あなたは、小さなことにも気を付けなければなりません。
	この世界において重要なのは、すべてが小さなことが積み重なった結果だということです。
	どのような成果も、小さな積み重ねによって実現しているのです。
	突然に成果が現れることはありません。
	すべては、小さなことの積み重ねであるということを覚えておきましょう。
	すべてが小さなことの積み重ねであるということは、小さなことを蔑(ないがし)ろにしてはならないということです。
	あなたは、小さなことを大切にしなければなりません。
	多くの人は、成果が小さなことの積み重ねであるということを知りません。
	そのために、小さなことを蔑ろにするのです。
	しかしながら、臆面(おくめん)もなく、大きな成果を求めます。
	大きな成果というものは、小さなことの積み重ねの結果であるのです。
	小さなことを蔑ろにする者が、大きな成果を得ることはできません。
	あなたが何かしらの成果を求めているのであれば、小さなことを蔑ろにしてはならないのです。
	小さなことを大切にしなければならないのです。
	塵(ちり)は目には映りません。
	それは、とても小さなものだからです。
	しかしながら、小さな塵も、積もることによって輝きを奪います。
	美しく磨き上げられた鏡も、塵が積もることによって曇るのです。
	塵が積もり、輝きを失った鏡は役に立ちません。
	輝きを失った鏡は、真実を映し出す力を失うからです。
	あなたは、鏡が塵によって曇る前に磨かなければなりません。
	塵は小さなものだと侮(あなど)ってはならないのです。
	小さな塵も積もれば鏡を損なうことができるのです。
	あなたは、小さなことを大切にしなければなりません。
	鏡に塵が積もる前に、それを磨くべきなのです。
	毎日磨いていれば、鏡が曇ることはないでしょう。
	しかしながら、多くの人は毎日鏡を磨くことをしません。
	大抵の場合が、汚れが目立ってから磨くのです。
	しかしながら、それでは遅いのです。
	鏡が汚れていれば、その間は真実を映し出すことがないからです。
	鏡が、自分の心だと仮定してみましょう。
	そうすれば、それがどのようなことかを理解することができるでしょう。
	心が汚れ、真実を捕らえることができない者には、歪んだ認識が導かれます。
	人は、歪んだ認識によって、洗濯を誤るのです。
	人は豊かさを求めています。
	しかしながら、認識が歪んでいるのであれば、豊かさを求めながら、乏しさを選択する結果となってしまうのです。
	鏡が汚れていれば、対象を正確に認識することができないように、心が汚れていれば、正しい道理を理解することができないのです。
	正しい道理を理解することができなければ、人は小さなことを積み重ねることを嫌うようになるのです。
	小さなことの積み重ねが大きな成果を導くのが道理です。
	しかし、小さなことの積み重ねを嫌うのであれば、成果を導くことができないということなのです。
	あなたは怠慢(たいまん)を喜んではなりません。
	汚れていないように見える鏡を磨くのです。
	あなたは、自分(の心)が正しいと考えるでしょう。
	しかしながら、そのようなことは有り得ません。
	塵一つないように見える鏡であっても、光を当ててみれば多くの塵が付着していることを発見します。
	光によって、汚れは照らし出されるのです。
	光とは、真実のことです。
	真実の光によって、あなたは自らの心の汚れを知るでしょう。
	あなたが真実を求め、誠実に生きれば、輝きを奪うものを見付けることができるでしょう。
	偽りを好む者は、心の汚れを気にしません。
	それは、小さなことを積み重ねることを気にしないということなのです。
	真実を積み重ねれば、それに相応しい成果が導かれます。
	偽りを積み重ねれば、それに相応しい成果が導かれるのです。
	真実と偽りとでは、形が異なります。
	真実と偽りを互いに積み重ねたとしても、それは大きな成果を導かないのです。
	大きな成果を導く前に、形の違いによって倒壊してしまうでしょう。
	偽りを喜んではなりません。
	あなたは小さな真実を積み重ねましょう。
	人生を豊かにするには、誠実に一途であるということです。
	小さな真実を積み重ねましょう。
	小さな偽りを積み重ねてはなりません。
	
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