このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2017年10月25日水曜日

全体の欠片

すべての人が未熟な状態です。
すべての人が未熟を生きているのです。
この世界には、完成された人間は存在しません。
すべての人が歪んでおり、欠けているのです。
それは、この世界の役割を与えられたからです。
人は、それぞれに特別な役割を与えられているのです。
そのため、人は完成した状態を生きることはできないのです。
人は、全知全能の状態を生きることはできません。
人は、この世界の欠片(かけら)なのです。
欠片はそれぞれの形に分けられました。
それは、欠片がそれぞれの特別を得ることによって、学びを得ることができるからです。
人は、未熟であるが故(ゆえ)に学ぶことができるのです。
人は、未熟を離れることはできません。
しかしながら、分けられた欠片は一つの全体に戻らなければなりません。
人は、全体に原点回帰しなければならないのです。
始まりは全体であったのです。
それが分かれて個体となったのです。
多くの人が利己的な考えに従っているのは、全体から分かれた後の価値観に従っているからなのです。
残念ながら、利己的に生きても豊かさを得ることはできません。
なぜなら、それが役割ではないからです。
欠片が利己的に振る舞うということは、全体を形成することを拒んでいるということなのです。
全体が大きな壺(つぼ)であるとすれば、それは穴の空いた壺となるのです。
穴の空いた壺は、豊かさを蓄えておくことができません。
豊かさとは、全体によって蓄えられるものであるからです。
すべての欠片が集まらなければ、豊かさは漏れ出ます。
それでは、豊かさを得ることはできないのです。
あなたは、全体性を見失ってはなりません。
全体性を見失った人間は、自分の役割を果たそうとはしないからです。
あなたは一つの欠片であり、それは全体を支える重要な役割なのです。
一つ一つの欠片が互いに手を取り合い、豊かさを蓄えなければならないのです。
小さな欠片であっては、少しの豊かさも蓄えることができないのです。
壺の欠片で水を蓄えようとしても、それは微々たるものに過ぎません。
しかしながら、欠片を集めて壺を作れば、大量の水を蓄えることができるのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、全体性を理解し、互いに協力することを目指さなければなりません。
多くの人は、微々たる豊かさを求めて、欠片で豊かさを受けます。
天から降る雨粒を欠片で受けたとしても、それをとどめておくことはできません。
しかしながら、壺であれば、雨粒で喉(のど)の渇きを潤すことができるのです。
欠片では飢えを得ますが、壺であれば満足を得るのです。
独りの力などたかが知れています。
残念ながら、独りの力では及ばないことの方が多いのです。
自分独りで豊かさを得ようと試みる人は多くいますが、誰一人として成功した者はいません。
それは、この世界の構造上不可能であるからです。
あなたは利己的に生きてはなりません。
他の欠片と力を合わせて、雨粒を受けるのです。
未熟な者同志であれば、力を合わせることができます。
あなたは他者の力を必要とし、他者はあなたの力を必要としているのです。
あなたが欲するものを、同じように他者も欲しています。
あなたは自分が欲するものを他者に与えましょう。
あなたが力を借りたいのであれば、力を貸しましょう。
与えることを考え続けましょう。
受け取ることは考える必要がないのです。
なぜなら、与えれば、必ず受け取ることができるからです。
都合の良いようには与えられません。
それは、あなたが未熟であるからです。
あなたの都合に合わせていれば、必要を満たすことができないからです。
あなたにとって本当に大切なものは、因果の仕組みに任せておけば良いのです。
あなたの判断では、必ず間違えるからです。
協力を求めてはなりません。
協力をするのです。
ただ、それだけで良いのです。
自分が全体の欠片であることを覚えておきましょう。
そして、多くの欠片と協力しましょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿