大切なのは、理解を深めることです。
	あなたは、本質に向かって進まなければなりません。
	理解を深めるということは、本質に向かうということです。
	理解を深める先では、本質を得ることができるのです。
	本質を得ることによって、あなたは人生の意義を理解することができるでしょう。
	人生の意義を理解することは重要です。
	なぜなら、人生の意義を理解することこそが、人生を豊かにする唯一の方法であるからです。
	人生の意義を知ることなく、人生を豊かにすることはできません。
	人生の意義とは、人生の目的のことです。
	目的を知らずに時間を過ごしたところで、あなたは満足を得ることはできないのです。
	人生を豊かなものにするためには、人生の意義を必要とします。
	そのためには、理解を深める必要があるのです。
	理解を深めるためには、”それ”と深く向き合う必要があります。
	深く向き合うとは、”それ”のすべてを観察するということなのです。
	多くの人は、理解を深めようとはしません。
	なぜなら、多くの人は偏見によって”それ”を観察するからです。
	自分にとって都合の良いものを見ようと努める一方、自分にとって都合の悪いものには目を背けるのです。
	また、その逆もあるでしょう。
	多くの人は、偏見によって物事を見ています。
	それでは、一部を見ることはできても、全体を観ることはできません。
	一部を見るだけでは、理解を深めることはできません。
	理解を深めるためには、どうしても全体を観ることが必要なのです。
	すべてには、陰陽の仕組みが備わっています。
	すべてのものに、陰と陽の性質が備わり、互いが交わることによって輪郭(りんかく)を成すのです。
	あなたが何かを認識することができるのは、陰陽の交わりを見ているからなのです。
	あなたはどのようなものに対しても、善悪を認めることができるでしょう。
	すべてのものには一長一短が備わっているのが自然なのです。
	しかしながら、多くの人はそのことを認めません。
	善を見ても、悪は見ないのです。
	その結果、善という名の偏見によって悪事を働くことになるのです。
	偏りは、破滅的な結果を導きます。
	陰と陽の二つの性質を受け入れなければ、本質に辿り着くことはできません。
	あなたは、偏見に陥ってはなりません。
	それは、強欲の業(わざ)であるからです。
	片目で歩む者は、道を踏み外してしまうでしょう。
	あなたは片目に注意しなければなりません。
	偏見によって、あなたは片目に陥ります。
	片目では、盲目(もうもく)であるのです。
	多くの人は、偏見によって豊かさを得られると考えています。
	しかしながら、自分ではそれを偏見とは考えません。
	多くの人は、偏見を正義感や善行だと考えているのです。
	善も、単体では悪事を働きます。
	悪も同じです。
	善悪の支え合いによって初めて、善事が行われるということを理解しましょう。
	知恵に乏しい者は、悪事を働きます。
	無知である者は、悪事を働くことしかできないのです。
	悪事を働く者は、偏見に陥っています。
	理解を深めることによって知恵を得ることができます。
	知恵の豊かな者は、善事を働きます。
	それは、物事の本質を得ているからです。
	自分が何をしているのか?
	どこへ向かっているのか?ということを知っているのです。
	あなたは理解を深めるために、偏見を手放しましょう。
	矯正(きょうせい)しなければ、人は偏見に従います。
	そのため、すべての人が偏見に陥っているのです。
	偏見を手放し、理解を深めましょう。
	片目で見てはなりません。
	両目で観ましょう。