あなたが人生の目的を果たすためには、一途に自分の道を進み続けなければなりません。
	一途に道を進むことがなければ、人生の目的を果たすことはできないのです。
	それは、一度決めたことは、満足するまで続けるということです。
	決めたことを変更する場合には、満足する必要があるということなのです。
	多くの人は、自分で決めたことを簡単に諦めてしまいます。
	多くの人は、道を簡単に放棄するのです。
	それには様々な理由がありますが、満足したという理由は存在しないのです。
	満足とは、満ち足りるということです。
	あなたは道において多くを学びます。
	それは、人生の欠片(かけら)であり、自分自身の一部なのです。
	道を進む目的は、人生と自分自身を理解するためです。
	それ以外の目的は存在しないということを知らなければなりません。
	道に満足するということは、その道において得られる人生や自分自身を理解するための手掛かりを十分に得たということなのです。
	人生や自分自身を理解するための手掛かりに満ち足りることによって、その道を進み続ける理由を失います。
	しかしながら、人生や自分自身を理解するための手掛かりを十分に得ることもなく、その道を諦めるというのは、その道における目的を果たしたことにはならないのです。
	そのため、あなたは次の道においても、同じことを学ばなければならないのです。
	あなたが満足することがなければ、本当の意味では道を変更することはできないということなのです。
	逃げた先でも、同じことを繰り返すのです。
	それでは、意味がないのです。
	大切なのは、その道において人生や自分自身を理解するための手掛かりを得ることに満足することです。
	道を満足することがなければ、次の学びへと進むことはできないのです。
	あなたが道を満足するためには、その道において人生や自分自身を学ぼうとする信念が必要です。
	信念がなければ、根の浅い樹木のように、風に倒されてしまうのです。
	空の容器は、簡単に飛ばされてしまいます。
	信念を持たずに道を進もうとする者は、道を進むことができないのです。
	あなたは、軽薄(けいはく)な気持ちによって道と向き合ってはなりません。
	自分が何のためにその道を進んでいるのか?ということを真剣に考えなければならないのです。
	あなたは、何のためにそれをしているのですか?
	自分なりの理由を持たなければ、信念が導かれることはないのです。
	理由を持たない者は浅はかです。
	空の器は大きな音を立てます。
	浅はかな者は、騒がしく生活します。
	浅はかな者は、快楽に溺れ、感情を振りかざすのです。
	信念を以(もっ)て道を進んでいる者は、静かに生活します。
	快楽に溺れ、感情を振りかざすようなこともありません。
	それは、道を進もうとしているからです。
	道を進むためには、賢明でなければなりません。
	心が乱れて騒がしく、快楽に溺れるような者は、道を進むことはできません。
	どのような道においても、それを極めるためには思慮深く、懸命に努力する必要があるからです。
	思慮に浅く、怠慢(たいまん)な者が、どうして道を極めることができるでしょうか?
	あなたの尊敬する人物は、思慮深く、懸命に努力する人であるはずです。
	あなたは、その人のように行いましょう。
	簡単に不安や心配や怒りに導かれてはなりません。
	快楽や欲望に従ってはならないのです。
	あなたは満足するために道を進んでいるのです。
	快楽や欲望に溺れることは、満足するということではありません。
	信念を以て、道に臨(のぞ)みましょう。
	そうすれば、あなたは少しずつ”気付き”という名の重りを器に蓄えることができるのです。
	中身の詰まった器は、小さく深い音を立てます。
	それは、風が吹いても飛ばされることはありません。
	あなたは、そのような人になりましょう。
	言い訳や不満を喚(わめ)き立てるような人になってはなりません。
	重厚な人を目指すのです。
	自分が一度決めた道は、それを満足するまでは一途に進み続けましょう。
	
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