すべての人は道を進んでいます。
	それは、人生の目的地への道のりです。
	すべての人は目的を以(もっ)て人生に生まれます。
	すべての人は、目的を果たすことを使命としているのです。
	そのため、人は目的地に向かって歩みを進めるのです。
	しかしながら、多くの人は、人生の目的を見失っています。
	多くの人は、どこへ向かって歩みを進めて良いかを知らないのです。
	そのため、誰かのように歩もうと試みます。
	誰かのように歩むことを非難しているのではありませんが、誰かの目的地とあなたの目的地は似て非なるものなのです。
	あなたはあなただけの目的地を目指しています。
	他者は、他者の目的地があるのです。
	人は、それぞれの目的地に向かって歩みを進める必要があるのです。
	大切なのは、自らの目的を知ることです。
	人生に対する目的を知らなければ、目的地を知ることもありません。
	目的地を知らなければ、歩みを進めることもできないのです。
	多くの人は人生の目的を見失っています。
	そして、自らの目指すべき目的地を知りません。
	そのため、歩んでいるように思っていたとしても、先へ進むことができていないのです。
	あなたは日々を消費していますが、人生が確実に展開していると感じているでしょうか?
	人生が展開しているというのは、成長を実感しているということです。
	成長を実感しているということは、人生がどのような展開をしようとも、それに充足しているということなのです。
	目の前の状況に対して、満足することができない者は、成長してはいません。
	不満に捕らわれるということは、それだけ狭量(きょうりょう)であるということだからです。
	どのような状況に対しても充足することができる人は、目的地へと向かって進んでいることでしょう。
	あなたが人生の目的を知り、目的地へと向かって歩みを進めたいと考えているのであれば、人生がどのように展開しようとも、そこに充足感を得るような意思選択を行えることが求められるのです。
	充足感を得るためには、器量(きりょう)が必要です。
	広量(こうりょう)でなければ、目の前の状況に対して充足感を得ることはできないのです。
	なぜなら、人生は思い通りには展開しないからです。
	人生は、あなたの期待を裏切り続けます。
	そのような展開に充足感を得るためには、狭量ではならないのです。
	”器”を育てるためには、目の前の状況に対して真摯(しんし)に向き合う以外に方法はありません。
	不満を抱き、心を汚しているような”暇(ひま)”はないのです。
	不満を選択しても、満足を選択しても、時間の消費は同じです。
	不満を選択すれば、狭量のために時間を使うことになります。
	満足を選択すれば、広量のために時間を使うことになるのです。
	少しずつ汚していけば、器は価値を失います。
	少しずつ磨いていけば、器は価値を増すのです。
	選択は、確実に積み重なるのです。
	人生に豊かさを求めているのであれば、器を磨くことに時間を使いましょう。
	時間を大切に扱わなければなりません。
	あなたが器を磨くことを選択すれば、自ずとその時間は充実したものになるのです。
	充実した時間を過ごしていれば、あなたは自分の人生の目的を知ることができるでしょう。
	人生の目的を知れば、目的地を知ることができます。
	目的地を知ることができれば、どのように歩みを進めるのかの目処(めど)が立つのです。
	そのような人の人生には、迷いがありません。
	迷いがなければ、悩みもないのです。
	苦悩を欲するのであれば、不満を選択しましょう。
	不満は多くの問題を引き起こしますが、多くの人はそのことを理解しないのです。
	多くの人は、余りにも簡単に不満を選択します。
	それが、器を汚しているということには気が付かないのです。
	汚れた器に何を注いでも、それは毒となるでしょう。
	狭量な者は、どのような状況を前にしても苦しむのです。
	それは、器が汚れているからです。
	しかしながら、それを誰かや何かのせいにしているのです。
	あなたは器を磨かなければなりません。
	そうすれば、不満を抱くことも無くなるでしょう。
	狭量な者は毒を飲み、広量な者は良薬を飲むということを覚えておきましょう。
	
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