人生を豊かなものにするために必要なのは、美しさを得ることです。
美しさとは豊かさです。
豊かさとは、美しいものなのです。
すべての人は未熟です。
すべての人が無知であり、歪んでいるのです。
そのため、すべての人の認識は間違っています。
すべての人が誤解を所有しているのです。
それは、すべての人が豊かさを誤解しているということです。
豊かさを誤解している人は、美しさを誤解しているのです。
すべての人が誤解によって生み出される偏見を所有しています。
すべての人は、偏った見方にとどまるのです。
それは、全体性を損なうということです。
すべての人は、部分的にしか認識してはいないのです。
全体性を損ない、部分的に認識しているのであれば、判断は限られたものとなります。
比較対象が出揃(でそろ)っていないのに、判断するということなのです。
すべての人は、そのように美しさを判断しています。
そのように豊かさを判断しているのです。
そのため、すべての人の求める豊かさとは、部分的なものであり、歪んでいるものなのです。
大切なのは、全体性を得ることです。
比較対象が出揃わなければ、何が美しさなのかを判断することはできないのです。
そして、何が豊かさであるのかを判断することはできません。
すべての人が判断を焦ります。
そのために、すべての人が誤解を離れることができないのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、自らの考える豊かさが誤解であるということを受け入れることです。
あなたは、価値基準を改める必要があるのです。
それは簡単なことではありません。
なぜなら、人は自らの抱える誤解を信じているからです。
信じている誤解を手放すことは難しいのです。
そのため、人は自らの信じる誤解を追求し、それを結果として得ることによって、それがどのようなものであったのか?ということを実感する必要があるのです。
自らの信じている豊かさを追い求めた結果を得れば、自分が何を追い求めていたのか?を理解することができます。
実際に状況を得なければ、理解することはできないのです。
言葉で伝えることは簡単です。
しかしながら、それを受け入れることはしません。
あなたが求めている豊かさに対して、それが誤解であるということを丁寧に説明したとしても、それを納得することはないのです。
人は、実際に体験することによってのみ、実感を得ることができるのです。
実感を得なければ改めることはできません。
人は器用な存在ではないのです。
あなたは、未熟な者にとっては、偽りこそが美しいということを覚えておきましょう。
それは、過去にあなたが偽りを美しいと信じていたようにです。
子どもは偽りを見抜く力がありません。
そのため、”絵に描いた鬼”を恐れるのです。
多くの人は、表面的な情報を判断基準とします。
多くの人は、本質を見極める力には乏しいのです。
あなたは、物事の本質を見ようとしなければなりません。
残念ながら、あなたの信じている美しさや豊かさは、部分的なものであって、本質ではありません。
真の美しさや豊かさとは、全体性であるのです。
”すべては一つ”なのです。
陰陽を分け隔てるのであれば、真からは遠ざかります。
陰陽が合わさることによって、全体性が導かれるのです。
善悪に従って分離してはなりません。
敵味方に分かれてはなりません。
部分的に判断してはならないのです。
それは、偽りだからです。
全体こそが真なのです。
”すべては一つ”なのです。
それが真の美しさであり、真の豊かさなのです。
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