あなたは、幸福について考え続けなければなりません。
	すべての人は、幸福を求めています。
	幸福の形はそれぞれに異なりますが、誰もが自分の幸福を目指しているのです。
	すべての人が幸福を得るために活動しています。
	すべての人が、自らの幸福のための選択を続けているのです。
	幸福の形が異なるため、選択も異なるのが自然です。
	そのため、誰かのように選択することが、あなたの幸福とは限りません。
	幸福への道のりは、一つではないのです。
	目指す幸福によって、その道のりは異なります。
	しかしながら、幸福に辿り着くためには、自分勝手であってはならないということだけは共通していることなのです。
	多くの人は、自らの幸福を求める余り、利己的な考え方に陥ってしまいます。
	多くの人は、幸福を焦ります。
	多くの人は、幸福を得るために必死なのです。
	そのため、どうしても、自分の考える最短の道のりを選ぶようになるのです。
	残念ながら、すべての人が未熟です。
	誰も、幸福への近道を知りません。
	なぜなら、誰もが幸福へ到達してはいないからです。
	辿り着いたこともない者が、その道のりを知ることはできません。
	多くの人の考える幸福への道のりは、推測(すいそく)に過ぎません。
	そのため、その道のりが幸福へと続いているかは分からないのです。
	しかしながら、多くの人は自らの推測を信じて疑いません。
	多くの人は、自分の選択が正しいと考えているのです。
	例えば、多くの人は金持ちになることによって、幸福に辿り着くと考えています。
	多くの人は、財産が欲しいのです。
	しかしながら、あなたが金持ちになるためには、貧乏人を生み出す必要があります。
	金持ちという状態を保つためには、貧乏人との相対的な関係性を必要とするのです。
	誰もが裕福であれば、金持ちという状態を保つことはできません。
	多くの貧乏な人たちの支えによって、金持ちは財産を保つことができるのです。
	そのため、金持ちになることが幸福だと考えている人は、その裏では多くの貧乏な人たちを求めているということなのです。
	もちろん、金持ちになることが幸福だと考えている人は、そのようなことは意識してはいません。
	しかしながら、誰かが金持ちになるということは、誰かが貧乏になるということなのです。
	これは、金持ちになることが悪いというのではありません。
	人は、幸福を得る理由を考えなければならないのです。
	金持ちになることを目指している人は、何のために金持ちになるのでしょう?
	大抵の場合、その理由は利己的なものです。
	欲望を満たしたいとか、貧乏の苦しみから逃れたいというのが理由であるでしょう。
	それ等の理由は、自分勝手なものなのです。
	残念ながら、人は自分勝手に幸福を手にすることはできません。
	なぜなら、あなたは幸福までの道のりを知らないからです。
	あなたが幸福に辿り着くためには、幸福までの道のりを誰かに尋(たず)ねる必要があるのです。
	知らない土地に出向いた時には、その土地の人に道を聞くのが良いでしょう。
	それと同じように、幸福に辿り着くためには、誰かの協力を必要としているのです。
	金持ちになりたいという願いのように相対的な幸福を求めているのであれば、あなたが幸福を得るために、誰かが不幸になる必要があります。
	自分勝手に道を進んだとしても、あなたは幸福へと辿り着くことはできないのです。
	あなたは誰かを自分と同じように幸福にしなければなりません。
	自分と他者が幸福を得る状態こそが幸福であるのです。
	自分だけが幸福であったり、他者だけが幸福であるという状態は、決して幸福という状態ではありません。
	誰かを犠牲にして幸福を得た人はいません。
	”悪事”を働いて幸福になった人はいないのです。
	あなたは、自分の幸福と同時に、相手の幸福も望みましょう。
	それが、人に道を聞くということなのです。
	あなたの幸福への道のりは、あなたが幸福を与えた相手から教えてもらうことができるでしょう。
	あなたが不幸を与えた相手からは、不幸への道のりを教えてもらえるのです。
	自分の幸福のために、誰かを不幸にしてはなりません。
	自分と他者が互いに幸福を得る状態こそが、真(まこと)の幸福です。
	あなたは、そのような道を進みましょう。
	その道に間違いはありません。
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