すべての人の人生には目的が存在します。
人は、人生を無駄に生きているのではありません。
すべての人は、生まれた瞬間から死へと向かって生きているのです。
人は、虚しい死のために生まれ、生きているのではないのです。
人は、その死を意味のあるものにするために生まれ、生きているということを覚えておきましょう。
人は、豊かな死のために生きているのです。
死を豊かなものにするためには、生を豊かなものにしなければなりません。
豊かに生きることによって、豊かに死ぬことができるのです。
あなたが豊かに生きるためには、人生の目的を果たすことが求められます。
人生の目的を果たすことなく、豊かな死を迎えることはできないのです。
人は、豊かな死に向かって歩みます。
あなたが人生という道を進んでいるのは、豊かな死という目的地が存在しているからなのです。
あなたは豊かな死に向かって歩みを進めなければなりません。
しかしながら、ただ歩んでいるだけでは、豊かな死に辿り着くことはできません。
出鱈目(でたらめ)に歩みを進めたところで、目的地には辿り着くことができないのです。
目的地に辿り着くためには、目的地へ向かって歩みを進める必要があるのです。
途方も無く歩んだところで、あなたが豊かに死ぬことはできないのです。
しかしながら、多くの人は出鱈目に歩みを進めています。
歩み続けていれば、目的地に辿り着くことができると信じているのです。
残念ながら、因果の仕組みの存在するこの世界においては、そのような奇跡は起き得ません。
出鱈目に歩みを進めていれば、途方を失うことになるのです。
豊かな死に辿り着くためには、豊かな生き方という原因が必要です。
豊かに生きていない者が、豊かな死に辿り着くことはできないのです。
人は、豊かに生きることもできれば、乏しく生きることもできます。
どうするかは、あなた次第なのです。
取捨選択(しゅしゃせんたく)によって、あなたはどの道に歩みを進めるのかを決めるでしょう。
あなたは選択しなければなりません。
ただし、これは自我意識に任せるということではありません。
多くの人は、選択とは、自分で選ぶことだと考えます。
確かに、選択はあなたの決断によって行われます。
大切なのは、選び方なのです。
多くの人は、自分の考えによって取捨選択します。
自分の考えとは、自分の利益に基づくものです。
多くの人は、自分の利益に繋がると考えるものを選択するのです。
利益を得ることを非難しているのではありません。
あなたは、利益を追求しなければなりません。
ただし、自分という自我意識の考える利益とは、真の利益ではなく、歪んでいるのが普通なのです。
すべての人が未熟であり、歪んでいます。
未熟者の考える自分とは、弱く、歪んだ存在のことなのです。
弱く、歪んだ存在の求める利益とは、その弱さや歪みを慰(なぐさ)めるためのものに過ぎません。
苦悩を選択する人が、強い酒を喜んでいるようなものです。
それは、真の利益ではありません。
なぜなら、強い酒によって、その苦悩は増すことになるからです。
あなたが豊かな死を望んでいるのであれば、純粋に道を求めることです。
純粋に道を求めるということは、結果を追い求めず、原因を追い求めるということなのです。
多くの人は、結果を追い求めています。
それは、自我意識による欲望の選択です。
そこには、雑念が入り込んでいます。
あなたは、ただ道の探求を求めれば良いのです。
好きなことを楽しく探求すれば良いのです。
そうすれば、最善の結果を受け取ることができます。
金を追い求める者は却(かえ)って貧乏に陥(おちい)り、健康を追い求める者は却って病を得ます。
他者を追い求める者は却って孤立を強いられ、生を追い求める者は却って死を受けるのです。
結果は原因によって導かれます。
結果を追い求めてはなりません。
純粋に、道を探求しましょう。
純粋に歩みましょう。
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