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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2017年10月31日火曜日

失明

大切なのは、見極めることです。
あなたは瞼(まぶた)を開き、よく見なければなりません。
あなたは本質を見極めなければならないのです。
多くの人は本質を見極められません。
多くの人は、表面的な部分を見て、それが真実だと思い込んでいるのです。
残念ながら、人が真実を見ることはできません。
人は本質以外を見詰めるのです。
すべての人が未熟です。
すべての人が無知であり、すべての人が間違えるのです。
あなたは、自分が間違えているということを理解しなければなりません。
そして、他者も同じように間違っているということを知るのです。
誰もが間違えます。
それは仕方のないことですが、間違えを続けていてはなりません。
間違いに気が付き、それを改める必要があるのです。
すべての人は偏見を抱いています。
それは、すべての人が偏った思想に従っているからです。
すべての人の価値観は、立場に従って歪んでいます。
誰もが、異なった立場に従っているのです。
そのため、求める価値が異なるのです。
それは、偏見を導くのです。
この世界において、偏見を所有しない人はいません。
すべての人が偏見を通じて世界を見ているのです。
多くの人は、自分の立場に従った利益を求めます。
多くの人は、自分の利益を見詰めるのです。
それは、その人にとっての光です。
利益とは、その人にとっては希望の光なのです。
すべての人が利益という名の光を見詰めます。
それは良いことのように思えるでしょう。
しかしながら、あなたは光を見詰めることに注意を払わなければなりません。
光は価値のあるものでしょう。
しかしながら、それを見詰め続ければどうなるでしょう?
日光は最大の恵みであり、利益です。
それを見詰め続ければ失明するでしょう。
多くの人は利益を求めていますが、それは、太陽を見詰め続けるようなものなのです。
それが問題を引き起こすことは、誰にでも理解することができるでしょう。
しかしながら、欲に逆上(のぼ)せた人間には、そのことを理解することができないのです。
そのため、多くの人が失明しています。
多くの人が視力を失い、本当に大切なものを見極めることができなくなっているのです。
多くの人は、自分の立場に従って苦しみます。
多くの人は、自分の苦しみを見詰めるのです。
それは、その人にとっての闇です。
苦しみとは、その人にとっての絶望なのです。
すべての人が苦しみという名の絶望を見詰めます。
多くの人は苦しみに溺れますが、それは、暗闇を見詰め続けるようなものなのです。
それが問題を引き起こすことは、誰にでも理解することができるでしょう。
しかしながら、苦しみに溺れた人間には、そのことを理解することができないのです。
光を見詰め続ければ失明するように、闇も見詰め続けるのであれば、同じように視力を失うのです。
暗闇の中では視力は必要ではありません。
そのため、視力を失うのです。
光であっても、それを見詰め続ければ失明します。
闇であっても、それを見詰め続ければ失明するのです。
偏見は、あなたの視力を奪うのです。
視力を失った人間は、本質を見極めることができません。
それは、偽りの世界に生き続けるということなのです。
大切なのは、偏見に陥(おちい)らないことです。
利益ばかりを追い求めてはなりません。
苦しみに落ち込んでいてはならないのです。
大切なのは、光と闇を同時に見詰めることです。
難しいのであれば、交互でも良いでしょう。
とにかく、あなたは光と闇の両方を見詰めなければならないのです。
良いことばかりに目を向けてはなりません。
悪いことばかりにも目を向けてはなりません。
人生には、良いことも悪いこともあって良いのです。
光と闇が、あなたに本質を見せるでしょう。
そのことの大切さを理解しましょう。

2017年10月30日月曜日

進化は道を選ばない

人は、それぞれの道を持ちます。
人は、それぞれの道を歩まなければなりません。
それは、それぞれの目的が異なっているからです。
人は、それぞれに異なった役割を与えられています。
あなたと同じ人物は、この世界には存在しません。
この世界には、あなたの代わりとなる人は存在しないのです。
あなたはあなたであり、他者は他者です。
あなたが他者と成ることは叶わず、他者があなたに成ることも叶いません。
すべての存在が、唯一なのです。
あなたは特別なのです。
そして、他者も特別なのです。
それぞれが特別な存在であることを覚えておかなければなりません。
それぞれが異なった目的地に向けて、それぞれに異なった道を歩みます。
互いの道は見えていますが、それが重なることはありません。
二つの道が隣り合うことはありますが、人はそれぞれの道を歩むのです。
しかしながら、多くの人はそのことに気が付きません。
多くの人は、誰かのように道を歩みたがるのです。
多くの人は、自らの道を歩むことができません。
それは、自分が間違っていると思い込んでいるからです。
確かに、あなたは間違っています。
残念ながら、あなたが正しいということはありません。
しかしながら、それは他者にも言えることなのです。
あなたが間違っているように、他者も間違っています。
あなたが正しくないように、他者も正しくはないのです。
誰もが無知であり、誰もが未熟であるのです。
そのため、正解を理解することはできません。
しかしながら、多くの人は正解が存在すると誤解しているのです。
そのため、正解を求めて誰かのように道を歩もうとします。
残念ながら、誰かのように道を歩もうとする試みが、あなたの唯一の間違いです。
それぞれの道は異なっているのです。
異なっているのが自然です。
それを矯正(きょうせい)しようとするのは不自然なのです。
多くの人は、人生に不自然を引き込みます。
それが問題を引き起こします。
問題は苦悩に結び付くのです。
大切なのは、人が自らの道を進むことです。
自らの道に正解はありません。
そのため、多くの人は不安を抱え、歩みをためらいます。
自らの道を進むことをためらい、誰かのように生きようと試みるのであれば、苦悩が導かれるのです。
大切なのは、進化は道を選ばないということです。
進化は決められた手順を踏み、決められた形を得るのではありません。
様々な可能性を取り入れることによって、進化は創造されるのです。
あなたが自分の道を歩むということは、唯一の可能性を取り入れるということです。
あなたの他に、あなたの道を歩んだ人はいないのです。
あなたが唯一、その道を行くのです。
それ以上の可能性が存在するでしょうか?
誰かのように探しても、あなたの道では同じように見付けることはできないのです。
進化の可能性とは、何も無い場所に存在します。
そのため、あなたは何も無く、誰にも荒らされていない唯一の場所である、自分の道に可能性を探さなければならないのです。
あなたの見出す可能性は、他者とは違うものとなるでしょう。
あなたの可能性と、他者の可能性は同じであってはならないのです。
あなたには、あなただけの可能性が存在します。
それを探すことによって、自分の道を得るでしょう。
難しいことではありません。
あなたは自分が好きなものを好きと言い、興味があるものを素直に楽しめば良いのです。
ただそれだけです。
周囲の目を気にして、自分の道を閉ざしてはなりません。
誰かのように生きなくても良いのです。
誰かのように成らなくても良いのです。

2017年10月29日日曜日

真理への道のり

この世界には、陰陽の仕組みが存在しています。
陰とは破滅的な方向性であり、陽とは建設的な方向性です。
この世界は、陰陽の協力によって成り立っています。
破滅的な力と聞けば、ネガティブな印象を抱く人もいます。
しかしながら、破滅的な力は決して悪いものではありません。
この世界には循環が存在し、循環している状態こそを豊かさと呼ぶのです。
循環は、破滅的な力と建設的な力の入れ替わりによって実現します。
死がなければ、生はないのです。
生を得るためには死を得る必要があります。
死を得るためには生を得る必要があるのです。
破滅的な力と建設的な力は、互いに協力して循環を生み出しているということを覚えておきましょう。
この世界には、不自然と自然が存在しています。
不自然とは、破滅的な方向性であり、自然とは、建設的な方向性です。
それは、あなたの内にも存在しています。
あなたは、自我(弱い心)という不自然と、真我(しんが)(強い心)という自然を兼ね備えているのです。
自我はあなたに破滅的な力を与え、真我は建設的な力を与えます。
自我によって、あなたは死を得ることができ、真我によって、生を得ることができるのです。
人は常に自我と真我によって循環しているのです。
自我とは地面を捉える足であり、真我とは次の地面に差し出された足なのです。
自我と真我の協力によって、あなたは真理へと歩みを進めることができるのです。
そのため、あなたが真理を求め、道を探求しているのであれば、心の中には葛藤(かっとう)が生じているのです。
自我と真我による葛藤は、悩みや迷いとして認識されるのです。
あなたが悩み、迷っているのは、真理を求めて道を探求しているからに他ならないのです。
悩みとは、循環なのです。
多くの人は悩みを悪いものと決め付けます。
しかしながら、悩みが無いということは、進化も無いということです。
次の一歩を踏み出すことによって、その歩行は不安定な状態を得ます。
差し出した足をどこに置くのか?
置いた後に転ばないか?
怪我をしないか?
様々な不安が生じるのです。
真理への道のりはそのようなものなのです。
人は葛藤の中に道を見出す必要があるのです。
悩みがあるということは、変化のプロセスにいるということなのです。
人生には悩みが尽きません。
人生に悩みが無いということは、停滞を意味しているのです。
それは循環を離れた状態であり、導かれるのは乏しさです。
一見すると、悩みが無いことを豊かさだと考えるでしょうが、本質は逆なのです。
大切なのは、悩みを受け入れるということです。
多くの人は悩みを否定します。
それは、悩みを悪いものだと決め付けているからです。
あなたは、悩めることに感謝しましょう。
そうすれば、物事の本質が見えてきます。
悩みを抱いた状態を楽しく生きるのです。
そうすれば、次の一歩を踏み出していることに気が付くでしょう。
悩みを否定するのは不自然な態度です。
それは、悩みが存在するのが自然だからです。
残念ながら、悩みを抱えない人は存在しません。
すべての人が悩みを抱えているのです。
悩みを抱えていて良いのです。
悩みを無理に解決する必要もありません。
循環を促(うなが)すために悩みが導かれるのです。
悩みによって多くを学び、考え方を改めることができれば、価値観の循環が生まれ、悩みは解決するのです。
無理に悩みを解決しようとして、考え方を改めることもなく強引に事を進めれば、却(かえ)って悩みは大きく育つのです。
状況を把握しなければなりません。
それは、悩みと向き合うということなのです。
結果は思い通りにはなりませんが、最善が導かれます。
安心して悩みましょう。

2017年10月28日土曜日

思いも付かない成果

この世界には、因果の仕組みが存在しています。
すべては因果に根差します。
一切は、因果を離れることができないのです。
結果には、それに相応しい原因が存在しています。
原因に相応しくない結果は存在しません。
結果に相応しくない原因も存在しないのです。
原因は、必ず結果に結び付きます。
因果の仕組みにおいて、発芽しない種は存在しないのです。
すべての因果は実ります。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
因果の実りは、必要を満たして実現します。
種が発芽するには必要な条件を満たさなければなりません。
必要な条件が満たされた時、種は発芽するのです。
因果の実りも、必要に応じて導かれます。
しかしながら、必要とは、あなたの都合ではありません。
それは、あなたの成長にとっての必要なのです。
あなたが成長するために最も適した時期に因果の実りは実現するのです。
それは、一つの成果として現れるのです。
あなたにとってどのような成果であろうとも、それは、成長のために導かれます。
どのような成果を得ようとも、それによってあなたは成長することができるのです。
あなたは未熟です。
未熟なあなたの都合に合わせていれば、いつまでも成長を実現することができません。
あなたにとっての必要は、因果の仕組みが見極めるのです。
そのため、あなたはそれを信じて、原因を選択しましょう。
成果の時期を選ぶことはできませんが、原因を選ぶことはできます。
あなたは、何の種を蒔(ま)くのかを選ぶことができるのです。
蒔いた種は、条件を満たして発芽します。
種を蒔くという原因を選択したとしても、発芽という結果は自然任せなのです。
原因を選択したとしても、結果は待たなければならないのです。
多くの人は、結果を待つことができません。
それは、青い果実を貪(むさぼ)るようなものなのです。
熟していない果実を貪れば、渋味(しぶみ)を味わうことになります。
熟すれば美味しい果実も、青い時に貪れば台無しなのです。
大切なのは、待つことです。
”果報は寝て待て”という言葉があるのです。
種を蒔き、懸命に世話をして、成果は自然に任せるのです。
成果も自分の力で得ようとするのは傲慢(ごうまん)に他ならないのです。
思い通りの成果を手にしようとしてはなりません。
それでは、因果は歪んでしまいます。
それは、毒の果実を結ぶ種を蒔くようなものなのです。
成果を欲してはなりません。
何を得ようとも、それで良いのです。
そこから成長すれば良いのです。
思うような成果は必要ではありません。
思い通りの成果を得るのであれば、それ以上に成長することはできないのです。
思い通りの成果には、新たな発見は存在しないからです。
思い通りにいかない状況だからこそ、成長することができるのです。
成長とは、苦しい状況において実現されます。
楽な状況では、成長する必要などないのです。
多くの人が、楽な状況を欲しています。
それは、成長を否定していることと同じなのです。
そこには、豊かさは実現しないのです。
残念ながら、あなたには思い通りの成果は導かれません。
あなたの計画は頓挫(とんざ)するでしょう。
あなたはそれを嘆(なげ)きます。
しかしながら、これからはそれを喜びましょう。
思い通りにいかないことが最善です。
この世界には、思い通りの成果よりも、より良い成果が存在しているのです。
あなたの思い付くことは、残念ながら、あなたにとっては良いものではないのです。
思いも付かないことこそが、本当に良いものなのです。
そのことを覚えておきましょう。
出来る限りのことをしましょう。
原因を積み重ねることを続け、成果を気にしてはなりません。
そして、思いも付かない成果を、思い掛け無い時期に得るのです。

2017年10月27日金曜日

美しい輪唱

人生とは、選択です。
あなたは常に選択しています。
あなたは常に選択しなければならないのです。
すべての人が、選択と共に人生を歩みます。
選択を拒否することはできません。
何かを選ぶことも選択ですが、何かを選ばないことも選択であるからです。
すべてが選択であり、あなたは常に選択しているのです。
すべての人が幸福を求めています。
すべての人は、それぞれの幸福の形を所有しています。
そして、それぞれの幸福の実現を求めているのです。
幸福の形はそれぞれに異なっているのが自然です。
人は、それぞれの幸福を実現すれば良いのです。
しかしながら、幸福を実現する方法は共通しています。
あなたはそのことを覚えておかなければならないのです。
誰もが自分の求める幸福を所有しています。
誰もが自分であれば、幸福への方向性は自然と定められます。
あなたが自分でありさえすれば、幸福に迷うことはありません。
それは、自分というものが幸福の目的地であるからです。
人は、誰もが自分を知るために幸福を求めているのです。
幸福とは、自分であるということです。
自分が何者なのか?という問いの答えが幸福です。
自分を知れば、人生が何のためにあるのか?という問いの答えも自ずと導かれます。
あなたが幸福を得るためには、自分でなければならないのです。
しかしながら、あなたが自分であることは簡単なことではありません。
それは、あなたが常に自分以外の他者に引き寄せられるからです。
ある歌を輪唱(りんしょう)する時、あなたは他者の歌声に釣られてしまいます。
あなたの歌声は、他者の歌声の調子に導かれるのです。
そして、いつの間にかに同じように歌っているのです。
人は、他者と共鳴するのです。
あなたは常に他者と共鳴しています。
他者と共鳴する内に、考え方や価値観の調子が揃(そろ)います。
あなたはいつの間にかに、周囲の人と同じように振る舞うようになるのです。
あなたの人生は、他者の人生と共鳴しています。
あなたは、他者と同じような人生を築くのです。
しかしながら、多くの人は幸福を実感してはいません。
多くの人は、不満や不安を抱えながら生きているのです。
それは、自分ではないからです。
それが、自分の人生ではないからなのです。
共鳴するのは良いことです。
それは、美しい輪唱を響かせるからです。
しかしながら、そのためには、それぞれが自分であるという前提が必要なのです。
あなたが自分を手放し、他者を生きるのであれば、この世界には美しさが導かれません。
あなたはそのような世界に幸福を感じることはないのです。
他者に引き摺(ず)られ、自分を見失うということは、人生の可能性を失うことと同じです。
幸福とは、選択肢の数によって決まるのです。
あなたが自分であることは、人生に無限の選択肢を導く行為なのです。
しかしながら、自分を見失うことによって、あなたは同時に選択肢を失うのです。
選択肢の数が多いことに、人は幸福を感じます。
しかしながら、選択肢の数が少なければ、人は不幸を覚えるのです。
人は、自分であることによって多くの選択肢を得ることができます。
自分であれば、自由なのです。
しかしながら、他者のように生きれば、選択肢はそれ以外にはありません。
自分を失えば、自由を失うのです。
大切なのは、自分であることです。
あなたが自分である以上に、選択肢を増やす方法はありません。
幸福を求めているのであれば、自分でありましょう。
他者という既知(きち)に生きてはなりません。
自分という未知に生きるのです。
そこには、無限の選択肢が存在しているのです。

2017年10月26日木曜日

自分の型を破る

あなたは、何のために生まれたのですか?
与えられた指示に従い、ただ老化するためですか?
生き方は無限に存在しています。
この世界には決められた生き方というものは存在しません。
あなたがどのような生き方を選択しようとも、それはあなたの自由なのです。
誰も、あなたの生き方や人生に口を挟むことはできません。
誰にも、あなたの生き方や人生を変える力はないのです。
あなたは、自らの選択に従うのです。
どのような生き方も、あなたの選択です。
どのような人生も、あなたの選択の結果であるのです。
与えられた指示に従い、ただ老化するのもあなたの選択です。
誰にも、それをやめさせることはできないのです。
あなたは、人生が自らの選択によって実現するということを理解しましょう。
あなたは、自らの生き方によって、人生を実現するのです。
どうするかはあなたの自由なのです。
ただ、知らなければならないのは、これがあなたの人生であるということです。
あなたは、自分の人生を生きているのです。
他の誰かの人生を生きているのではありません。
あなたは自分の意思によって、好きな生き方を選ぶことができるのです。
あなたは、現状に対してどのような感情を抱いていますか?
現状に満足することができているでしょうか?
残念ながら、多くの人は現状に対して不満を抱きます。
多くの人が、別の現実を求めているのです。
不満に思うことを続ける理由があるでしょうか?
あなたは、いつまでも不満に思うことを続ける必要はないのです。
不満に思うことがあるのならば、それを解消するために行動しなければならないのです。
不満を抱えて生きることは、あなたの力を奪うでしょう。
あなたはその力によって、世界に貢献しなければならないのです。
力を失えば、貢献することができないのです。
それでは、何のために生まれたのか?という問いに答えることはできないのです。
あなたは、満足しなければなりません。
不満を満足へと変えていかなければならないのです。
そのための行動を素早く行わなければなりません。
今までとは異なる選択をするのです。
自分の型を破るのです。
自分の型を破ることがなければ、人は同じことを繰り返します。
同じことを繰り返すのであれば、変化を導くことはできないのです。
変化を導くことができなければ、不満を満足へと変えることはできないのです。
既成概念(きせいがいねん)とは、未熟な価値観です。
多くの人は、未熟な価値観に従うことを許します。
それは、未熟な価値観に従えば乏しさを得るということを知らないからです。
未熟な価値観とは無知です。
未熟な価値観に従う者は、無知であるということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたが豊かな人生を望んでいるのならば、自分の型を破りましょう。
同じことを繰り返してはなりません。
人生は、挑戦することに価値があるのです。
未知に価値があり、既知(きち)に価値はありません。
あなたは、既に聞いたことのある話に感動することができますか?
何度でも感動することができると主張する人もいるでしょうが、それは、補正された感情であって、純粋な感動ではないのです。
人生を豊かなものにするために必要なのは、純粋な感動です。
あなたは感動に従う必要があるのです。
しかしながら、感動を得るには自分の型を破り、新しい選択を必要とします。
多くの人にとって、それは悩みの種なのです。
挑戦は、あなたを悩ませるでしょう。
しかしながら、恐れているのであれば、満足も豊かさも得ることはできないのです。
挑戦してもしなくても、結局のところあなたは悩みます。
どちらにしても、悩みが尽きることはないのです。
ならば、挑戦してから悩みましょう。
やらずに悩むよりも、やって悩む方が建設的なのです。
歩まずに悩むよりも、歩んで悩む方が可能性を得られるのです。
あなたは、自分自身と闘いましょう。
自我意識(弱い心)があなたの挑戦を拒むのです。
誰も、あなたの挑戦を拒みません。
あなたが不満を続けているのは、自分自身の選択であるからです。
自分が何のために生まれたのかを考えましょう。
その答えが現状にあると思うのであれば、しばらくそうしていましょう。
しかしながら、いつかは現状に対して我慢できない時が訪れます。
その時には、勇気を出して挑戦してみましょう。
人生は、あなたの挑戦を応援します。
応援していないのは、自分自身だけであるということを理解しましょう。
あなたの応援があれば、必ず上手くいきます。
ただし、あなたの求める最善と、真の最善には差異があるということは覚えておかなければなりません。

2017年10月25日水曜日

全体の欠片

すべての人が未熟な状態です。
すべての人が未熟を生きているのです。
この世界には、完成された人間は存在しません。
すべての人が歪んでおり、欠けているのです。
それは、この世界の役割を与えられたからです。
人は、それぞれに特別な役割を与えられているのです。
そのため、人は完成した状態を生きることはできないのです。
人は、全知全能の状態を生きることはできません。
人は、この世界の欠片(かけら)なのです。
欠片はそれぞれの形に分けられました。
それは、欠片がそれぞれの特別を得ることによって、学びを得ることができるからです。
人は、未熟であるが故(ゆえ)に学ぶことができるのです。
人は、未熟を離れることはできません。
しかしながら、分けられた欠片は一つの全体に戻らなければなりません。
人は、全体に原点回帰しなければならないのです。
始まりは全体であったのです。
それが分かれて個体となったのです。
多くの人が利己的な考えに従っているのは、全体から分かれた後の価値観に従っているからなのです。
残念ながら、利己的に生きても豊かさを得ることはできません。
なぜなら、それが役割ではないからです。
欠片が利己的に振る舞うということは、全体を形成することを拒んでいるということなのです。
全体が大きな壺(つぼ)であるとすれば、それは穴の空いた壺となるのです。
穴の空いた壺は、豊かさを蓄えておくことができません。
豊かさとは、全体によって蓄えられるものであるからです。
すべての欠片が集まらなければ、豊かさは漏れ出ます。
それでは、豊かさを得ることはできないのです。
あなたは、全体性を見失ってはなりません。
全体性を見失った人間は、自分の役割を果たそうとはしないからです。
あなたは一つの欠片であり、それは全体を支える重要な役割なのです。
一つ一つの欠片が互いに手を取り合い、豊かさを蓄えなければならないのです。
小さな欠片であっては、少しの豊かさも蓄えることができないのです。
壺の欠片で水を蓄えようとしても、それは微々たるものに過ぎません。
しかしながら、欠片を集めて壺を作れば、大量の水を蓄えることができるのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、全体性を理解し、互いに協力することを目指さなければなりません。
多くの人は、微々たる豊かさを求めて、欠片で豊かさを受けます。
天から降る雨粒を欠片で受けたとしても、それをとどめておくことはできません。
しかしながら、壺であれば、雨粒で喉(のど)の渇きを潤すことができるのです。
欠片では飢えを得ますが、壺であれば満足を得るのです。
独りの力などたかが知れています。
残念ながら、独りの力では及ばないことの方が多いのです。
自分独りで豊かさを得ようと試みる人は多くいますが、誰一人として成功した者はいません。
それは、この世界の構造上不可能であるからです。
あなたは利己的に生きてはなりません。
他の欠片と力を合わせて、雨粒を受けるのです。
未熟な者同志であれば、力を合わせることができます。
あなたは他者の力を必要とし、他者はあなたの力を必要としているのです。
あなたが欲するものを、同じように他者も欲しています。
あなたは自分が欲するものを他者に与えましょう。
あなたが力を借りたいのであれば、力を貸しましょう。
与えることを考え続けましょう。
受け取ることは考える必要がないのです。
なぜなら、与えれば、必ず受け取ることができるからです。
都合の良いようには与えられません。
それは、あなたが未熟であるからです。
あなたの都合に合わせていれば、必要を満たすことができないからです。
あなたにとって本当に大切なものは、因果の仕組みに任せておけば良いのです。
あなたの判断では、必ず間違えるからです。
協力を求めてはなりません。
協力をするのです。
ただ、それだけで良いのです。
自分が全体の欠片であることを覚えておきましょう。
そして、多くの欠片と協力しましょう。

2017年10月24日火曜日

特別な存在

すべての人は、唯一の役割を与えられています。
あなたは特別です。
しかしながら、これはあなたを自惚(うぬぼ)れさせるための言葉ではありません。
あなたと同じように、他者にも唯一の役割が与えられ、特別な存在なのです。
誰もが唯一の役割を与えられた特別な存在です。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
あなたも他者も、特別な存在なのです。
これは、それぞれの独立を後押しする言葉なのです。
あなたは、自分という存在を独立させなければならないのです。
多くの人は、自分という存在を他者に依存させています。
多くの人は、自分という存在を確立してはおらず、他者に似せることによって成り立たせています。
もちろん、人は他者の影響を受けます。
それは、自分だけでは成長することができないからです。
人は、他者の力を借りることによって、新たな視点を得ることができます。
そのため、他者の影響を受けることは決して悪いことではありません。
しかしながら、他者の影響を受ける目的は、自分という存在を成長させることなのです。
多くの人は、自分という存在を成長させることを忘れて、他者の影響を受けているのです。
それは、他者への依存を促(うなが)し、結果として、自分を見失うことに繋がるのです。
多くの人が、他者からの影響をそのままの形で納得しています。
それでは、他者を真似るだけであり、いつまで経っても自分を独立させることはできないのです。
大切なのは、自分を独立させることです。
それは、特別な自分を築く作業なのです。
あなたが自分の特別さに気が付けば、自然とそのように働き掛けます。
特別な自分という意識によって、自分という存在は独立します。
それは、唯一の役割に働き掛けることに繋がるのです。
あなたが自分という存在を尊重すれば、唯一の役割を果たすことができるのです。
多くの人は、自らに与えられた役割を果たすことができません。
多くの人は他者に憧れます。
自分という特別な存在を無視して、他者のように生きていくのです。
それが特別な自分という存在と、唯一の役割を放棄することになるとは知らないのです。
無知な者は、愚かにも自分を手放します。
他者のように生きれば、幸福が得られると思い込んでいるのです。
残念ながら、自分を放棄すれば、辿り着くのは不幸です。
自分が何者なのかを知らず、何をすれば良いかも分からない者が、どうやって満足を得るというのでしょうか?
ルールの分からないゲームを楽しむことができますか?
暗闇の中を歩くことに幸福を覚えるでしょうか?
目的地に向かい、景色を愛(め)で、様々な発見をすることが幸福なのです。
自分を放棄する者は、幸福を得ることができません。
あなたが幸福を求めるのであれば、自分を放棄してはなりません。
自分の思うように生きるのです。
常識に縛られては、特別な役割を果たすことなどできないのです。
他者からの理解を得る必要はありません。
誰にも知られる必要はありません。
誰からも感謝される必要はありません。
それ等は結果であっても、動機には成り得ないのです。
理解を得られなくても、知られなくても、感謝されなくても、あなたは自分の思うように生きましょう。
誰かを真似て生きる必要はありません。
誰かの顔色を伺(うかが)って生きることは間違っています。
思うように生きて、世界に貢献するのです。
思うように生きて、誰かを助けるのです。
思うように生きて、生活を成り立たせるのです。
思うように生きて、自由を得るのです。
思うように生きて、安らかに死を得ましょう。
あなたは特別な存在です。
あなたには唯一の役割が与えられています。
それを放棄してはなりません。

2017年10月23日月曜日

虚しさの重荷

人生を豊かなものにするためには、仕事を果たさなければなりません。
仕事とは、与えられた役割のことです。
あなたは、自らに与えられたこの世界での役割を果たさなければならないのです。
それ以外の方法によって、あなたが人生を豊かなものとして認識することはできません。
何をやっても満たされません。
快楽を貪(むさぼ)ろうとも虚しいだけなのです。
仕事を果たすこと以外は、すべてが虚しいのです。
あなたは、そのことに気が付く必要があるのです。
虚しく時を過ごしてはなりません。
虚しさを集めて、無理に心を満たそうとしてはなりません。
虚しさによって心を慰めようとも、決して満たされることはないのです。
あなたは、仕事を果たさなければなりません。
しかしながら、人は自らに与えられたこの世界での役割を見失っています。
それは、同時に仕事を見失っているということなのです。
残念ながら、自らの役割を覚えている人はいません。
すべての人が、虚しさを集めるのです。
あなたが集めているものも、残念ながら虚しさなのです。
しかしながら、そのことを受け入れはしないでしょう。
あなたが集めているものが虚しさだと言われれば、不愉快な気分に成ることでしょう。
しかしながら、あなたは自分を見詰め直さなければなりません。
多くの人は、多くを集めます。
それは、欲する気持ちです。
なぜ、欲する必要があるのでしょうか?
それは、虚しいからです。
虚しさを埋めるために、より多くを求めるのです。
虚しさを抱えているために、より多くが必要だと考えるのです。
何かが必要だと考えている人は、自らに与えられた役割を見失っているということを覚えておきましょう。
自らに与えらえた役割を見極める人は、何かが必要だとは考えません。
なぜなら、すべての必要が既に満たされているということに気が付くからです。
すべての必要が満たされていると知っている人は、それ以上を求める必要がありません。
そのような人は、与えることに必要性を見出すのです。
与えることによってのみ、人は自らに与えられた役割を果たすことができます。
役割を果たすとは、何かを与えることなのです。
あなたが人生を豊かなものにしたいと考えているのであれば、虚しさを集めることをやめましょう。
あなたは不足してはいないのです。
あなたは、必要を求めることはないのです。
すべての必要が既に満たされているのです。
そのことに気が付けば良いのです。
与えもせずに、どうやって役割を果たすというのでしょうか?
多くの虚しさを集めるよりも、一つの意義(いぎ)を与える方が良いのです。
あなたは、欲する気持ちを手放し、何か一つでも与える気持ちを育みましょう。
与えるものは何でも良いのです。
与えられるものを与えましょう。
無理をする必要はありません。
無理なものは無理なのです。
そのため、自分にできることから始めるのです。
欲するだけでは、虚しさの重荷に耐え切れなくなります。
与えましょう。
そうすれば、あなたの足取りは軽くなるのです。
欲すれば重たく、与えれば軽くなるのは当然なのです。
重たければ、先へと進むことができません。
軽ければ、どのような壁も乗り越えて行くことができるでしょう。
問題を抱え、壁に阻(はば)まれていると思う人は、今すぐに欲する気持ちを手放すことです。
不安なのは分かりますが、それも手放しましょう。
与えられるものは与えるのです。

2017年10月22日日曜日

服に張り付いた種子

この世界には、無限の可能性が存在しています。
あなたは常に、無限の可能性に繋がっているのです。
あなたは、自分が無限の可能性に繋がっていることを知りましょう。
しかしながら、現状において、無限の可能性と繋がっていることを実感することは難しいかも知れません。
現状には、可能性を感じられない人が多いのです。
しかし、可能性は常にあなたと繋がっているのです。
可能性とは、オナモミの種子のようなものです。
荒れ地を彷徨(さまよ)う内に、いつの間にかに服に張り付くのです。
多くの人は、後になって漸(ようや)くそのことに気が付きます。
そして、オナモミの種子を服から剥ぎ取り、それを地面に投げ捨てるのです。
地面に投げ捨てられたオナモミの種子は、そこで地中に根を伸ばすのです。
多くの人は、自らの蒔(ま)いた種の存在を知りません。
オナモミの種子が自らの行為によって発芽したことを知らないでいるのです。
可能性とはそのようなものなのです。
多くの人は、自らの可能性を理解しません。
それは、常に自分に繋がっており、自分次第で掴み取れるものなのです。
多くの人は、可能性を軽んじます。
オナモミの種子を発芽させることがないのです。
オナモミの種子は、あなたが地面に投げ捨てることで発芽します。
あなたはそれだけで良いのです。
多くの人は、可能性というものを大袈裟(おおげさ)に考えています。
それは、自我意識に従っているからです。
自然は、自ずと可能性を芽吹くのです。
整地した土地も、自ずと緑に覆われます。
自我意識に従っている者には、そのことが分かりません。
人生の可能性というものを、初めから終わりまで世話しなければならないと考えているのです。
それでは疲れてしまいます。
気負(きお)えば可能性を遠ざけるのです。
大切なのは、力を抜いて可能性を楽しむことです。
地面に種を蒔けば、放っておけば良いのです。
そして、時々世話をすれば良いのです。
可能性とは変化のことですが、多くの人は自分の力によって変化を起こす必要があると考えているのです。
残念ながら、あなたに出来ることは、切っ掛けを選択することです。
原因を所有するだけで良いのです。
心構えをすれば、状況は自ずと展開するのです。
あなたに出来ることは、覚悟を決めることだけです。
覚悟によって、可能性は自ずと広がっていくのです。
あなたはあれやこれやと気を揉む必要はないのです。
特別な方法を探す必要もありません。
なぜなら、可能性とあなたは常に繋がっているからです。
繋がりを手繰り寄せれば良いだけなのです。
可能性を摘み取ってはなりません。
既成に拘(こだわ)ることによって、変化を拒んではならないのです。
大切なのは、未知を楽しむということです。
変化に対応するのです。
オナモミの種子に気が付いたら、それを地面に投げ捨てましょう。
それを放置したり、火の中に焼(く)べてはなりません。
条件さえ整えれば、自ずと可能性は芽吹くのです。
人生に気負う必要はありません。
自分に繋がっている可能性を大切にすれば良いのです。
それを無視して、誰かのように成ろうとする必要はないのです。
誰かのように成ったとしても、あなたはそこに幸福を覚えることは出来ないでしょう。
あなたは自らの服に張り付いた種子を蒔くのです。
無限の可能性とは、その先に存在しているのです。

2017年10月21日土曜日

自分を懸命に

すべての人は目的を以(もっ)て生まれました。
すべての人は、成長する必要があるのです。
成長とは、全体性を得るということです。
”すべては一つ”というこの世界の理(ことわり)を理解し、すべてと一つと成ることが求められているのです。
すべての人は全体性を見失っています。
すべての人は、個々の立場に従って、部分的に物事を捕らえているのです。
それは仕方のないことです。
人は、役割を与えられています。
それは、個々の役割なのです。
それぞれが独立し、全体を支えるためです。
独立するのは、個々が力を高めるためです。
一つ一つを丁寧に磨いた方が、輝くからです。
あなたには、自分という存在が与えられ、それを磨くように求められています。
あなたは、自らの個性や能力を磨き、この世界に貢献する存在として輝かなければならないのです。
壮大な話に聞こえるかも知れませんが、すべての人がこの世界に対して貢献しなければならないのです。
それは難しく聞こえるかも知れませんが、実際には単純なことです。
要は、自分の出来ることを懸命に行えば良いだけなのです。
ただそれだけです。
誰にでも出来ることです。
世界に対して貢献するためには、特別な方法や力は必要ではありません。
赤子でさえ、世界に貢献することは出来るのです。
勿論、あなたも世界に貢献することは出来るのです。
あなたは自分自身に対して、自分の人生に対して、目の前の他者に対して、目の前の状況に対して、目の前の問題に対して、懸命に向き合えば良いのです。
今の自分に出来ること、許されることと懸命に向き合い、懸命に行うことなのです。
それは、誰にでも出来ることなのです。
誰にでも、自分に出来ることや許されていることに対して、懸命に向き合い、行うことが出来ます。
赤子は懸命に泣き、懸命に乳を飲み、懸命に眠り、懸命に生きているのです。
それが、赤子にとっての世界への貢献なのです。
赤子が懸命に泣かず、懸命に乳を飲まず、懸命に眠ることもなく、懸命に生きていないのであれば、それは誰かを苦しめてしまうのです。
それでは、貢献することは出来ないのです。
理想に溺れ、周囲との比較によって熱意を失ってはなりません。
理想や周囲の人達と比べて詰まらないことだと思っても、あなたはそれと懸命に向き合い、行わなければならないのです。
あなたは、与えられた状態と状況の中で、自らを磨き、輝かせる必要があるということを覚えておきましょう。
不満を抱き、文句を吐いているようでは輝きません。
不安を抱き、心配に支配されているようでは輝かないのです。
彼岸花(ひがんばな)は土の中から花を咲かせるのです。
睡蓮(すいれん)は泥の中から花を咲かせるのです。
どちらの花も、美しく咲き誇(ほこ)ります。
それは、懸命に生きているからです。
懸命に生きているからこそ、美しい花を咲かせ、世界に貢献することが出来るのです。
不満を抱き、文句を吐くことは、懸命な態度ではありません。
不安を抱き、心配に支配されることも、懸命な態度ではないのです。
あなたは自分であることを諦めてはなりません。
彼岸花も睡蓮も、自分であることに懸命であるのです。
そのために、自然界に貢献することが出来るのです。
あなたは彼岸花でも睡蓮でもありませんが、より美しく輝くことが出来るのです。
自分という存在は、他の何にも劣らない輝きを放ちます。
そのことを理解しましょう。
そうすれば、偏見に捕らわれた心を手放し、全体性を得ることも出来るのです。
多くの人は、恐怖への反発によって利益のみを求めます。
多くの人は、損失を得ることを嫌うのです。
それは、偏見によって恐れているからです。
偏見(恐怖)は、全体性を覆い隠してしまうのです。
目の前のことに懸命に向き合うことによって、あなたは偏見を離れることができるでしょう。
恐怖は、怠惰(たいだ)によって導かれます。
自分に出来ることや許されていることを懸命に行っていない者には、恐怖が付き従います。
恐怖はあなたを孤立させるのです。
恐れることなく、懸命に向き合いましょう。
自分に出来ることや許されていることに恐れる必要はないのです。

2017年10月20日金曜日

しなやかに生きる

人生において大切なのは、成長することです。
誰もが、それぞれの立場で成長する必要があるのです。
この世界において、成長を無視することのできる人はいません。
すべての人が成長を実現する必要があるのです。
なぜなら、成長とは幸福であるからです。
人は、成長することによって幸福を感じることができるのです。
成長することがなければ、幸福を感じることはできないのです。
多くの人は、停滞を幸福と思い込んでいますが、それは一時(いっとき)の快楽に過ぎず、それは決して幸福感ではないのです。
一時の快楽は、次に虚無(きょむ)を導くのです。
そのため、成長を否定し、一時の快楽にとどまる者には、必ず虚しさが訪れるのです。
現状維持や安定や不変というものは、決して幸福ではないのです。
変化し続けることによって初めて、幸福が保たれるのです。
呼吸を止めれば、一時の快楽の後に苦しみが導かれるでしょう。
成長とは、呼吸を続けるようなものなのです。
新しく息をすることによって、新しい可能性を手に入れるのです。
どのような空気であろうとも、吸い込まなければなりません。
どのような空気であろうとも、吐き出さなければならないのです。
綺麗な空気だけを吸い込む訳にはいきません。
呼吸を止めれば、”命”を失ってしまうのです。
綺麗な空気でなくても、あなたは呼吸をしなければなりません。
人生においては、気に食わない状況というものが導かれます。
人はその空気を吸い込むことを拒みます。
そのために、苦しんでいるのです。
命を得るためには、どのような空気も吸い込まなければなりません。
信念よりも、命の方が大切なのです。
多くの人は、信念のために命を投げ捨てます。
そして、それを美化して語るのです。
残念ながら、信念とは偏見に過ぎません。
どのような信念も、その時点においては偏見に過ぎないのです。
人は信念を大切にしますが、後にそれを手放します。
命を保っていれば、その信念が未熟であり、歪んでいたことを理解するからです。
しかしながら、命を投げ捨てて信念を貫(つらぬ)く者には、その事実を理解することができません。
信念によって命を失ったために、気付くことができないのです。
大切なのは成長することです。
成長するためには、変化と命が必要です。
信念によって、呼吸を止めて命を失うような愚行を選択してはなりません。
どのような空気も命を繋ぎます。
しかしながら、信念は命を途絶えさせるのです。
あなたの抱える信念は偏見です。
そのことを理解しましょう。
信念に従うことも大切ですが、命の方が重要であるということを覚えておかなければならないのです。
命を失う前に、信念を手放しましょう。
頑固に生きることによっては、成長は実現しません。
成長とは、すべてを大切にすることだからです。
一方を愛し、他方を憎むのであれば、それを成長とは呼べないのです。
あなたは憎むものを愛しましょう。
心地の好いことは幸いですが、それだけでは足りません。
仲間から学ぶことは半分なのです。
敵から学ぶことを合わせて、すべての学びが完成するのです。
この世界には、陰陽の仕組みが存在しています。
陰を嫌い、陽を愛すれば、世界は分裂するのです。
あなたは、陰陽のすべてを愛する必要があるのです。
信念は、世界を隔(へだ)てます。
柔軟でありましょう。
人生の目的が成長することだと覚えておきましょう。
重た過ぎず、軽過ぎずに生きましょう。
堅過(かたす)ぎず、柔らか過ぎずに生きましょう。
好き嫌いの感情を越えてしなやかに生きるのです。

2017年10月19日木曜日

海老で鯛を釣る

あなたは、豊かな人生を生きなければなりません。
すべての人は、豊かな人生を生きる権利を与えられているのです。
あなたは、豊かに生きることが許されています。
あなたは今すぐに、豊かな人生を始めることができるのです。
この世界には、豊かな人生を生きる人と、乏しい人生を生きる人が存在しています。
人は、人生に対して、豊かさや乏しさを感じながら生きているのです。
人生には豊かさも乏しさもありません。
それは、心の状態なのです。
人は、心によって認識します。
人生に対する認識も、心によって行っています。
そこには、豊かな心と、乏しい心が存在しているのです。
豊かな心は人生を豊かなものにします。
乏しい心は人生を乏しいものにするのです。
人は、心によって人生を生きているということを覚えておきましょう。
状況や環境や人間関係が人生を決めているのではありません。
すべてを決めているのは、あなたの心であるということを覚えておきましょう。
認識によって、人生の状態が決まるのです。
人生に乏しさを感じている人は、状況や環境や人間関係を改善しようと考えます。
そして、そのために多くの時間と労力を費やします。
しかしながら、状況や環境や人間関係を改善しようと努めたところで、結果は変わりません。
心に乏しさを抱えている人が状況や環境や人間関係を変えたところで、それを認識するのは乏しい心なのです。
それは、すべてを乏しく見せる色ガラスなのです。
色ガラスを通して見る世界は、すべてが同じ色によって統一されます。
それは、その色の光だけを選別して認識するからです。
本来ならば様々な色彩も、同じ色として認識されるのです。
心に乏しさを抱えている人は、どのようなものも乏しく見るのです。
怒りを抱えている人には、すべてが怒りを誘います。
悲しみを抱えている人には、すべてが悲しみを誘うのです。
人は、心を通して世界を認識します。
そのため、心の状態こそが重要なのです。
状況や環境や人間関係を変えたところで、心の状態を変えなければ結果は同じです。
あなたが変えるべきは心なのです。
自らの認識を改める必要があるのです。
多くの人は、恐怖を抱えています。
そのため、利益を追求します。
利益を追求することによって、人生が豊かなものになると思い込んでいるのです。
残念ながら、利益だけを追求したとしても、人生に豊かさが導かれることはありません。
なぜなら、利益だけを求めるという姿勢は偏見であり、”色ガラス”であるからです。
大切なのは、有りの儘(まま)に見ることです。
利益を追求する姿勢とは、物事を我が儘に見ることなのです。
この世界には、利益と共に損失が存在しています。
人は、利益と共に損失をも得ているのです。
それが自然なのです。
鯛を釣るには海老を失う必要があるのです。
海老を失うことなく、鯛を釣り上げることはできないのです。
何かを失うことは乏しさではありません。
何かを失うことを恐れる心が乏しさであるのです。
あなたが豊かに生きるためには、失うことも受け入れる必要があるのです。
利益だけを求めてはなりません。
同時に損失をも求めましょう。
与えることをしなければ、得ることはできません。
受け取るだけでは、却(かえ)って損なうだけなのです。
心に乏しさを抱えている人は多くを求めます。
誰かや何かに対して、”〜が欲しい”、”〜してくれ”という要求ばかりしています。
それでは、人生は豊かなものにはなりません。
与えることを覚えましょう。
人生に乏しさを感じている人は、要求し過ぎているのです。
多く持つ程に、ゴミが増えることにもなるのです。
バランスの良い心を育てましょう。
そのために、先ずは失う恐怖を手放しましょう。

2017年10月18日水曜日

背負った荷物

人には、それぞれに分際が与えられています。
すべての人は、自らに与えられた分際と共に生きる必要があります。
分際とは、役割を果たすための制限です。
すべての人には役割が与えられています。
すべての人は、自らの役割を果たすために生きているのです。
しかしながら、多くの人が自らに与えられた役割を見失っています。
自分が何のために生まれたのか?
何のために生きているのか?ということを見失っているのです。
役割を見失ったとしても、それを果たさなければなりません。
そのため、分際という制限が設けられているのです。
あなたが自らに与えられた役割を見失ったとしても、分際がそれを見失うことはありません。
分際はあなたを役割に引き寄せます。
あなたがどのような選択をしようとも、分際によって自らの役割に立ち返るようになっているのです。
多くの人は自らの役割を見失っている状態です。
そのため、無理をして様々なものを求めます。
本当は欲しくないものや、本当は必要ではないものを無理に求めているのです。
それは、皆がそうしているからです。
誰かがそれを”良いもの”だと言ったからです。
自らの役割を見失っている人は、他者の役割と自らの役割を混同してしまいます。
他者にとって”良いもの”が、あなたにとって”良いもの”とは限りません。
それは、それぞれに役割が異なるからです。
”良いもの”とは、役割を果たすために必要な要素に過ぎません。
人は、それぞれの立場によって、何かを”良いもの”と思うのです。
役割は、人それぞれに異なります。
そのため、必要もそれぞれに異なるのです。
それは、必ずしも”良いもの”が共通しないということを意味しているのです。
あなたには、あなただけの”良いもの”が存在しています。
もちろん、共通するものもあります。
すべての生命にとって、陽の光や 水が”良いもの”であるようにです。
大切なのは、共通しなくても”良いもの”は良いということを知ることなのです。
この世界において、あなたは唯一の存在です。
あなたと同じ人は存在しません。
それは、あなたと同じ役割が存在しないことを示しているのです。
あなたに似た人は存在し、似た役割は存在します。
しかしながら、それ等は異なった存在なのです。
あなたは、他者とは異なるものを背負います。
それが、初めから背負っているものでも、誰かに背負わされたと思うものでも、自分で背負ったものでも、それを背負っているのはあなたなのです。
それを背負っているのであれば、背負ったままで歩むしかないのです。
荷物の重さに耐え兼ねて、それを投げ捨てて歩む者は、必要な荷物が無いことによって道を進むことができません。
あなたが背負っている荷物の中には、道を進むための大切な必要が存在しているのです。
必要な荷物を手放せば、それ以上を進むことはできません。
責任を果たさずに、幸福を得た人がいるでしょうか?
責任を放棄する人を、あなたは尊敬することができるでしょうか?
責任を果たさない者は自由を失います。
背負った荷物を投げ捨てる者は、依頼主によって自由を奪われるのです。
覚えておかなければならないのは、あなたが役割を与えられているということです。
あなたは自分のために生きてはいないのです。
あなたは自分のために生まれたのではありません。
あなたは、依頼主のために生まれ、役割を果たすのです。
仕事を放棄すれば自由を失います。
あなたは幸福を得るために生きているのです。
人生を豊かなものにしなければなりません。
そのためには、自らの分際の導きに従わなければなりません。
背負ったものを背負ったままで歩みましょう。
それがどのようなものであろうとも、意味のある荷物なのです。
どのような荷物を運ぼうとも、あなたはそれを丁寧に扱わなければならないのです。

2017年10月17日火曜日

気が付いたら改める

人生において重要なのは、変化を受け入れることです。
人生は、変化によって豊かさを得ます。
停滞は豊かさを押し止め、乏しさを優先します。
豊かさを導くには変化が必要であり、停滞は乏しさを導くのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、変化を受け入れる必要があるということを覚えておきましょう。
どのような変化であっても、それは豊かさを導きます。
変化に大きいも小さいもありません。
変化はすべて変化なのです。
そのため、あなたは大小にかかわらず、変化を受け入れましょう。
大切なのは、あなたが受け入れることのできる変化を受け入れることです。
受け入れることのできない変化を受けれようとしても、変化を実現することはできません。
変化の実用には、それを受け入れる必要があるのです。
受け入れることのできない変化を求めたとしても、それを実用することはできません。
多くの人は変化を否定するか、大きな変化を求めます。
求めるものが極端なのです。
残念ながら、極端なものによって豊かさを実現することはできません。
眠り続けても、働き続けても幸福が得られないようにです。
適度な眠りと、適度な働きによって、人は幸福を得ることができるのです。
そのため、あなたは適度な変化を必要としているのです。
大切なのは、分際を弁(わきま)えるということです。
あなたは変化しなければなりませんが、極端に変化することを受け入れることができません。
そのことを理解して、小さな変化を積み重ねるのです。
一気に変化する必要はありません。
小さな変化を積み重ねることによって、徐々に変化すれば良いのです。
成果を得るためには、積み重ねる以外に方法はないのです。
あなたは、大きく変えることを考えてはなりません。
それは、あなたにとっての無理だからです。
あなたは、小さく変えることを考えましょう。
それは、あなたにとっての最善なのです。
甚(はなは)だしい変化を求めても、それを受け入れることはできません。
受け入れることができない変化には価値がないのです。
できることをすれば良いのです。
できないことをする必要などないのです。
許容の範囲で選択し、変化することが重要なのです。
無理な変化は無理であるということを受け入れましょう。
小さく変化するのです。
小さく変化するためには、気が付いたら改める必要があります。
これは簡単なように思えますが、多くの人にとっては難しいのです。
あなたは、気が付いたら改めましょう。
しかしながら、それはすぐには実行することができません。
たとえ、変化する必要に気が付いたとしても、既存の価値観や習慣や信仰がそれを拒むからです。
多くの人にとって、変化するということは簡単なことではありません。
小さな変化にも時間と労力を必要とするのです。
そのため、素早い変化を強いる必要はありません。
許容の範囲の小さな変化を積み重ねるのです。
いきなり変化を実現することはできません。
しかしながら、それを分割して行えば実現することもできるのです。
あなたは、気が付いたら改めることを続けましょう。
日々の積み重ねが大切なのです。
積み重ねの力を侮(あなど)ってはなりません。
あなたには、それ以外の方法によって成果を導くことはできないのです。
残念ながら、この世界には多くの人が信じる”奇跡”というものは存在しません。
すべては因果の中にあるのです。
変化を望み、願う人には、停滞が導かれます。
変化を望み、行う人にだけ、変化が導かれるのです。
小さくても、変化を行う人に成りましょう。

2017年10月16日月曜日

信用の本質

人は、独りでは生きていくことができません。
孤独に生きることはできますが、孤立して生きることはできないのです。
人は、何等かの形で自分以外の存在と関係しなければなりません。
それは、人生の目的に由来しています。
人生の目的は成長です。
すべての人が成長を目的として生まれたのです。
あなたは、成長しなければなりません。
成長するためには、幾つかの条件を整える必要があります。
その中の一つの条件とは、他者との相対的な関係性を得ることなのです。
人が成長するためには、自分という存在を理解する必要があります。
自分という存在を理解することなく、成長を実現することはできません。
それは、人は自分という存在を認識することができないからです。
あなたは、自分という存在を自力によって理解することはできません。
残念ながら、自分という存在は、自分では認識することができないのです。
それは、自分であるからです。
あなたの瞳は、自分の瞳を見ることができるでしょうか?
残念ながら、自力では不可能です。
あなたの瞳が自身を見るためには、反射を必要とするのです。
鏡や水面(みなも)に見せてもらう以外に、自らを見る方法はないのです。
これと同じように、人は自分という存在を自力では理解することができません。
あなたは自分という存在を、他者を通じて教わる必要があるのです。
自分を理解しない者は、成長することができません。
なぜなら、自分を理解しなければ、それがどのように成長すれば良いかを知ることができないからです。
現状を知らずに、発展することはできません。
あなたが成長するためには、他者によって自分という存在を見せてもらう必要があるのです。
他者とは、あなたの自分を映す鏡のようなものなのです。
あなたは他者によって自分を知ることができるのです。
他者に対するすべての反応が、自分という存在を教えているのです。
あなたの人生の目的は成長です。
そのために、あなたは独りで生きていくことはできないのです。
あなたは他者との関わりを必要としています。
あなたは、他者と関わらなければなりません。
それを避けることはできないのです。
あなたが成長するためには、他者との関係から学ぶ必要があります。
他者と向き合う程に、あなたは自分を知ることができるでしょう。
あなたは他者との関係を継続しなければなりません。
それは、自分を学ぶことができるからです。
他者との関係の本質とは、自分を理解することにあるのです。
あなたは自分を知るために、他者と関わります。
それ以上の目的はないのです。
他に目的があるという人は、自分を知らずに生きていることでしょう。
それでは、人生の目的を果たすことはできません。
他者との関係を継続し、自分を知るための学びを得るためには、信用が必要です。
人は互いに信用によって繋がらなければなりません。
信用がなければ、絆(きずな)も存在しないのです。
あなたは、信用を得なければなりません。
信用の本質は継続です。
あなたは継続によって信用を得ることができるのです。
何かを継続している人は、他者からの信用を得ます。
そのため、何かを継続している人は、自分のことを良く知っているのです。
継続することもなく、次々に方向性を変える人は信用を得られません。
あなたはそのような人を信用することができるでしょうか?
残念ながら、あなたはそのような人を信用しないのです。
信用の本質は継続であるということを覚えておきましょう。
継続は信用の絆を築きます。
信用の絆は、あなたに自分という存在を教えるのです。
信用の絆によって、あなたは人生の目的を果たすことができるでしょう。
自分が決めたことを継続しましょう。
何事も、簡単に諦めてはなりません。
自分を理解するために、他者からの信用を得るのです。

2017年10月15日日曜日

真の美しさ

人生を豊かなものにするために必要なのは、美しさを得ることです。
美しさとは豊かさです。
豊かさとは、美しいものなのです。
すべての人は未熟です。
すべての人が無知であり、歪んでいるのです。
そのため、すべての人の認識は間違っています。
すべての人が誤解を所有しているのです。
それは、すべての人が豊かさを誤解しているということです。
豊かさを誤解している人は、美しさを誤解しているのです。
すべての人が誤解によって生み出される偏見を所有しています。
すべての人は、偏った見方にとどまるのです。
それは、全体性を損なうということです。
すべての人は、部分的にしか認識してはいないのです。
全体性を損ない、部分的に認識しているのであれば、判断は限られたものとなります。
比較対象が出揃(でそろ)っていないのに、判断するということなのです。
すべての人は、そのように美しさを判断しています。
そのように豊かさを判断しているのです。
そのため、すべての人の求める豊かさとは、部分的なものであり、歪んでいるものなのです。
大切なのは、全体性を得ることです。
比較対象が出揃わなければ、何が美しさなのかを判断することはできないのです。
そして、何が豊かさであるのかを判断することはできません。
すべての人が判断を焦ります。
そのために、すべての人が誤解を離れることができないのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、自らの考える豊かさが誤解であるということを受け入れることです。
あなたは、価値基準を改める必要があるのです。
それは簡単なことではありません。
なぜなら、人は自らの抱える誤解を信じているからです。
信じている誤解を手放すことは難しいのです。
そのため、人は自らの信じる誤解を追求し、それを結果として得ることによって、それがどのようなものであったのか?ということを実感する必要があるのです。
自らの信じている豊かさを追い求めた結果を得れば、自分が何を追い求めていたのか?を理解することができます。
実際に状況を得なければ、理解することはできないのです。
言葉で伝えることは簡単です。
しかしながら、それを受け入れることはしません。
あなたが求めている豊かさに対して、それが誤解であるということを丁寧に説明したとしても、それを納得することはないのです。
人は、実際に体験することによってのみ、実感を得ることができるのです。
実感を得なければ改めることはできません。
人は器用な存在ではないのです。
あなたは、未熟な者にとっては、偽りこそが美しいということを覚えておきましょう。
それは、過去にあなたが偽りを美しいと信じていたようにです。
子どもは偽りを見抜く力がありません。
そのため、”絵に描いた鬼”を恐れるのです。
多くの人は、表面的な情報を判断基準とします。
多くの人は、本質を見極める力には乏しいのです。
あなたは、物事の本質を見ようとしなければなりません。
残念ながら、あなたの信じている美しさや豊かさは、部分的なものであって、本質ではありません。
真の美しさや豊かさとは、全体性であるのです。
”すべては一つ”なのです。
陰陽を分け隔てるのであれば、真からは遠ざかります。
陰陽が合わさることによって、全体性が導かれるのです。
善悪に従って分離してはなりません。
敵味方に分かれてはなりません。
部分的に判断してはならないのです。
それは、偽りだからです。
全体こそが真なのです。
”すべては一つ”なのです。
それが真の美しさであり、真の豊かさなのです。

2017年10月14日土曜日

言葉通りの人生

人生を豊かなものにするために大切なことは、自分が何をしているのか?ということを理解することです。
人生は、選択によって築かれます。
あなたの選択の積み重ねによって、人生の状態が決まるのです。
あなたは常に、人生の状態を左右する選択をしているのです。
一つ一つの選択は小さなものではありますが、それでも積み重なれば大きな力となります。
あなたは、どのような選択であっても、それを蔑(ないがし)ろにしてはならないのです。
一つ一つの選択の重要性を理解しましょう。
一つ一つの選択が人生を築くのです。
多くの人は、選択の重要性を理解してはいません。
多くの人は、自分が何をしているのか?ということを知らないのです。
あなたは、何のために人生を生きているのですか?
この問いに答えることができるでしょうか?
多くの人は、自分が何のために人生を生きているのかを知りません。
人生が何のためにあるのか?ということを考えないのです。
多くの人は、目の前の快楽や苦悩に付き従います。
快楽には近寄り、苦悩からは遠ざかるのです。
それは、無意識の内に行われる反射です。
多くの人は、考えてはいません。
多くの人は、判断に対する責任を放棄しているのです。
大切なのは、自分が何をしているのか?ということを理解することです。
自分が何をしているのか?という考えが欠如(けつじょ)しているのであれば、選択に対する判断が疎(おろそ)かなものとなるのです。
あなたは、自分が何を考えているのか?を知っていますか?
自分が何を話しているのか?を知っていますか?
自分が何を行っているのか?を知っていますか?
あなたは何のために考え、話し、行っているのでしょうか?
多くの人は、それを理解しないのです。
風は、あなたの目には映りません。
しかしながら、それは大きな力を持っています。
あなたが暑さを覚える時には、それを取り除く力を持ちます。
強く吹けば、大樹をも薙(な)ぎ倒すこともできるのです。
風は見えませんが、偉大な力なのです。
あなたは目には映らない風の力を信じることができるでしょうか?
恐らく、風の力を否定することのできる人はいないでしょう。
誰もが、目には映らない風の力を認めているのです。
この世界には、目には映らない力が存在しているのです。
言葉は、あなたの目には映りません。
それは、風のようなものです。
言葉は、目には映りませんが、力を持っているのです。
しかし、言葉の力は風の力よりも強力です。
なぜなら、言葉の力は人生を左右するからです。
人は、言葉の力によって人生の方向性を定めるのです。
言葉は、あなたの道となります。
あなたは、自らの言葉の上を歩むのです。
すべての人は、自らの言葉に逆らうことはできません。
どのような人物も、言葉通りの人生を生きるのです。
あなたは、自らの言葉を顧(かえり)みましょう。
それは、思考から始まります。
あなたの思考が言葉を選択し、あなたの言葉が行為を選択するのです。
そのため、あなたは言葉通りの人生を生きることになるのです。
言葉が願いであるということを覚えておきましょう。
多くの人は、人生が言葉通りに展開しているということを知りません。
多くの人は、自らの言葉を顧みることをせずに、不運というものが存在していると思い込んでいるのです。
残念ながら、すべてが因果の仕組みによる必然です。
この世界には、偶然は存在しないのです。
そのため、不運というものも存在しません。
見えない力を軽んじてはなりません。
言葉の力は目には映らなくても、確実に人生に影響を与えます。
自分が何のためにその言葉を選択するのか?ということを考えましょう。
そうすれば、言葉は上質なものとなるでしょう。
言葉が上質なものとなれば、人生は豊かなものになるでしょう。

2017年10月13日金曜日

すべての人には、大切な役割が与えられています。
あなたには、あなただけの役割が与えられているのです。
すべての人は、自らに与えられた役割を果たす必要があるのです。
あなたは、あなたの役割を果たさなければなりません。
しかしながら、多くの人は、自らに与えられた役割を見失っています。
残念ながら、役割を果たすために生きている人は少ないのです。
役割とは、人生の目的です。
それは、豊かさを導くための必要です。
人は、自らの役割を果たすことによって、豊かさを得ることができるのです。
自らの役割を放置すれば、乏しさが導かれるのです。
そのため、あなたが豊かさを求めるのであれば、自らに与えられた役割を果たそうと努める必要があるのです。
多くの人が、人生に乏しさを感じています。
それは、自らの役割を見失っているからです。
人生を豊かなものにするためには、自らの役割を思い出し、それを果たすように努めなければなりません。
それ以外に、人生を豊かにする方法はないのです。
あなたの心は、自らに与えられた役割に触れている時以外には満足を得ることができないのです。
多くの人が不満を抱えているのは、自らに与えられた役割とは異なる何かに触れているからなのです。
あなたの喜びは、役割に関することによって導かれます。
あなたの苦しみは、役割に反することによって導かれるのです。
そのことを覚えておきましょう。
大切なのは、役割を思い出すことです。
自らに与えられた役割を見失った状態では、満足を得ることはできないのです。
あなたは自らに与えられた役割を知っています。
しかしながら、それを忘れているのです。
あなたの魂は、それを覚えています。
そのため、あなたは魂に従わなければならないのです。
多くの人は、心を満たそうとして暫定的(ざんていてき)な選択を行います。
多くの人は、取り敢(あ)えず、心を満たそうとするのです。
それは、腹が減ったから、取り敢えず食べられそうなものを飲み込むというようなことなのです。
人が食べられるものには限りがあります。
それが食べられるものであれば良いですが、食べられないものであれば腹には苦いのです。
毒を飲めば死を得ます。
あなたは、心を満たそうとして暫定的な選択を行ってはなりません。
何を飲み込むのか?何を選択するのか?ということを吟味(ぎんみ)する必要があるのです。
あなたは、自分の選択が、自らに与えられた役割にとって必要であるのか?ということを考える必要があるのです。
大切なのは、役割を果たすことです。
それ以外には、人生を豊かなものにする方法はありません。
役割を果たすために関係のないものをどれだけ得ようとも、それは乏しさを導くだけなのです。
”がらくた”を多く集めようとも、虚しいだけなのです。
”安物買いの銭失い”という言葉があります。
それは、目的を見失っている状態です。
あなたは、役割に対して必要なものを選択しなければなりません。
役割に対して不要なものを選択していくのであれば、”がらくた”が増え続けるだけなのです。
必要を集める時には、最小限のものに収まるでしょう。
役割に従って生きる人の人生は、とてもシンプルなものとなるのです。
役割に従って生きる者には、柵(しがらみ)は存在しません。
人が役割に従って生きれば、すべてがシンプルな状態になります。
それは、目的地を知っていれば、道に迷わなくても済むようにです。
あなたは心を整えなければなりません。
乱れた心は不満や心配に支配されます。
乱れた心は、自分を守るために欲を生み出すのです。
あなたは、欲に駆られて必要でないものを手にしてはなりません。
あなたは、”それ”を本当に必要だと思いますか?
あなたは、多くの不要を必要だと考えているはずなのです。
無駄は存在しませんが、余計は存在します。
心の中を整理しましょう。
部屋の中を整理しましょう。
生活を整理しましょう。
人間関係を整理しましょう。
生き方を整理するのです。
役割に従えば、不要を手放すことができるでしょう。
それは、役割に従うことによって、あなたは満足することができるからです。
そうすれば、多くのもの(余計)は必要なくなるでしょう。

2017年10月12日木曜日

人生からの答え

大切なのは、自分が未熟であるということを理解することです。
あなたは、自分が未熟であるということを理解しなければなりません。
残念ながら、多くの人は自分が正しいと考えています。
多くの人は自分の未熟さを理解してはいないのです。
自分が正しいと思う者は、自分で答えを出せると考えます。
答えは、自分で決められると考えているのです。
残念ながら、あなたには、人生の答えを決める力はありません。
それは、答えというものが結果であるからです。
あなたに許されているのは、原因を選択することです。
結果は人生が導きます。
あなたは、自らの選択した原因に相応しい結果を受け取ることしかできないのです。
そのため、あなたは答えを持ち合わせてはいないのです。
そのため、答えを出すことはできません。
あなたはそれを理解しなければならないのです。
多くの人は答えを出そうとしています。
それは、時間と労力の浪費です。
あなたがどれだけ時間と労力を用いても、答えを出すことはできないのです。
答えは、人生が導きます。
力を無駄にしてはならないのです。
答えを求める気持ちは分かりますが、あなたはそれが与えられるまで待たなければならないのです。
焦りによって懇願(こんがん)しようとも、答えは与えられないのです。
人生は、あなたに相応しい時に、相応しい答えを導くでしょう。
あなたには、できることとできないことがあります。
できないことに注力してはなりません。
できることに全力を尽くすことが最善なのです。
あなたにできることは、原因の選択と、結果を待つことだけです。
それ以外のことはできません。
大切なのは、原因の質を高めることです。
あなたは自らの選択が、より良いものとなるように努めなければなりません。
その選択が、より高尚(こうしょう)なものとなるように努めるのです。
そして、どのような結果を得ようとも、それを否定しないということです。
結果に対する否定は、高尚な選択とはいえません。
現状に対して文句を吐いている者が、高尚な人物だと思いますか?
残念ながら、そのような人物は低俗な状態にとどまっているに過ぎないのです。
人生は、あなたに相応しい結果を導きます。
高尚な選択をする者には、高尚な結果を与えます。
低俗な選択をする者には、低俗な結果を与えるのです。
答えは人生が決めます。
あなたは、人生の判断が正しいということを理解しましょう。
理解できないのは、あなたが未熟であるからです。
理解されないのは、他者も未熟であるからなのです。
すべての人は未熟です。
そのため、自分を含(ふく)めたすべての人の判断に従ってはなりません。
あなたが従うべきは、目の前に導かれる人生からの答えです。
あなたは、人生からの答えに対して、謙虚(けんきょ)でありましょう。
あなたには、すべてを理解することはできません。
あなたは、その場ですべてを理解する必要はないのです。
そのため、どのような答えが導かれようとも、それを必ずしも理解する必要はありません。
ただ、自分よりも、人生の判断の方が正しいということを知るのです。
それだけのことをするのです。
人生は、あなたの人生の目的を知っています。
しかしながら、あなたはそれを知りません。
知っている者の判断と、知らない者の判断では、どちらが正しいでしょうか?
良く考えなければなりません。
今は理解することができないことを理不尽に思い、心を乱してはなりません。
それは、心を乱すことが次の結果の原因となるからです。
人生は、あなたに相応しい結果を、その答えとして導くでしょう。

2017年10月11日水曜日

最も古い記憶

これは、あなたの人生です。
あなたには、自らの人生を生きる権利が与えられています。
あなたには、あなただけの役割が与えられているのです。
あなただけが特別ということではありませんが、すべての人がそれぞれに特別なのです。
あなたに代わりはいません。
あなたは、あなたでなければならないのです。
すべての人には役割が与えられています。
それは、その人にしか担うことのできない役割です。
あなたはそれを果たさなければならないのです。
しかしながら、すべての人は自らに与えられた役割を見失っています。
様々なことを学習することによって、最も古い記憶を見失ってしまったのです。
あなたの所有する最も古い記憶は、自らの担う役割についてです。
それは人生の目的でもあります。
あなたは最も古い記憶を取り戻すことによって、人生の目的を果たすことができるでしょう。
あなたは、自らの役割を思い出さなければなりません。
あなたが生まれる前に、あなたの役割は決まっているのです。
そのため、あなたには辿り着くべき目的地があるのです。
今はただ、それを見失っているだけです。
途方に暮れてはいますが、目的地が失われた訳ではありません。
あなたには、道が準備されているのです。
道を見失い、途方に暮れていようとも心配はいりません。
あなたは、目的地を思い出すことができるのです。
大切なのは、恐れないことです。
多くの人は、迷子の子どものように恐れを抱いているのです。
道を見失うことは、誰にとっても恐ろしいことなのです。
迷子の子どもは、それが一時的なことであるということを知りません。
迷子の子どもは、それが永遠に続く苦しみだと思い込んでいるのです。
恐れる必要はありません。
これは、あなたの人生です。
あなたのために、この人生が存在しているのです。
すべての状況や他者は、あなたが目的地を思い出すために存在しているのです。
すべてがあなたであり、あなたはすべてなのです。
あなたは自らの役割を果たすことができます。
恐れを手放しましょう。
好きに生きられるのです。
それが人生の望みです。
恐れを解き放ちましょう。
常識を超えなければなりません。
常識という足枷(あしかせ)は、あなたの自由を奪うのです。
自由とは、責任を果たすことによって与えられます。
あなたが常識に縛られず、自らの役割を果たそうとすれば、それと同時に自由が与えられるでしょう。
あなたが自由を手に入れるためには、与えられた役割を果たさなければなりません。
多くの障害によって、あなたは問題を抱えているように思うでしょう。
しかしながら、すべての障害はあなたの歪みを矯正(きょうせい)しているに過ぎないのです。
あなたを苦しませるための問題ではありません。
あなたは、問題によって余計な記憶を手放すことができるのです。
苦しみによって、あなたは素直さを取り戻します。
苦しみによって、あなたは純粋さを得るのです。
苦しみを乗り越える者は、最も古い記憶を思い出すことができるでしょう。
それは、何よりも豊かな記憶なのです。
苦しみによって、余計な記憶を手放しましょう。
そうすれば、恐れを手放すこともできるのです。
これは、あなたの人生です。
あなたは自分に自信を抱かなければなりません。
あなたには、特別な役割が与えられています。
その役割に特別感を得られなくても、それを懸命にこなしましょう。
そうすれば、いつの日か、その役割が自分にとって特別なものであったということに気が付くことができるのです。
退屈な人生を生きてはなりません。
恐れを手放し、豊かな人生を生きましょう。

2017年10月10日火曜日

注文

すべての人は、人生に豊かさを求めます。
あなたも、人生に豊かさを求めているでしょう。
しかしながら、多くの人が人生に豊かさを実感することができてはいません。
多くの人は、何等かの問題を抱え、不安や不満を感じているのが現状なのです。
そのため、多くの人は人生に対して素直に豊かさを感じることができないのです。
人生を生きるのであれば、豊かな方が良いでしょう。
あなたは、人生を乏しく生きる必要はないのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
あなたの人生の状態は、因果の現れです。
原因はそれに相応しい結果を導くのです。
目の前に導かれる状況や、現在のあなたの状態というものが結果です。
その結果を導く原因とは、あなた自身なのです。
あなたの選択こそが、あなたの人生を築きます。
人生があなたを無視することはありません。
人生はいつも、あなたの願いを叶え続けているのです。
人生は、あなたの所有する原因に相応しい結果を導くだけです。
人生は、あなたの願いを叶えます。
人生は、あなたの意思を実現しているのです。
目の前に導かれる状況や、現在のあなたの状態は、あなたの願いなのです。
あなたがそうなるように願ったのです。
そのことを受け入れることは難しいかもしれません。
なぜなら、あなたは豊かさを求めているからです。
しかしながら、実際には問題や乏しさが導かれるのです。
それは、あなたの所有する原因が、問題や乏しさに相応しいからです。
あなたの所有する原因は、残念ながら、豊かさには相応しくない状態なのです。
人生は、あなたの願いを叶えます。
人生が、あなたを無視することはできないのです。
あなたは何かに対して、不安や不満を感じています。
それは、不安や不満を願っているということに等しいのです。
人生は、あなたの心の中を占(し)める感情を願いとして認めます。
あなたが不安や不満などの感情に重きを置いているのであれば、それ等の感情が心を占めることになるのです。
原因を選択するのはあなたの仕事です。
しかしながら、結果を導くのは人生の仕事なのです。
あなたは料理を注文することはできますが、料理を作ることはできません。
そのため、あなたの注文の仕方によって、料理の出来(でき)は変わるのです。
不安や不満を注文すれば、そのような結果が運ばれるのです。
それは、人生に対して乏しさを注文しているということなのです。
あなたは、人生に対する注文の仕方を覚えましょう。
祈りによっては、豊かさを得られません。
そのため、あなたは人生に対して祈ることをやめましょう。
なぜなら、祈りの動機は不安や不満から逃れたいということだからです。
豊かさのために祈りを捧げる人はいません。
人は、乏しさを恐れて祈るのです。
そのため、祈りによる願いは乏しさを注文することになるのです。
不安や不満を抱えたままでは、どのような手段も乏しさを導く結果となります。
大切なのは、安心や満足を抱えていることなのです。
どのような問題が立ちはだかったとしても、心の中から安心や満足を見失ってはなりません。
どのような状況においても、安心や満足を抱いているのであれば、それが願いとなり、注文となるのです。
そうすれば、問題と対峙していようとも、あなたは豊かさを感じることができるでしょう。
あなたは、考え方を改めなければなりません。
古い体制を手放しましょう。
手放さなければ、それ以上の結果を得ることはできないのです。
手放さなければ、同じ状態であるのです。
現状に乏しさを感じている人は、人生に対して乏しくなるように願っているのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、人生に対して豊かになるように願いましょう。
それは、どのような状況においても、豊かな心境でいるということなのです。
心の中を豊かさが占めている人には、必ず豊かな人生が導かれるのです。
手放しましょう。
そうすれば、現状は変わります。

2017年10月9日月曜日

比較

すべての人は、理解を必要としています。
それは、すべての人が豊かさを求めているからです。
豊かさというものは、理解によってもたらされます。
理解を深めることによって、人は本質に近付くことができるのです。
この世界においては、本質に近付く程に豊かさを感じることができます。
人生に対して、豊かさを感じている人は、それだけ本質に近付いているということなのです。
本質から離れ、表面的な理解を生きている人は、その理解が浅いように、浅はかな考え方と生き方を選択します。
そのような状態によっては、本質に近付くことはできません。
本質から離れ、表面的な理解(非理解)を生きている人は、乏しさを感じるのです。
それは、熱源から離れる程に、温度を感じることが難しくなるのと同じです。
本質に近付く程に豊かさを感じ、それから遠ざかる程に乏しさを感じるのです。
あなたは、その単純な構造を覚えておかなければなりません。
人生に豊かさを求めているのであれば、理解を深めれば良いだけです。
単純なことなのです。
難しい考え方や、複雑な方法など必要ではありません。
どのようなことに対しても構いません。
豊かさを得るためには、理解を深めることが必要なのです。
理解とは、比較によって得られます。
比較を得なければ、理解を得ることはできません。
対象を理解するためには、それと比較することのできる対象を得なければならないのです。
比較を得なければ、それは偏見による独断に陥ってしまうのです。
あなたは理解を得るために、比較するための知識と経験を集めなければならないのです。
一つでは比較することができません。
素直に一つのことを信じているのも良いですが、それでは本質に近付くことはできません。
それは、初めに得た情報が本質的だとは限らないからです。
一つの情報だけでは、それがどのようなものなのかを知ることはできないのです。
しかしながら、二つ目の情報があれば、一つ目の情報の信憑性(しんぴょうせい)は変化します。
三つ目の情報によっては、その信憑性はより大きく変化することになります。
知識と経験を集めることによって、あなたはそれぞれの情報を見極めることができるようになるのです。
一つの情報を信用するのは、盲信(もうしん)していることに変わりません。
あなたは、信憑性に欠ける情報を信じることができますか?
一つの情報によって、結論に至ることができるでしょうか?
残念ながら、あなたは信憑性の薄い状態の情報を信じることはできません。
信じることができなければ、行動することも変化することもできないのです。
それでは、本質に向かって進むことはできません。
大切なのは、知識と経験を集め、比較を繰り返すことです。
比較する度に、あなたは理解を深めることができるでしょう。
比較の回数が多い程に、人は理解を深めることができるのです。
あなたは比較のための情報を得なければなりません。
しかしながら、多くの人は恐怖の感情を抱えています。
恐怖とは、厄介(やっかい)な感情です。
それは、あなたの歩みを阻みます。
あなたが理解を深めるためには、恐怖を乗り越える必要があるのです。
あなたは、間違えることを恐れてはなりません。
すべての人は無知であり、未熟なのです。
そのため、すべての人は間違えます。
この世界において、間違えない人など存在しません。
それは、誰もが必ず失敗するということなのです。
残念ながら、失敗とは悪いものではありません。
なぜなら、失敗によって、あなたは更なる知識と経験を得ることができるからです。
失敗でさえ、比較対象を導くのです。
あなたは成功によっても、失敗によっても、理解を深めることができるのです。
何の心配もいりません。
あなたは安心して間違えましょう。
安心して失敗するのです。
何かを間違えたり失敗して、理解を深めなかった人はいません。
なぜなら、間違えたり失敗したことに関する知識と経験を得たからです。
大切なのは、素早く切り替えることです。
次の知識と経験に向かいましょう。
あなたは多くの知識と経験を必要としているのです。



2017年10月8日日曜日

問題の解消法

すべての人は未熟です。
すべての人は無知です。
すべての人は企(たくら)みを持ちます。
すべての人は利己的です。
すべての人は卑屈(ひくつ)です。
すべての人は傲慢(ごうまん)です。
すべての人は怠慢(たいまん)です。
すべての人は自分が正しいと考えているのです。
すべての人は、大きな問題を抱えています。
すべての人は、大きく歪んでいるということを知らなければなりません。
上記の性質は、あなたにも当てはまります。
あなたも大きな問題と歪みを抱えているのです。
人生とは、その問題と歪みを解消するための時間なのです。
あなたは常に自らの抱える問題と歪みと向き合うことになるでしょう。
それを退けることはできません。
それを避けることもできません。
それを無視することもできません。
あなたは常に問題と歪みと向き合うのです。
それは、あなたにとっては苦悩として導かれます。
あなたが苦悩しているのは、問題と歪みを抱えているからなのです。
あなたは苦悩から逃れることはできません。
あなたは、苦悩を解消しなければならないのです。
苦悩を解消するためには、問題と歪みを解消する必要があります。
問題と歪みを解消するためには、それ等に”飽(あ)きる”必要があるのです。
人が何かを抱えているのは、それを”気に入っている”からです。
執着(しゅうちゃく)とは、欲求なのです。
人は、気に入っているものを欲します。
あなたの抱える苦悩とは、あなたが気に入って欲しているものなのです。
しかしながら、あなたはそれを否定するでしょう。
その苦悩を必要のないものだと考えているのです。
しかしながら、あなたは自らの選択によって苦悩しているのです。
それは、その苦悩があなたに必要であるからです。
この世界においては、必要が導かれます。
あなたにとっての不要が導かれることはないのです。
そのため、あなたの抱えている問題や歪みが生じさせる苦悩も、あなたにとっては必要なものであるのです。
あなたは、苦悩から学んでいます。
それは、自分自身を学んでいるのです。
あなたが苦悩によって自分自身を知ることができれば、問題や歪みを発見することができるのです。
自らの問題や歪みと向き合えば、それに”飽きる”ことができるのです。
どのようなものであっても、それと向き合い続けていれば慣(な)れます。
慣れはやがて、飽きを生じさせるのです。
そのため、苦悩に向き合い続けていれば、あなたは自らの抱える問題や歪み(考え方や生き方)に飽きるようになるということなのです。
苦悩を体験し続けていれば、その状態を手放すことができます。
しかしながら、苦悩から逃れ、その経験値が少なければ、飽きることができず、手放すことができないのです。
多くの人は苦悩を嫌い、そこから逃れようとします。
それは、苦悩を続ける行為であるのです。
どのような”お気に入り”も、必ず飽きます。
そのため、あなたが苦悩を解決しようと考えているのであれば、それと向き合う必要があるということなのです。
問題や歪みを解消するためには、それに必要な過程を経る必要があります。
必要な過程を経ることなく、問題や歪みは解消されないのです。
問題や歪みを解消するためには、”悪事”を働く必要があるかもしれません。
その必要があるのならば、あなたは”悪事”を働かなければならないでしょう。
残念ながら、問題や歪みの解消法は、あなたの計り知れないものです。
あなたの常識が通用するのであれば、あなたは苦悩を抱えてはいないのです。
人生にどのような手段を求められても、あなたはそれが問題や歪みを解消するための必要であるということを覚えておきましょう。
すべては苦悩を解消し、成長するための働きです。
あなたは過去の”悪事”を後悔する必要はありません。
恥じ入ることではありますが、悔やむことではないのです。
向き合うことによって、抱えている苦悩に飽きましょう。
そうすれば、もうそれを欲することはないでしょう。

2017年10月7日土曜日

深い対峙

すべての人は問題を抱えています。
すべての人は、抱えている問題を解決するために生まれたのです。
すべての人は、常に自らの抱える問題と向き合っています。
すべての人は、自らの抱える問題と向き合い続けなければならないのです。
問題を避けて通ることはできません。
すべての道において、自らの抱える問題が立ちはだかるということを覚えておきましょう。
あなたがどのような道を歩もうとも、問題が障壁となって現れるのです。
そして、それは、乗り越える以外には解決することのできないものであるのです。
多くの人は問題を避けて通ろうとします。
その度に、問題によって行く手を阻まれるのです。
どの道を歩もうとも、問題は自分の内側から生じます。
そのため、問題から逃れることはできないのです。
あなたは、問題が自分自身であるということを覚えておきましょう。
あなたは自分自身からは決して逃れることができないのです。
問題を解決するためには、向き合って乗り越える以外に方法はありません。
あなたは、問題と向き合いましょう。
それは、自分自身の歪みに過ぎません。
あなたが考える程、問題は大きなものではありません。
大切なのは、それが大きく見えているということを知ることなのです。
あなたの目の前に立ちはだかる問題は、乗り越えることのできる問題です。
ただ、問題と向き合った時には途方に暮れることになります。
それは、自分自身の歪みが初めて顕在化(けんざいか)した時には、それは余りにも複雑怪奇(ふくざつかいき)に思えるからです。
しかしながら、何度も向き合っている内に、問題の詳細を理解するようになります。
初めは途方も無いように思えた問題であっても、何度も向き合っている内に全体像や本質を理解することができるようになるのです。
大切なのは、一度で問題を解決しようと考えないことです。
どのような問題も、一度向き合っただけでは解決することなどできはしないのです。
小さな楔(くさび)が大岩を砕くように、小さな力であっても、問題に対して何度も何度も向き合うのであれば、必ず解決することができるのです。
解決の形には様々なものがあり、理想の形によって解決するとは限りません。
しかしながら、あなたは必ず問題を乗り越えて進むことができるのです。
それは、問題と向き合っていると同時に自分自身と向き合い、問題の本質である自分自身の歪みを正すことができるからです。
刀鍛冶(かたなかじ)が熱した鉄を鍛えるように、あなたは問題に対して向き合う時には自分自身の歪みを叩き、不純物である歪みを取り除きます。
何度も何度も歪みを叩き出せば、やがて歪みは失われるのです。
そのため、解決しない問題は存在しないのです。
あなたは、道に立ちはだかる問題に対して、希望を失ってはなりません。
壁を叩き続ければ、小さな穴が開いて、そこから光が射し込むのです。
あなたは問題という障壁を叩き続けなければなりません。
何度も何度も向き合っていれば、それは深い対峙となります。
深い対峙は、問題の本質を明るみにします。
あなたはどのような問題に対しても、諦めずに向き合い続けることの重要性を覚えておきましょう。
深く対峙する程に、問題に生じた穴は大きなものとなるのです。
そして、あなたの中の歪みは失われるのです。
多くの人は問題から逃れようとします。
多くの人は問題が嫌いなのです。
そのため、問題に対して浅い対峙にとどまってしまうのです。
浅い対峙では、問題の本質は見えてきません。
あなたは問題に対して深く対峙するように心掛けましょう。
それは、思慮(しりょ)を諦めないということです。
あなたは、目の前の問題に対して、思慮を諦めてはなりません。
思慮を続ければ、解決の糸口は必ず見付かります。
問題を乗り越えることができないというのであれば、それは向き合い方が浅いということなのです。
少しでも良いので、自分なりに深く考えてみましょう。
考え続ければ、必ず良いアイデアが見付かります。
少しでも良いアイデアならば役に立つでしょう。
人の道とは、地道です。
人は不器用に、地味にしか進むことができないのです。
すべては一つ一つの小さな積み重ねです。
小さな力も、積み重なれば大きな力となることを忘れてはなりません。
小さな楔が大岩を砕くことを覚えておきましょう。
問題とは深く対峙しましょう。
そうすれば、問題は必ず解決することができるのです。

2017年10月6日金曜日

探し物

人生の目的は、それぞれによって異なります。
すべての人が異なる人生の目的を持って生まれたのです。
しかしながら、すべての人が自らの人生の目的を果たす必要があるということは共通しています。
誰もが、自らの人生の目的を果たさなければなりません。
それは、人生の目的こそが、幸福であり、人生の豊かさであるからです。
人は、人生の目的に向かって進む時に幸福を感じることができます。
そして、それを果たす時にこそ、豊かさを実感するのです。
自らの人生の目的に反しているのであれば、人が幸福や豊かさを実感することはできません。
多くの人は、自らの人生の目的を知りません。
多くの人は、自らの人生の目的を考えもしないのです。
人生の目的を考えもせず、知らないにもかかわらず、幸福や豊かさを得ようとしているのです。
それは、幸福や豊かさが何かも知らずに探しているようなものです。
あなたは、知らないものを探し出すことができますか?
知らないものは探しようがないのです。
多くの人が人生の目的を知らずに幸福や豊かさを得ようとしていますが、それが不可能であるということを理解する必要があるのです。
大切なのは、自分が何を探しているのか?ということを知ることです。
幸福や豊かさを探しているのであれば、幸福や豊かさが何であるのか?ということを探し出す必要があるのです。
幸福や豊かさを探し出すためには、先に人生の目的を探し出す必要があるのです。
多くの人は順序が乱れているのです。
そのために、幸福や豊かさを実感することができないのです。
あなたは、宛(あ)てもなく、幸福や豊かさを探し回ってはなりません。
探しているものを明確にする必要があるのです。
そのため、幸福や豊かさを安易に求めてはなりません。
多くの人は、漠然と幸福や豊かさを求めているのです。
そして、それが得られると思い込んでいるのです。
残念ながら、この世界には因果の仕組みが存在しているのです。
願っても叶いません。
原因を所有していなければ、決して結果として実現することはないのです。
原因を所有していれば、願わなくても実現します。
大切なのは、原因を所有することです。
幸福や豊かさの原因とは、人生の目的です。
あなたはやはり、人生の目的を知る必要があるのです。
しかしながら、あなたにはそれを理解することが容易ではありません。
誰にとっても、人生の目的を探し出すことは難しいのです。
しかし、あなたは諦めてはなりません。
難しいというだけであって、不可能とは言っていないのです。
あなたが人生の目的を探し出すためには、自らの道に従って行けば良いのです。
自らの道とは、自らの分際に相応しい選択肢です。
分際とは、人生の目的です。
あなたは、分際に相応しい仕事を求められているのです。
あなたが”善人”であるのならば、善行を働きましょう。
そうすれば、人生の目的を理解することができます。
あなたが”悪人”であるのならば、悪行を働きましょう。
そうすれば、人生の目的を理解することができるでしょう。
善人が悪行を働いてはなりません。
悪人が善行を働いてもならないのです。
それでは、矛盾するのです。
善人は善行によって目的を知り、悪人は悪行によって目的を知ることができます。
しかし、残念ながら善悪というものは存在しません。
善人も悪人もいません。
その行為を善悪と隔てる価値観があるだけなのです。
人は、それぞれの分際に相応しい学びを得ます。
目の前に導かれる状況とは、その人に相応しい学びなのです。
そのため、自分に矛盾するようなことをしてはならないということなのです。
鳥は空を飛び、蛇は地を這(は)い、魚は水に潜れば良いのです。
分際に従って生きれば、人生の目的も探し出すことができるでしょう。
幸福や豊かさを見出すのは、その後のことです。
分際も弁(わきま)えずに、幸福や豊かさを漠然と求めてはなりません。
強欲な者は、それを得られません。

2017年10月5日木曜日

隔たりのない学び

人生において重要なことは、成長するということです。
すべての人は、成長を実現するために生きているのです。
あなたの目の前に存在するすべての体験は、あなたが成長するための学びです。
あなたは常に学ぶことができます。
そして、常に成長することができるのです。
しかしながら、多くの人は目の前のすべての体験を成長するための学びであるとは実感しません。
多くの人にとっては、学びは時々やってくるものであり、成長とは、稀(まれ)に実感することのできるものなのです。
実際には、常に学びは導かれています。
そして、あなたはいつでも成長することができるのです。
しかしながら、それを実感することは難しいのです。
それは、あなたが偏見を抱えているからです。
偏見によって、あなたは学びと成長を遠ざけます。
偏見によっては、学びを学びと認識することは難しく、成長を実現することは不可能なのです。
大切なのは、偏見によって学びを見失わないことです。
成長するためには、学びを得なければならないのです。
学びを得るためには、偏見に従っていてはなりません。
偏見は、学びに偏りを起こすからです。
人は、心の中に善悪の隔(へだ)たりを持ちます。
それは、正義感という名によって正当化されています。
そのため、善悪の隔たりに違和感を覚える人は少ないのです。
多くの人は、善悪の隔たりを当然のことのように考えています。
そして、それは良いことであると考えているのです。
残念ながら、善悪の隔たりによって、あなたは学びを失います。
多くの人は、自分にとっての善から学ぼうと考えるからです。
多くの人は、自分にとっての悪から学ぼうとはしません。
それは、正義感というものの本質が利己主義であるからです。
利己主義者は、正義感を振りかざします。
それは、正義感というものが敵を生み出す思想であるからです。
正義感によって、あなたは誰かや何かを敵として認め、それと争うことになります。
善悪の隔たりによって、人は敵でも味方でもないものを敵としてしまうのです。
この世界には、敵も味方も存在しません。
目の前に存在するのは学びだけです。
この世界は、善悪によって隔てられるような低水準な場所ではありません。
あなたの利己的な考えによって計り知ることができる程、浅い世界ではないのです。
善を好んでいる時には、悪を学ぶことはできません。
それは、悪と決め付けているものを否定しているからです。
否定からは学びを得ることはできないのです。
善悪によって隔たりを作るのであれば、成長することはできないということを理解しましょう。
多くの人は、自分に近しいものから学ぼうとします。
自分に遠いものからは学ぼうとはしないのです。
それは、心地が悪いからです。
例えば、気が置けない人に対しては、学ぶ姿勢を見せます。
しかしながら、気が置ける人に対しては、否定の姿勢を見せるのです。
それは、学びの偏りを意味します。
好きなことしか学ぶことができなければ、嫌いなことに対しては無知が生じるのです。
それでは、何も説明することはできません。
学びが偏っていれば、本質を得ることができないのです。
あなたは、自分が生まれた目的を考えなければなりません。
あなたは偏るために生まれたのではありません。
隔たりなく学び、本質を見極めるために生まれたのです。
成長は、本質に触れることによって実現します。
本質に触れることがなければ、成長することはできないのです。
あなたは、隔たりなく学びましょう。
善と共に過ごす時間が多ければ、悪と過ごす時間を設けましょう。
好きなことばかりをやっているのであれば、嫌なことをやりましょう。
気が置ける人達との時間を過ごしているのであれば、気が置けない人達との時間も過ごしてみましょう。
そうすれば、あなたは多くの学びを得ることができます。
学びというものは、満遍(まんべん)なく得るものなのです。

2017年10月4日水曜日

多くの人は失敗を恐れます。
多くの人は、失敗が悪いことだと考えているのです。
それは、失敗によって理想が打ち砕かれるからです。
また、失敗することによって、他者からの評価を気にするからです。
残念ながら、すべての人が失敗を経験する必要があります。
どのような人物であっても、失敗を避けることはできません。
すべての人は必ず失敗するのです。
それが自然であり、最善なのです。
あなたは、失敗を避けることはできません。
どのように努めようとも、失敗は確実に導かれるのです。
失敗することは当たり前のことです。
それは、あなたが食事をするようなものなのです。
食事をすることを悪いことだと考えている人はいません。
食事に対して自制を言い聞かせる人はいますが、食事自体を悪いことだと考えている人はいないのです。
失敗とは、食事をするようなものであるために、あなたはそれを悪いことだと決めて恐れる必要はないのです。
食べ過ぎれば病気を引き起こします。
失敗も、頻度を増せば問題を引き起こすでしょう。
しかしながら、失敗を否定することは間違っています。
食事を断てば問題を引き起こすように、失敗も断てば問題となるのです。
大切なのは、失敗の本質を見極めることです。
あなたは、失敗が何のために導かれているのか?を考えなければなりません。
失敗は何のために導かれているのでしょうか?
失敗が導かれるのは、あなたの方法が間違っているということを教えるためです。
あなたの方法が間違っているために失敗が導かれているのです。
例えば、頑固さが失敗の原因となります。
頑固さとは、偏見です。
凝り固まった思考によって、人は問題を引き起こすのです。
失敗は、頑固さを手放すように促(うなが)しているのです。
失敗とは、頑固さを打ち砕くための楔(くさび)のようなものです。
失敗によって、人は頑固さに楔を打ち込み、それを打ち砕くことができるのです。
失敗を重ねるということは、それだけ頑固さに打ち込む楔の数が増えることになります。
それは、頑固さを打ち砕き、柔軟な思考を生み出す確率を上げることに貢献(こうけん)するのです。
柔軟な思考は、目の前の状況の中に潜在している可能性を見出す力を持ちます。
頑固さによっては、その可能性を見出すことはできないのです。
失敗を重ねる人は、頑固さを打ち砕きます。
失敗を重ねる人ほど柔軟さによって状況に対応し、可能性を掴むことができるのです。
多くの人は失敗を恐れます。
それは、可能性を掴むことを恐れているからです。
失敗を恐れている人は、現状維持を求めています。
現状維持とは、次第に可能性を失う選択ですが、そのことには気が付きません。
そのため、頑固さを保持することのリスクも理解することがないのです。
失敗を重ねた人は、次の可能性に向かって進み続けることができます。
それは、人生を豊かにする唯一の方法です。
失敗を恐れて現状に執着する人は、決して人生を豊かにすることはできないのです。
あなたは、失敗の先に目的があるということを覚えておきましょう。
失敗は避けられません。
それを避けようとする労力を、失敗の経験を生かすことに活用するのです。
失敗こそが、あなたを未熟から解放してくれるでしょう。
失敗を受け入れましょう。
恥を知り、惨(みじ)めな気分を味わうのです。
そうすれば、今までの自分の考えが愚かであったということを理解することもできるのです。
失敗することを恐れてはなりません。
失敗することが自然なのです。
失敗する方が成長することができるということを理解しましょう。
あなたは失敗を恐れずに何かに挑戦しましょう。
結果など考える必要はありません。
それは、あなたは必ず失敗するからです。
それで良いのです。

2017年10月3日火曜日

人生の主導権

あなたは、ただ生きるために生まれたのではありません。
あなたは様々な経験を通じて、成長するために生まれたのです。
人生の目的は成長することにあります。
あなたは、成長を実現しなければならないのです。
残念ながら、ただ生きるだけでは成長することはできません。
成長とは、自発的な変化です。
自分自身に成長する意思がなければ、成長は実現しません。
時は過ぎ、状況は変わっても、成長する意思を持たなければ、自分自身は変化することがないのです。
見た目や趣味嗜好(しゅみしこう)が変わったとしても、学びの段階は変わらないのです。
人は、その人格に相応しい学びの段階を所有します。
人は、その人格に相応しい学びを得るのです。
人は、その人格に相応しい学び以外を得ることはできません。
状況や環境や人間関係が変わったとしても、あなたは自らの人格に相応しい学びを得るのです。
人は、その人格を成長させなければならないのです。
人格を成長させるためには、成長する意思を持たなければなりません。
多くの人は、人格を成長させる意思を見失っています。
目の前の快楽や苦悩に捕らわれてしまい、自らの人格を成長させることを忘れてしまうのです。
多くの人にとって、目の前の快楽や苦悩は大きな力を持っています。
それは、表面的であり、認識し易いからです。
人は、目立つことに引き付けられるのです。
人格の成長という目的に比べて、目の前の快楽や苦悩は甚(はなは)だしいのです。
そのため、多くの人は目の前の快楽や苦悩に集中するのです。
大切なのは、目の前の快楽や苦悩が何のために導かれているのか?ということを考えることです。
あなたを喜ばせるために快楽が導かれ、あなたを苦しめるために苦悩が導かれているのではありません。
すべては、あなたの人生の目的のためです。
それは、人格の成長です。
目の前の快楽や苦悩は、あなたが人格を成長させるために導かれているのです。
あなたが目の前の快楽や苦悩が導かれる目的を見失うことがなければ、人格を成長させることができるのです。
ただ生きているというのは、目の前の快楽や苦悩が導かれる目的を考えずにいる状態のことをいうのです。
どのような人物であっても、目の前の快楽や苦悩が導かれる目的を考えさえすれば、人格の成長を実現することができるのです。
人生というものは、人格に従って変化します。
そのため、あなたが何を願おうとも、その人格に相応しい人生が実現するのです。
厳密には、あなたはその人格に相応しい願いしか思い付かないのです。
人は、その人格に相応しく考え、その人格に相応しく行動します。
残念ながら、人格に相応しくない考えや行動は思いも付かないのです。
人生を変えたいと考えているのであれば、人格を変えなければなりません。
人格を変えるためには、目の前に導かれる現実の意味を考え続ける必要があるのです。
それが生きるということです。
目の前に導かれる現実に対して何の考察もしなければ、人は幻想を生きるに変わりないのです。
幻想を生きる人は、成長することはできません。
あなたは、現実を生きなければなりません。
人生に無駄は存在しません。
目の前に導かれるものが無駄と思うのであれば、それは、考察が足りないのです。
納得のいく答えに辿り着くまで、あなたは考え続けましょう。
目の前に導かれる現実が、どのように自らの人格を成長させるのか?ということを考え続けるのです。
人生の目的を見失ってはなりません。
快楽や苦悩に溺れて生きてはならないのです。
あなたは、ただ生きるために生まれたのではないのです。
人格を成長させ、豊かに生きるために生まれたのです。
快楽や苦悩に振り回されるだけの人生を生きてはなりません。
快楽や苦悩を手懐(てなず)け、人生の主導権を人格に渡しましょう。
快楽や苦悩に従ってはなりません。
快楽や苦悩を従わせるのです。
これはあなたの人生です。
あなたの人格の成長のための人生です。
人生を主導しているのが人格であるということを覚えておきましょう。

2017年10月2日月曜日

歪んだ見解

大切なのは、豊かに生きることです。
あなたは、豊かに生きなければなりません。
どのような状況に対しても、そこに豊かさを見出す必要があるのです。
人は、豊かに生きるために生まれたのです。
それがどのような問題であり、苦悩であろうとも、そこにも豊かさは存在しています。
それを問題とし、苦悩しているのは、そこに存在する乏しさに焦点を当てているに過ぎないのです。
この世界には、陰陽の仕組みが存在しています。
あなたの心の中にも、陰陽の仕組みが備わっているのです。
そのため、あなたは物事の陰の部分を見出すこともできれば、陽の部分を見出すこともできるのです。
陰の部分とは、破滅的な性質です。
それは、マイナスの力として働きます。
陽の部分とは、建設的な性質です。
それは、プラスの力として働くのです。
陰と陽の性質は、どちらも無くてはならないものです。
どちらも大切な力です。
しかしながら、そのバランスを保つことをしなければ、陰と陽のどちらの力であっても乏しさを導くことになるのです。
バランスを崩せば、陰と陽のどちらの力によっても、あなたは問題と苦悩を得ることになるでしょう。
豊かに生きるということは、陰と陽のバランスを保つということです。
陰と陽のバランスによって、豊かさが導かれます。
あなたが豊かに生きるためには、陰と陽のバランスを保たなければならないのです。
残念ながら、多くの人は乏しく生きています。
多くの人は、問題や苦悩を抱えながら生きているのです。
それは、陰と陽のバランスを崩した状態によって生きているということなのです。
多くの人は、不安を抱えています。
不安を解消するために、我欲に従うのです。
我欲とは、自分を守ろうとする気持ちです。
多くの人は、不安によって自分を守ろうとしているのです。
そのため、自分の利益となる陽の性質を求めるのです。
それと同時に、自分の損失となる陰の性質を否定します。
多くの人は、損得勘定によって、物事を選択しているのです。
しかしながら、すべての人は未熟です。
すべての人が無知であるのです。
そのため、見解は歪んだものなのです。
残念ながら、歪んだ見解によって導き出される選択が豊かさを導くことはありません。
歪んだ見解によって導き出される選択は、乏しさを導いてしまうのです。
あなたは自分の見解を信用してはなりません。
あなたは不安を抱えているのです。
その時点において、あなたは利己的な選択に陥(おちい)ってしまうのです。
不安を抱えているのであれば、すべての見解は間違っているということを覚えておきましょう。
あなたが豊かに生きるためには、自分の判断を信用し過ぎないことです。
目の前には、いつも理想とは懸(か)け離れた現実が導かれます。
多くの人はそれを嫌うでしょう。
しかしながら、あなたは受け入れ難い現実の中から、豊かさを見出す必要があるのです。
否定によっては、何も好転しません。
選り好みによっては、人生を豊かなものにすることはできないのです。
目の前に導かれる現実は、決して受け入れ易いものではないでしょう。
しかしながら、それは意味を以(もっ)て目の前に導かれているのです。
この世界には、無駄なもの、無意味なものは存在しないのです。
すべてがあなたにとっての重要な意味のあるものなのです。
そのことを理解しなければなりません。
豊かさは、どこにでも存在しています。
もちろん、乏しさもどこにでも存在しているのです。
陰を嫌い、陽を追い求めてはなりません。
陰陽のバランスを保つのです。
それは、目の前に導かれる現実によって教わるでしょう。
現実を大切にする気持ちを保てば、陰陽のバランスは保たれるでしょう。
現実を大切にして、豊かに生きましょう。

2017年10月1日日曜日

丹精込める

人生において大切なのは、成長するということです。
成長するということは、変化するということです。
人は、変化を受け入れなければなりません。
それは、変化とは歩みであるからです。
その場に立ち竦(すく)んでいれば、停滞を実現します。
それでは、人生の目的地に辿り着くことはできません。
人生の目的地には幸福が存在しているのです。
歩まなければ、人は幸福を得ることはできないのです。
あなたは、変化することによって歩むことができると知らなければなりません。
人は、変化することによって、幸福へと向かうことができるのです。
しかしながら、多くの人は変化を嫌います。
それは、変化することは苦しみを伴(ともな)うからです。
変化とは、現状を離れるということです。
それは、大地という現状の安定を手放し、不安定な空中に足を持ち上げるようなものです。
着地するまで安定は望めません。
それは、倒れるかも知れないという危険な可能性への挑戦なのです。
多くの人は、危険を嫌います。
多くの人は、リスクを回避することを選択するのです。
そのため、変化を受け入れることができません。
多くの人は、その場に立ち竦むことを選択するのです。
しかしながら、それは停滞を意味し、変化と成長を否定することになります。
それは、同時に幸福を否定することでもあるのです。
幸福を求めながら、それを否定します。
多くの人は、このような矛盾を生きているのです。
それは、人は気楽を求めますが、幸福とは苦しみの先に存在しているからです。
多くの人は、気楽を求めて手を抜きます。
手を抜くことが楽だと考えているのです。
そのため、多くの人は粗悪な働きを行うのです。
粗悪な働きによって、人は気楽を手にします。
しかしながら、粗悪な働きによって幸福を得た人はいません。
そのような人はこれまでもいなかったし、これからもいないのです。
丹精込めた働きは骨が折れます。
それは決して気楽な選択ではありません。
懸命に働くほどに、苦労は増します。
しかしながら、丹精込めた働きを行う者は幸福を得るのです。
そのような人はこれまでもいたし、これからもいるのです。
あなたが幸福を求めているのであれば、丹精込めて懸命に働かなければなりません。
気楽を求めず、何事にも真剣に、誠実に、真摯(しんし)に向き合う必要があるのです。
多くの人は手を抜くことが楽だと考えています。
その時のことだけを考えれば、手を抜く方が楽なように思えるでしょう。
しかしながら、手を抜くということは、粗悪を生み出すということなのです。
粗悪な部品を組み合わせるのであれば、粗悪な結果を生み出すことになるのです。
粗悪な仕事が、良い結果を導き出すことはないのです。
丹精込めた働きは、多くの苦労を必要とします。
しかしながら、それは精好(せいこう)を生み出すのです。
精好な部品を組み合わせるのであれば、精好な結果を生み出すことができるのです。
精好な仕事は、必ず良い結果を導き出すのです。
そのため、長い目で見れば、丹精込めた働きの方が幸福を導くことができるのです。
その場の快楽に溺れて、幸福を得ることはできません。
その場では苦労したとしても、それは可能性への投資となるのです。
そのため、あなたは心配せずに苦労を重ねましょう。
この世界には、因果の仕組みというものが存在しています。
原因は、それに相応しい結果を必ず導きだします。
あなたは後に、手を抜くよりも、丹精込めた方が楽であるということを理解することができるでしょう。
寝ていることが楽だと考えれば、筋力や知力は衰え、多くの苦しみを導くでしょう。
働くことには苦労が付き物ですが、それは筋力や知力を鍛え、多くの喜びを導くでしょう。
あなたが幸福を求めているのであれば、手を抜くことを覚えず、丹精込めた働きをするように努めましょう。