大切なのは、見極めることです。
	あなたは瞼(まぶた)を開き、よく見なければなりません。
	あなたは本質を見極めなければならないのです。
	多くの人は本質を見極められません。
	多くの人は、表面的な部分を見て、それが真実だと思い込んでいるのです。
	残念ながら、人が真実を見ることはできません。
	人は本質以外を見詰めるのです。
	すべての人が未熟です。
	すべての人が無知であり、すべての人が間違えるのです。
	あなたは、自分が間違えているということを理解しなければなりません。
	そして、他者も同じように間違っているということを知るのです。
	誰もが間違えます。
	それは仕方のないことですが、間違えを続けていてはなりません。
	間違いに気が付き、それを改める必要があるのです。
	すべての人は偏見を抱いています。
	それは、すべての人が偏った思想に従っているからです。
	すべての人の価値観は、立場に従って歪んでいます。
	誰もが、異なった立場に従っているのです。
	そのため、求める価値が異なるのです。
	それは、偏見を導くのです。
	この世界において、偏見を所有しない人はいません。
	すべての人が偏見を通じて世界を見ているのです。
	多くの人は、自分の立場に従った利益を求めます。
	多くの人は、自分の利益を見詰めるのです。
	それは、その人にとっての光です。
	利益とは、その人にとっては希望の光なのです。
	すべての人が利益という名の光を見詰めます。
	それは良いことのように思えるでしょう。
	しかしながら、あなたは光を見詰めることに注意を払わなければなりません。
	光は価値のあるものでしょう。
	しかしながら、それを見詰め続ければどうなるでしょう?
	日光は最大の恵みであり、利益です。
	それを見詰め続ければ失明するでしょう。
	多くの人は利益を求めていますが、それは、太陽を見詰め続けるようなものなのです。
	それが問題を引き起こすことは、誰にでも理解することができるでしょう。
	しかしながら、欲に逆上(のぼ)せた人間には、そのことを理解することができないのです。
	そのため、多くの人が失明しています。
	多くの人が視力を失い、本当に大切なものを見極めることができなくなっているのです。
	多くの人は、自分の立場に従って苦しみます。
	多くの人は、自分の苦しみを見詰めるのです。
	それは、その人にとっての闇です。
	苦しみとは、その人にとっての絶望なのです。
	すべての人が苦しみという名の絶望を見詰めます。
	多くの人は苦しみに溺れますが、それは、暗闇を見詰め続けるようなものなのです。
	それが問題を引き起こすことは、誰にでも理解することができるでしょう。
	しかしながら、苦しみに溺れた人間には、そのことを理解することができないのです。
	光を見詰め続ければ失明するように、闇も見詰め続けるのであれば、同じように視力を失うのです。
	暗闇の中では視力は必要ではありません。
	そのため、視力を失うのです。
	光であっても、それを見詰め続ければ失明します。
	闇であっても、それを見詰め続ければ失明するのです。
	偏見は、あなたの視力を奪うのです。
	視力を失った人間は、本質を見極めることができません。
	それは、偽りの世界に生き続けるということなのです。
	大切なのは、偏見に陥(おちい)らないことです。
	利益ばかりを追い求めてはなりません。
	苦しみに落ち込んでいてはならないのです。
	大切なのは、光と闇を同時に見詰めることです。
	難しいのであれば、交互でも良いでしょう。
	とにかく、あなたは光と闇の両方を見詰めなければならないのです。
	良いことばかりに目を向けてはなりません。
	悪いことばかりにも目を向けてはなりません。
	人生には、良いことも悪いこともあって良いのです。
	光と闇が、あなたに本質を見せるでしょう。
	そのことの大切さを理解しましょう。
	
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