人は、それぞれに目的を所有しています。
すべての人は、自らの目的のために生きてるのです。
そのことを知っていようが知るまいが、あなたは自らの目的のために生きるのです。
誰もが、目的を以(もっ)て生まれたのです。
それを手放すことはできません。
どのように生きようとも、自らの目的から逃れることはできないのです。
反発しようが、否定しようが、あなたは目的を果たすために生きるようになるのです。
それが、人生の目的であるからです。
多くの人は、人生の目的を気に掛けません。
多くの人は、目の前の欲求や快楽を大切にしているのです。
しかしながら、目の前の欲求や快楽に従っていたとしても、満たされることはありません。
目の前の欲求や快楽に従っていくことを繰り返していれば、やがて、それによって満たされないことに気が付くようになるのです。
残念ながら、人生の目的を果たすための労力以外では、あなたが満たされることはないのです。
人生の目的を果たすための時間や努力でなければ、決して満たされることはありません。
目の前の欲求や快楽によって心を満たそうと努めても、それは実現しないのです。
海水によって喉(のど)を潤そうとしているようなものだからです。
海水を飲めば、益々渇くでしょう。
海水と水は似ていますが、その効果は異なります。
あなたは、海水によって喉を潤すことはできません。
目の前に多く存在するからといって、それを飲んではならないのです。
あなたが喉を潤すためには、飲料に適した水を探して、川を遡(さかのぼ)らなければならないのです。
あなたの喉を潤すことのできる水は、山の高い所から湧き出ているのです。
多くの人は、簡単に満足しようとします。
目の前の欲求や快楽に従うことによって、満足を得られると考えているのです。
しかしながら、そこで得られるのは一時的な満足です。
海水を飲んで喉の渇きを忘れるのは一瞬です。
次には、より強烈な渇きが襲うのです。
目の前の欲求や快楽に飛び付く者は、すぐに後悔するということを理解しましょう。
残念ながら、満足は簡単には得られません。
満足とは、長い時間と労力を積み重ねることによって実現する成果だからです。
目の前に海水があるからといって貪(むさぼ)れば、必ず苦しむのです。
あなたは、人生に対して、簡単に満足を求めてはなりません。
簡単に得られるものとは、いつも粗悪なものなのです。
あなたにとって、それは苦しみの原因となるのです。
満足は、簡単には手に入りません。
人生とは、簡単に満足することができるほど、甘いものではないのです。
人々は互いに競(きそ)っているのです。
どうして、目の前の欲求や快楽に飛び付く者が誉(ほま)れを得ることができるでしょう?
浅薄(せんぱく)な者は、向上を知りません。
問題が起きれば不満や不安を吐き、苦しみに会えば逃げ出します。
そして、自分が悲劇の主人公だと思い込んで嘆(なげ)くのです。
そのような者が得られるのは乏しさです。
この世界には、因果の仕組みが存在し、それを離れられる者はいません。
不満や不安を吐き、苦しみから逃げ出し、絶望に嘆いているのであれば、乏しさを得るのは自然の理(ことわり)なのです。
満足は、簡単に得ることができません。
問題や苦しみや絶望を乗り越えた先にこそ、満足が存在しているのです。
あなたは、自らの進んでいる道に対して、自発的に励(はげ)まなければなりません。
あなたは、自らの進んでいる道を好まなければならないのです。
あなたは現在、その道を進んでいるのです。
それが現実です。
他の道を歩むとしても、それが新たな現実となるのです。
そこでは、同じように問題と苦しみと絶望が現れます。
嘘だと思うのであれば、人生を良く観察してみましょう。
あなたは、自らの因果から逃れることができないということに気が付くでしょう。
あなたは、心掛けによって因果を導きます。
どのような道を進もうとも、結果は心掛けに起源するのです。
あなたは、心掛けを改めなければなりません。
理想通りに事が進まないからといって、あれこれと心配する必要はありません。
心掛けが未熟なのだから、上手く進まないのは当然なのです。
当然のことをいちいち気に掛けていてはならないのです。
あなたは、自らの道を真っ直ぐに進みましょう。
あれこれと気に掛けてはなりません。
満足は簡単には手に入りません。
どのような問題が生じようとも、志(こころざし)が存在するのであれば、その道を進みましょう。
そうすれば、道は開けます。
しかし、それは簡単には実現しないということを覚えておきましょう。
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