによって現状を受け入れているのです。
しかしながら、多くの人は自分が諦めによって現状を受け入れているということに気が付いてはいません。
それは、疑問を抱かないからです。
疑問を抱かないのは、知ろうとする欲求を蔑(ないがし)ろにしているからなのです。
多くの人が知ろうとしないのは、知ることを恐れているからです。
知ることを恐れるのは、現状を変えなければならないからです。
多くの人は、現状に安心しています。
多くの人は変化を嫌います。
それは、変化することによって、新たな問題や苦労が生じるからです。
新たな問題や苦労を受けるのであれば、現状を維持する方が楽なのです。
そのため、疑問を抱くことを避け、新たに知ることを拒絶しているのです。
新たに知らなければ、現状を維持することができます。
知らなければ、今まで通りに偽りの豊かさを喜ぶことができるからです。
しかしながら、偽りの豊かさを喜ぶのにも限界があります。
それは、人生が常に変化を求めているからです。
それが偽りの豊かさであることを、いつかは受け入れなければなりません。
情報は常に流れ込み、それを完全に防ぐことはできません。
あなたは必ず、偽りの豊かさと向き合わなければならないのです。
それは、自らの無知と向き合うということです。
あなたは、無知によって喜び続けることはできません。
あなたはいつか、必ず知恵を欲するようになるのです。
あなたには、知らなければならないことがあります。
疑問を抱きましょう。
そうすれば、様々なことを知ることができるのです。
しかしながら、疑問を抱かなければ、何も知ることはできません。
疑問を抱くかどうかは、あなた次第です。
疑問を抱かずにいれば、ただ苦しいだけであるということを知りましょう。
疑問を抱くことによって、あなたは苦しいながらも、新たな問題や苦労を得ることができます。
それは、現状に変化を導く唯一の方法なのです。
あなたは、疑問には価値があるということを理解しなければなりません。
何か一つでも知ることが大切なのです。
疑問を抱かない者は何も知ることができません。
何も知らない者は、何が真の豊かさであるのかも知らないのです。


2017年9月9日土曜日

豊かな死

すべての人は、生まれながらに死を運命付けられています。
死を避けられる人は存在しません。
すべての人が、必ず死に辿り着くのです。
あなたは、死を受けなければなりません。
どのような努力をしても、死を避けることはできません。
すべての命は、死ぬために生きているのです。
あなたは、そのことを理解する必要があるのです。
多くの人は、生きるために生きています。
多くの人にとっては、生きるために生きるという考え方が心地好いでしょう。
しかしながら、生きるために生きるということは、矛盾を離れることができません。
人は必ず死にます。
人生は、死を以(もっ)て終わるのです。
人が矛盾を離れるためには、死ぬために生きるという考え方が必要であるのです。
命の目的地は死です。
すべての命は、死に向かって進んでいるのです。
それ以外に辿り着く場所はありません。
人生の目的は成長することですが、それは、死を豊かなものにするためなのです。
大切なのは、豊かな目的地へと辿り着くことです。
道程はどうあれ、豊かな目的地へと辿り着くことが求められます。
あなたは、乏しい目的地へと辿り着いてはならないのです。
目的地を意識している人は、豊かな目的地を求めます。
豊かな目的地に辿り着くためには、それを探し続ける必要があるのです。
あなたは、豊かな死を探しましょう。
多くの人は、死を意識して生きていません。
多くの人は、生を意識して生きているのです。
そのため、豊かな死を見付けることはできません。
多くの人が辿り着くのは、乏しい死なのです。
死を意識して生きる人の人生は、必ず豊かなものになります。
それは、死を意識するために、目の前のことを大切に扱うようになるからです。
自分が死なないと思い込んでいる人の態度は傲慢(ごうまん)であり、怠慢(たいまん)です。
自分が死なないと思い込んでいる人は、明日も明後日も人生が続くと思っているのです。
そのため、今日やるべきことを明日に回すことを苦にしません。
今日やるべきことを明後日に先延ばしすることも厭(いと)わないのです。
そうやって、人生の質が低下していくのです。
死を意識して生きない人は、成長することに興味を示しません。
成長することに興味を示さない人は、変化を必要としないのです。
あなたは、人生が死後のために存在しているということを理解する必要があるでしょう。
あなたは、死後のために成長しているのです。
死後のために試行錯誤し、死後のために努力しているのです。
それは、自分のためでもあり、他者のためでもあります。
あなたは、自分のためだけに生きることはできません。
あなたの死後に、あなたの人生を必要とする人達が存在するのです。
樹木は成長を続けます。
しかし、やがて死を迎えます。
樹木は、成長して死ぬために生きたのです。
それは、大きく成長することによって、次の多くの樹木の苗床となることができるからです。
小さな樹木よりも、大きな樹木の方が貢献することができるのです。
成長しないあなたよりも、成長したあなたの方が役に立つのです。
あなたが成長すれば、その功績は死後に顕著(けんちょ)に現れるでしょう。
成長した者の死は、多くの人の成長を支える知恵となるからです。
多くの人は、生きるという欲求に従って生きています。
そのため、成長することができません。
あなたは死を意識して、人生の深い意味を探しましょう。
人は必ず死ぬのです。
死を無視して、人生の意義を見出すことはできません。
死を中心として、人生の意味を考えましょう。

2017年9月8日金曜日

時を知る

あなたは、すべてに時があることを知らなければなりません。
すべてには、それに相応しい時が存在しているのです。
時を見誤れば、あなたは豊かさを得ることはできません。
時を見誤る者は、乏しさを得るのです。
そのため、あなたが豊かさを求めているのであれば、時を見極めなければならないのです。
あなたには、自分勝手に時を定める力はありません。
時は、この世界の理(ことわり)によって決定されるのです。
あなたが豊かに生きるためには、豊かな収穫物を得る必要があります。
豊かな収穫物とは、時に叶った収穫物のことなのです。
収穫の時が早ければ、それは豊かな収穫物とは言えません。
収穫の時が遅くても、それは豊かな収穫物とは言えないのです。
収穫物には、それに適した時が存在しています。
それを決めるのはあなたではないのです。
時は、理によって決められるのです。
傲慢(ごうまん)は、時を無視します。
傲慢な者は、時を知らないのです。
時を知らなければ、豊かな収穫物を得ることはできません。
傲慢な者は、時を急ぎ、時に遅れるのです。
傲慢な者は、理が時を決めていることを知りません。
傲慢な者は、自分が時を決めるものだと誤解しているのです。
傲慢な者は、何を収穫しても乏しさを得るでしょう。
時に叶った物でなければ、どれだけ収穫したところで、それが豊かさを実現することはないのです。
時に叶った物でなければ、それは重荷となってしまうでしょう。
あなたは、時を弁(わきま)えなければなりません。
自分勝手に時を決めてはならないのです。
問題や苦しみにも時があります。
問題や苦しみは、自らの蒔(ま)いた種です。
あなたはそれを収穫しなければなりません。
どのような種も、決して毒にはなりません。
あなたの選択のすべては、あなたの成長のためにあるからです。
そのため、すべての種は良い収穫物となるのです。
しかしながら、多くの人は時を弁えません。
問題や苦しみの時を知らず、時を急ぎ、時に遅れて収穫するのです。
問題や苦しみに会う時、人は急いで解決しようと努めます。
問題や苦しみを急いで解決しようとすれば、その意味を理解することができません。
それは、苦(にが)い果実を食らうようなものなのです。
問題や苦しみに会う時、人はそれから逃れようと努めます。
問題や苦しみから逃れようとすれば、その意味を理解することができません。
それは、熟れた果実を収穫することもなく、腐らせることになります。
地に落ちた果実は次の芽を出し、問題や苦しみは繰り返すのです。
時を逃せば、乏しさが導かれるとは、このようなことなのです。
あなたは、時を見極めなければなりません。
問題や苦しみは、あなたの成長のためにあります。
それを嫌うものではありません。
すべては、必要によってもたらされるのです。
意味のないことなど存在しないのです。
あなたは冷静に、問題や苦しみと向き合いましょう。
そして、それが時に叶えば収穫するのです。
あなたは成長のために、問題や苦しみを体験する必要があるのです。
それ等が最も美味な時に収穫するのです。
あなたは問題や苦しみを大切に育てなければなりません。
娯楽や喜びばかりを大切にしてはならないのです。
良いと思えることに気を取られていれば、あなたは悪いと思えることの時を見誤ってしまうでしょう。
良いと思えることも、悪いと思えることも、同じように大切にしなければなりません。
それが豊かさであるからです。

2017年9月7日木曜日

船頭の怠慢

人生は、あなたの思い通りには展開しません。
あなたは、自分の意のままに人生を操ることはできません。
人生は、あなたの期待を裏切ります。
それは、あなたが成長を実現するためです。
あなたが成長するためには、人生が思い通りに展開してはなりません。
なぜなら、思い通りになるということは、変化する必要がないということだからです。
変化する必要がなければ、成長する必要がないということなのです。
あなたの人生の目的は成長です。
それは、人生を終える時まで変わることがありません。
あなたは、常に成長を求められているのです。
そのため、人生は最後まで思い通りには展開しないのです。
しかしながら、多くの人はそれを嫌います。
多くの人は、自分の思い通りに人生を展開させたいという願望を所有しています。
多くの人は、自我意識が勝っているのです。
多くの人は、自分という存在を主体とした価値観に従っているのです。
あなたは、それが危険なことであると理解しなければなりません。
自分という存在は未熟です。
それに従っていれば、あなたは道理に背くことになるのです。
道理に背けば、乏しさを受けるのです。
人は、成長するほどに道理を理解します。
そして、それを超えることができないということを理解するのです。
そのため、成長した人ほど謙虚(けんきょ)さを尊重し、人生を思い通りに展開させることには執着しなくなるのです。
それは、人生を思い通りに展開させることの矛盾に気が付くからなのです。
人生を思い通りに展開させようとする多くの人は、船頭が未熟者であるということに気が付いていません。
未熟な船頭は潮流や天候や地形を見誤ります。
それ等の重要な情報を見誤っていれば、様々な問題を抱えることによって、目的地へと辿り着くことはできないのです。
あなたには、船頭が未熟者という矛盾に気が付くことができるでしょうか?
船が無事に目的地へと辿り着くために船頭にできることは、潮流や天候や地形に逆らわないことだけです。
どのような船頭も、自然に逆らうことはできないのです。
それは、自然に比べて、船頭や船は小さな存在であるからです。
多くの人は、その事実を忘れているのです。
自我意識によって、いつの間にかに、船頭や船の方が大きな存在であると錯覚しているのです。
そこに傲慢(ごうまん)があるのです。
そして、自然を思い通りに操ろうとする船頭が出来上がるのです。
あなたは、人生が思い通りに展開することを望んではいませんか?
残念ながら、あなたよりも大きな人生を思い通りに展開させることはできません。
あなたにできることは、人生を受け入れることなのです。
逆らうことでは豊かさを得られません。
逆らえば、乏しさを得るのです。
嵐の海に船を出せばどうなるでしょう?
嵐の日には、航海はしないものなのです。
嵐の日には、航海の準備をすれば良いのです。
人生には、停滞しているような時期が存在します。
変化を感じられず、退屈や不安な日々を過ごすことがあるのです。
それは、そうしなければならないからです。
あなたは、思い通りに人生が展開することを恐れなければなりません。
あなたは決して、人生を思い通りに展開させられるほどの存在ではないのです。
欲に溺れてはなりません。
人生をよく観察しましょう。
あなたは、自らの分際を弁(わきま)えなければなりません。
問題を抱え、人生が展開しないような時期にも、あなたは不貞腐(ふてくさ)れてはなりません。
自暴自棄(じぼうじき)になり、冷静さや計画性を失ってはなりません。
あなたには、潮流や天候や地形をどうすることもできません。
あなたには、人生をどうすることもできないのです。
苦境から逃れようとして、足掻(あが)く必要はありません。
苦しい時には、苦しんでいれば良いのです。
苦しみから逃れようとすることは、嵐の海に出航(しゅっこう)するようなものなのです。
人生は、思い通りに展開しなくても良いということを覚えておきましょう。
そして、それを受け入れましょう。
そうすれば、人生は思い掛けず、豊かさを導くでしょう。

2017年9月6日水曜日

一歩が嫌なら半歩を

人生において重要なことは、成果は積み重ねによって導かれるということです。
どのような成果も、積み重ねによってのみ導かれるのです。
多くの人は、奇跡を望んでいます。
成果が偶然に湧いて出るとか、空から降ってくると考えているのです。
残念ながら、そのような不条理は存在しません。
この世界には、理(ことわり)が存在しているのです。
理の中には、因果の仕組みというものが存在しています。
因果の仕組みとは、どのような結果も、それに相応しい原因が存在するということです。
原因に相応しくない結果は存在しません。
成果という結果には、それに相応しい原因が必要なのです。
原因とは、あなたです。
この世界には、あなたに相応しい成果が導かれます。
しかしながら、あなたに相応しくない成果が導かれることはないのです。
あなたの受け取るどのような状況も、それはあなたに相応しい成果です。
状況は、あなたによって導かれるのです。
あなたが求めようが、断ろうが、あなたに相応しい状況が成果として導かれるのです。
どのような状況が導かれようとも、それはあなたの日頃の積み重ねの結果であるのです。
あなたが過ごす一切の時間が、目の前に導かれる状況に対する原因です。
あなたの過ごす時間には、あなたの考え方や行為が組み込まれているのです。
その一つ一つが積み重なり、状況という成果として導かれるのです。
多くの人は、身に覚えがないとして、導かれた状況を否定します。
多くの人は、目の前の状況に対して、不満や不安を抱いているのです。
残念ながら、そのような選択は適切ではありません。
なぜなら、それは自分の積み重ねた結果に過ぎないからです。
自分で積み重ねておいて、それに身に覚えがないというのは道理に叶いません。
それは、矛盾を抱えることになるのです。
矛盾とは問題です。
そのため、矛盾を抱えた者は、乏しさを抱えることになるのです。
あなたが豊かに生きるためには、矛盾を抱えないようにしなければなりません。
そのためには、目の前に導かれる状況に対して、責任を取るということです。
すべては、自分自身の積み重ねの結果です。
その責任は自分自身にあるのです。
多くの人は目の前の状況を否定しますが、あなたが豊かさを求めているのであれば、そのように選択してはならないのです。
問題や苦しみを改善するのにも、一つ一つを積み重ねる必要があります。
多くの人は、問題や苦しみを抱えている時にも奇跡を求めているのです。
しかしながら、問題や苦しみが一瞬で解決することはありません。
そのような”茶番”を夢見ていてはならないのです。
問題や苦しみを解決するためには、それに相応しい時間の使い方を積み重ねる必要があるのです。
あなたにできるのは小さなことです。
あなたは、大きなことができないのです。
そのため、一つ一つを大切に積み重ねるのです。
目的地へと辿り着くためには、一歩一歩を積み重ねる必要があります。
しかしながら、多くの人はその一歩を積み重ねることすら嫌がるのです。
そこには不満や不安が存在しているからです。
不貞腐(ふてくさ)れている者の足取りは重く、前に向いては進みません。
現状に対して不満や不安を吐き続ける者は、決して豊かさに辿り着くことはできないのです。
あなたは小さなことを積み重ねましょう。
何事も、小さな一つの積み重ねなのです。
一歩一歩進むのが嫌なら、半歩ずつ進みましょう。
一つ一つを積み重ねるのが嫌なら、半分ずつ積み重ねるのです。
どちらにしても、あなたは何かを積み重ねなければなりません。
良いものを積むのも、悪いものを積むのも、それはあなたの選択です。
無闇に時を過ごしてはなりません。
立派に成し遂げなければならないのです。
小さなことを疎(おろそ)かにしてはなりません。
奇跡を望まず、一つ一つを地道に積み重ねましょう。

2017年9月5日火曜日

挫折

すべての人が、人生に対して目的を以(もっ)て生まれます。
人生に対して目的を持たない人は存在しません。
どのような人物であろうとも、意味を以て生まれたのです。
生まれた意味が目的なのです。
しかしながら、多くの人は人生の目的を見失っている状態です。
多くの人は、人生を当てもなく彷徨(さまよ)っているのです。
当てがないために思い悩んでいるのです。
思い悩まない人であっても、人生の目的を問えば思い悩んでしまいます。
すべての人は必ず死にます。
この世界において、死を免れる人は存在しないのです。
すべての人は、生まれた瞬間から死ぬために生きているのです。
時間は常に減少し、確実に死に近付きます。
当てもなく彷徨っていれば、目的地に辿り着くことはできません。
多くの人は、人生の目的を果たすことなく死を迎えるのです。
多くの人は、人生の目的を見失っています。
そのような人は、自分が人生でやりたいことを知りません。
人生でやりたいことがないという人までいるのです。
しかしながら、それは真実ではありません。
あなたにも、やりたいことは必ずあります。
それを知ってはいても、否定しているのが現状なのです。
例えば、何の制約もなければ、あなたは自分がやりたいことを思い出すことができるでしょう。
卑屈(ひくつ)、時間、体力、資金、周囲の反対・・・
このような問題の一切が存在しないと仮定してみるのです。
そうすれば、あなたは自分がこの人生でやりたいことが何であるのか?ということを知っていると気が付くでしょう。
本当はやりたいことがあるにもかかわらず、多くの人はそれを抑圧しているのです。
やりたいことを実現することを恐れているために、知らない振りをしているのです。
幼い子どもは、誰でもやりたいことを持っています。
それが人生の目的ではないにしても、取り敢(あ)えずの目的を持っているのです。
あなたも幼い頃には、やりたいことを知っていたはずです。
今のあなたはどうでしょうか?
やりたいことを知っていますか?
やりたいことをやるように努めていますか?
やりたいことをやっていますか?
あなたの人生の目的は、あなただけの役割です。
あなた以外には、その役割を担うことができません。
多くの人が、やりたいことを諦めています。
しかしながら、そのような必要はないのです。
やりたいことをやっていない人は、自信を失っています。
他者と自分を比較することによって、自分には無理だと思い込んでいるのです。
残念ながら、あなたの理想が人生の目的や、本当にやりたいことであると断言することはできません。
それは、あなたの見立ての大抵は間違っているからです。
そのため、やりたいことに対して懸命に努力を重ねて、思うような成果を導くことができなくても、それで諦める必要はありません。
自分のやりたいことに挑戦している人は、次のやりたいことが必ず見付かるからです。
次のやりたいことは、前のやりたいことよりも、より本質的なものになっているのです。
初めから、人生の目的を知っている人はいません。
誰もが、挫折(ざせつ)から学んでいくのです。
挫折こそが、あなたを人生の目的へと導きます。
大切なのは、挫折を繰り返すことです。
挫折を回避することのできる人は存在しません。
それは、すべての人が無知であり、未熟であるからです。
そのため、あなたが挫折の心配をする必要はありません。
挫折することが自然だからです。
あなたは挫折を恐れず、自分のやりたいことに努めましょう。
本当にやりたいことに対しては、言い訳を持ち込んではなりません。
あなたは何のために生まれたのですか?
それは、やりたいことをやるためです。
それ以外の方法によって、人生を豊かに生きることはできないでしょう。
やりたくもないことを続けていれば消耗します。
あなたは、目の前の選択が、自分のやりたいことに対してどのような方向性を以ているのかを考えましょう。

2017年9月4日月曜日

意味は価値

この世界には、意味のないことは存在しません。
どのようなことにも大切な意味が存在しています。
あなたが重んじていることにも、反対に軽んじていることにも、同じように意味が存在するのです。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
この世界には、意味のないことは決して存在しないのです。
多くの人は、目の前の状況に対して意味を見失っています。
多くの人が否定的な態度を取るのは、意味を見失っているからです。
人は、自分が意味がないと思うことには消極的です。
意味がないと思っていることに対して積極的に向き合うことのできる人はいないでしょう。
何かに対して積極的に向き合うためには、そこに意味を見出す必要があるということなのです。
あなたは、自分が意味を見出しているものに対しては、積極的に向き合うことができるでしょう。
意味を見出していることに対しては、時間も労力も惜しみません。
しかしながら、意味を見出せないことに対しては、少しの時間も労力も使いたくはないのです。
多くの人は、偏見によって世界を見ています。
それこそが、意味の有る無しを決めているのです。
偏見によって世界を見れば、その価値は少なくなります。
偏見によって価値判断をする時には、大抵のことに対して価値を見出すことができません。
偏見による価値判断は、とても限定的なものになってしまうからです。
あなたは、好きなことと嫌いなことなら、どちらの方が多いですか?
好きな人と嫌いな人とならどうでしょうか?
残念ながら、偏見による価値判断は、多数の無価値を選出してしまうのです。
あなたは、好きなこと(関心のあること)よりも、嫌いなこと(関心のないこと)の方が多いでしょう。
好きな人(関心のある人)よりも、嫌いな人(関心のない人)の方が多いのです。
狭い世界で学ぶことができるのは少しのことです。
多くの人は、自分にとって価値の有ることから学ぼうとします。
しかしながら、自分にとって価値の無いことからは学ぼうとはしないのです。
価値を見出していることは少ないのです。
そこからしか学ぼうとしないのであれば、成長は乏しいものとなってしまうのです。
大切なのは、価値を見出すことです。
あなたは自分で価値を見出さなければならないのです。
価値とは、意味のことです。
あなたが、そこに意味を見出すのであれば、そこに価値を見出すことができるのです。
残念ながら、人生はあなたに意味を教えてはくれません。
他者も、あなたにその意味を教えることはできません。
あなたは、自分の力で意味を見出す必要があるのです。
多くの人は、文句を吐きながら生活しています。
そのような者の人生は乏しいのです。
人生を乏しいものにしたのは、文句を吐く自分です。
人生を乏しいものにするのも、それを豊かなものにするのも自分なのです。
あなたの現状は、あなたの態度に相応しいものであるということに気が付きましょう。
誰かや何かがあなたの人生をそのようにしたのではありません。
あなたが自分で選んでそうしたのです。
乏しい人生を生きる者は、人生の意義を知りません。
偏見によって価値を限定的なものにしているのであれば、人生の意義を知ることはできないのです。
あなたは何のために生きているのですか?
あなたの人生は何のためにあるのですか?
人生を意義のあるものにするのは自分です。
あなたは、目の前の状況に対して、自分で意味を見出さなければならないのです。
感謝して学ぶのも、文句を吐いて怠(なま)けるのも自分次第です。
どのような意味でも構いません。
あなたは、目の前の状況に対して、”仮の”意味を見出してみましょう。
それが間違っていても良いのです。
大切なのは、意味を見出すことだからです。
関心を持たなければ学ぶことができません。
人生を豊かなものにするために、目の前の状況に対して暫定的(ざんていてき)に何等かの意味を見出しましょう。

2017年9月3日日曜日

重たい器

あなたが人生の目的を果たすためには、一途に自分の道を進み続けなければなりません。
一途に道を進むことがなければ、人生の目的を果たすことはできないのです。
それは、一度決めたことは、満足するまで続けるということです。
決めたことを変更する場合には、満足する必要があるということなのです。
多くの人は、自分で決めたことを簡単に諦めてしまいます。
多くの人は、道を簡単に放棄するのです。
それには様々な理由がありますが、満足したという理由は存在しないのです。
満足とは、満ち足りるということです。
あなたは道において多くを学びます。
それは、人生の欠片(かけら)であり、自分自身の一部なのです。
道を進む目的は、人生と自分自身を理解するためです。
それ以外の目的は存在しないということを知らなければなりません。
道に満足するということは、その道において得られる人生や自分自身を理解するための手掛かりを十分に得たということなのです。
人生や自分自身を理解するための手掛かりに満ち足りることによって、その道を進み続ける理由を失います。
しかしながら、人生や自分自身を理解するための手掛かりを十分に得ることもなく、その道を諦めるというのは、その道における目的を果たしたことにはならないのです。
そのため、あなたは次の道においても、同じことを学ばなければならないのです。
あなたが満足することがなければ、本当の意味では道を変更することはできないということなのです。
逃げた先でも、同じことを繰り返すのです。
それでは、意味がないのです。
大切なのは、その道において人生や自分自身を理解するための手掛かりを得ることに満足することです。
道を満足することがなければ、次の学びへと進むことはできないのです。
あなたが道を満足するためには、その道において人生や自分自身を学ぼうとする信念が必要です。
信念がなければ、根の浅い樹木のように、風に倒されてしまうのです。
空の容器は、簡単に飛ばされてしまいます。
信念を持たずに道を進もうとする者は、道を進むことができないのです。
あなたは、軽薄(けいはく)な気持ちによって道と向き合ってはなりません。
自分が何のためにその道を進んでいるのか?ということを真剣に考えなければならないのです。
あなたは、何のためにそれをしているのですか?
自分なりの理由を持たなければ、信念が導かれることはないのです。
理由を持たない者は浅はかです。
空の器は大きな音を立てます。
浅はかな者は、騒がしく生活します。
浅はかな者は、快楽に溺れ、感情を振りかざすのです。
信念を以(もっ)て道を進んでいる者は、静かに生活します。
快楽に溺れ、感情を振りかざすようなこともありません。
それは、道を進もうとしているからです。
道を進むためには、賢明でなければなりません。
心が乱れて騒がしく、快楽に溺れるような者は、道を進むことはできません。
どのような道においても、それを極めるためには思慮深く、懸命に努力する必要があるからです。
思慮に浅く、怠慢(たいまん)な者が、どうして道を極めることができるでしょうか?
あなたの尊敬する人物は、思慮深く、懸命に努力する人であるはずです。
あなたは、その人のように行いましょう。
簡単に不安や心配や怒りに導かれてはなりません。
快楽や欲望に従ってはならないのです。
あなたは満足するために道を進んでいるのです。
快楽や欲望に溺れることは、満足するということではありません。
信念を以て、道に臨(のぞ)みましょう。
そうすれば、あなたは少しずつ”気付き”という名の重りを器に蓄えることができるのです。
中身の詰まった器は、小さく深い音を立てます。
それは、風が吹いても飛ばされることはありません。
あなたは、そのような人になりましょう。
言い訳や不満を喚(わめ)き立てるような人になってはなりません。
重厚な人を目指すのです。
自分が一度決めた道は、それを満足するまでは一途に進み続けましょう。

2017年9月2日土曜日

小さな汚れ

あなたは、小さなことにも気を付けなければなりません。
この世界において重要なのは、すべてが小さなことが積み重なった結果だということです。
どのような成果も、小さな積み重ねによって実現しているのです。
突然に成果が現れることはありません。
すべては、小さなことの積み重ねであるということを覚えておきましょう。
すべてが小さなことの積み重ねであるということは、小さなことを蔑(ないがし)ろにしてはならないということです。
あなたは、小さなことを大切にしなければなりません。
多くの人は、成果が小さなことの積み重ねであるということを知りません。
そのために、小さなことを蔑ろにするのです。
しかしながら、臆面(おくめん)もなく、大きな成果を求めます。
大きな成果というものは、小さなことの積み重ねの結果であるのです。
小さなことを蔑ろにする者が、大きな成果を得ることはできません。
あなたが何かしらの成果を求めているのであれば、小さなことを蔑ろにしてはならないのです。
小さなことを大切にしなければならないのです。
塵(ちり)は目には映りません。
それは、とても小さなものだからです。
しかしながら、小さな塵も、積もることによって輝きを奪います。
美しく磨き上げられた鏡も、塵が積もることによって曇るのです。
塵が積もり、輝きを失った鏡は役に立ちません。
輝きを失った鏡は、真実を映し出す力を失うからです。
あなたは、鏡が塵によって曇る前に磨かなければなりません。
塵は小さなものだと侮(あなど)ってはならないのです。
小さな塵も積もれば鏡を損なうことができるのです。
あなたは、小さなことを大切にしなければなりません。
鏡に塵が積もる前に、それを磨くべきなのです。
毎日磨いていれば、鏡が曇ることはないでしょう。
しかしながら、多くの人は毎日鏡を磨くことをしません。
大抵の場合が、汚れが目立ってから磨くのです。
しかしながら、それでは遅いのです。
鏡が汚れていれば、その間は真実を映し出すことがないからです。
鏡が、自分の心だと仮定してみましょう。
そうすれば、それがどのようなことかを理解することができるでしょう。
心が汚れ、真実を捕らえることができない者には、歪んだ認識が導かれます。
人は、歪んだ認識によって、洗濯を誤るのです。
人は豊かさを求めています。
しかしながら、認識が歪んでいるのであれば、豊かさを求めながら、乏しさを選択する結果となってしまうのです。
鏡が汚れていれば、対象を正確に認識することができないように、心が汚れていれば、正しい道理を理解することができないのです。
正しい道理を理解することができなければ、人は小さなことを積み重ねることを嫌うようになるのです。
小さなことの積み重ねが大きな成果を導くのが道理です。
しかし、小さなことの積み重ねを嫌うのであれば、成果を導くことができないということなのです。
あなたは怠慢(たいまん)を喜んではなりません。
汚れていないように見える鏡を磨くのです。
あなたは、自分(の心)が正しいと考えるでしょう。
しかしながら、そのようなことは有り得ません。
塵一つないように見える鏡であっても、光を当ててみれば多くの塵が付着していることを発見します。
光によって、汚れは照らし出されるのです。
光とは、真実のことです。
真実の光によって、あなたは自らの心の汚れを知るでしょう。
あなたが真実を求め、誠実に生きれば、輝きを奪うものを見付けることができるでしょう。
偽りを好む者は、心の汚れを気にしません。
それは、小さなことを積み重ねることを気にしないということなのです。
真実を積み重ねれば、それに相応しい成果が導かれます。
偽りを積み重ねれば、それに相応しい成果が導かれるのです。
真実と偽りとでは、形が異なります。
真実と偽りを互いに積み重ねたとしても、それは大きな成果を導かないのです。
大きな成果を導く前に、形の違いによって倒壊してしまうでしょう。
偽りを喜んではなりません。
あなたは小さな真実を積み重ねましょう。
人生を豊かにするには、誠実に一途であるということです。
小さな真実を積み重ねましょう。
小さな偽りを積み重ねてはなりません。

2017年9月1日金曜日

満足は難しい

人は、それぞれに目的を所有しています。
すべての人は、自らの目的のために生きてるのです。
そのことを知っていようが知るまいが、あなたは自らの目的のために生きるのです。
誰もが、目的を以(もっ)て生まれたのです。
それを手放すことはできません。
どのように生きようとも、自らの目的から逃れることはできないのです。
反発しようが、否定しようが、あなたは目的を果たすために生きるようになるのです。
それが、人生の目的であるからです。
多くの人は、人生の目的を気に掛けません。
多くの人は、目の前の欲求や快楽を大切にしているのです。
しかしながら、目の前の欲求や快楽に従っていたとしても、満たされることはありません。
目の前の欲求や快楽に従っていくことを繰り返していれば、やがて、それによって満たされないことに気が付くようになるのです。
残念ながら、人生の目的を果たすための労力以外では、あなたが満たされることはないのです。
人生の目的を果たすための時間や努力でなければ、決して満たされることはありません。
目の前の欲求や快楽によって心を満たそうと努めても、それは実現しないのです。
海水によって喉(のど)を潤そうとしているようなものだからです。
海水を飲めば、益々渇くでしょう。
海水と水は似ていますが、その効果は異なります。
あなたは、海水によって喉を潤すことはできません。
目の前に多く存在するからといって、それを飲んではならないのです。
あなたが喉を潤すためには、飲料に適した水を探して、川を遡(さかのぼ)らなければならないのです。
あなたの喉を潤すことのできる水は、山の高い所から湧き出ているのです。
多くの人は、簡単に満足しようとします。
目の前の欲求や快楽に従うことによって、満足を得られると考えているのです。
しかしながら、そこで得られるのは一時的な満足です。
海水を飲んで喉の渇きを忘れるのは一瞬です。
次には、より強烈な渇きが襲うのです。
目の前の欲求や快楽に飛び付く者は、すぐに後悔するということを理解しましょう。
残念ながら、満足は簡単には得られません。
満足とは、長い時間と労力を積み重ねることによって実現する成果だからです。
目の前に海水があるからといって貪(むさぼ)れば、必ず苦しむのです。
あなたは、人生に対して、簡単に満足を求めてはなりません。
簡単に得られるものとは、いつも粗悪なものなのです。
あなたにとって、それは苦しみの原因となるのです。
満足は、簡単には手に入りません。
人生とは、簡単に満足することができるほど、甘いものではないのです。
人々は互いに競(きそ)っているのです。
どうして、目の前の欲求や快楽に飛び付く者が誉(ほま)れを得ることができるでしょう?
浅薄(せんぱく)な者は、向上を知りません。
問題が起きれば不満や不安を吐き、苦しみに会えば逃げ出します。
そして、自分が悲劇の主人公だと思い込んで嘆(なげ)くのです。
そのような者が得られるのは乏しさです。
この世界には、因果の仕組みが存在し、それを離れられる者はいません。
不満や不安を吐き、苦しみから逃げ出し、絶望に嘆いているのであれば、乏しさを得るのは自然の理(ことわり)なのです。
満足は、簡単に得ることができません。
問題や苦しみや絶望を乗り越えた先にこそ、満足が存在しているのです。
あなたは、自らの進んでいる道に対して、自発的に励(はげ)まなければなりません。
あなたは、自らの進んでいる道を好まなければならないのです。
あなたは現在、その道を進んでいるのです。
それが現実です。
他の道を歩むとしても、それが新たな現実となるのです。
そこでは、同じように問題と苦しみと絶望が現れます。
嘘だと思うのであれば、人生を良く観察してみましょう。
あなたは、自らの因果から逃れることができないということに気が付くでしょう。
あなたは、心掛けによって因果を導きます。
どのような道を進もうとも、結果は心掛けに起源するのです。
あなたは、心掛けを改めなければなりません。
理想通りに事が進まないからといって、あれこれと心配する必要はありません。
心掛けが未熟なのだから、上手く進まないのは当然なのです。
当然のことをいちいち気に掛けていてはならないのです。
あなたは、自らの道を真っ直ぐに進みましょう。
あれこれと気に掛けてはなりません。
満足は簡単には手に入りません。
どのような問題が生じようとも、志(こころざし)が存在するのであれば、その道を進みましょう。
そうすれば、道は開けます。
しかし、それは簡単には実現しないということを覚えておきましょう。