すべての人が未熟な状態です。
すべての人が未熟を生きているのです。
この世界には、完成された人間は存在しません。
すべての人が歪んでおり、欠けているのです。
それは、この世界の役割を与えられたからです。
人は、それぞれに特別な役割を与えられているのです。
そのため、人は完成した状態を生きることはできないのです。
人は、全知全能の状態を生きることはできません。
人は、この世界の欠片(かけら)なのです。
欠片はそれぞれの形に分けられました。
それは、欠片がそれぞれの特別を得ることによって、学びを得ることができるからです。
人は、未熟であるが故(ゆえ)に学ぶことができるのです。
人は、未熟を離れることはできません。
しかしながら、分けられた欠片は一つの全体に戻らなければなりません。
人は、全体に原点回帰しなければならないのです。
始まりは全体であったのです。
それが分かれて個体となったのです。
多くの人が利己的な考えに従っているのは、全体から分かれた後の価値観に従っているからなのです。
残念ながら、利己的に生きても豊かさを得ることはできません。
なぜなら、それが役割ではないからです。
欠片が利己的に振る舞うということは、全体を形成することを拒んでいるということなのです。
全体が大きな壺(つぼ)であるとすれば、それは穴の空いた壺となるのです。
穴の空いた壺は、豊かさを蓄えておくことができません。
豊かさとは、全体によって蓄えられるものであるからです。
すべての欠片が集まらなければ、豊かさは漏れ出ます。
それでは、豊かさを得ることはできないのです。
あなたは、全体性を見失ってはなりません。
全体性を見失った人間は、自分の役割を果たそうとはしないからです。
あなたは一つの欠片であり、それは全体を支える重要な役割なのです。
一つ一つの欠片が互いに手を取り合い、豊かさを蓄えなければならないのです。
小さな欠片であっては、少しの豊かさも蓄えることができないのです。
壺の欠片で水を蓄えようとしても、それは微々たるものに過ぎません。
しかしながら、欠片を集めて壺を作れば、大量の水を蓄えることができるのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、全体性を理解し、互いに協力することを目指さなければなりません。
多くの人は、微々たる豊かさを求めて、欠片で豊かさを受けます。
天から降る雨粒を欠片で受けたとしても、それをとどめておくことはできません。
しかしながら、壺であれば、雨粒で喉(のど)の渇きを潤すことができるのです。
欠片では飢えを得ますが、壺であれば満足を得るのです。
独りの力などたかが知れています。
残念ながら、独りの力では及ばないことの方が多いのです。
自分独りで豊かさを得ようと試みる人は多くいますが、誰一人として成功した者はいません。
それは、この世界の構造上不可能であるからです。
あなたは利己的に生きてはなりません。
他の欠片と力を合わせて、雨粒を受けるのです。
未熟な者同志であれば、力を合わせることができます。
あなたは他者の力を必要とし、他者はあなたの力を必要としているのです。
あなたが欲するものを、同じように他者も欲しています。
あなたは自分が欲するものを他者に与えましょう。
あなたが力を借りたいのであれば、力を貸しましょう。
与えることを考え続けましょう。
受け取ることは考える必要がないのです。
なぜなら、与えれば、必ず受け取ることができるからです。
都合の良いようには与えられません。
それは、あなたが未熟であるからです。
あなたの都合に合わせていれば、必要を満たすことができないからです。
あなたにとって本当に大切なものは、因果の仕組みに任せておけば良いのです。
あなたの判断では、必ず間違えるからです。
協力を求めてはなりません。
協力をするのです。
ただ、それだけで良いのです。
自分が全体の欠片であることを覚えておきましょう。
そして、多くの欠片と協力しましょう。
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