すべての人は目的を以(もっ)て生まれました。
	すべての人は、成長する必要があるのです。
	成長とは、全体性を得るということです。
	”すべては一つ”というこの世界の理(ことわり)を理解し、すべてと一つと成ることが求められているのです。
	すべての人は全体性を見失っています。
	すべての人は、個々の立場に従って、部分的に物事を捕らえているのです。
	それは仕方のないことです。
	人は、役割を与えられています。
	それは、個々の役割なのです。
	それぞれが独立し、全体を支えるためです。
	独立するのは、個々が力を高めるためです。
	一つ一つを丁寧に磨いた方が、輝くからです。
	あなたには、自分という存在が与えられ、それを磨くように求められています。
	あなたは、自らの個性や能力を磨き、この世界に貢献する存在として輝かなければならないのです。
	壮大な話に聞こえるかも知れませんが、すべての人がこの世界に対して貢献しなければならないのです。
	それは難しく聞こえるかも知れませんが、実際には単純なことです。
	要は、自分の出来ることを懸命に行えば良いだけなのです。
	ただそれだけです。
	誰にでも出来ることです。
	世界に対して貢献するためには、特別な方法や力は必要ではありません。
	赤子でさえ、世界に貢献することは出来るのです。
	勿論、あなたも世界に貢献することは出来るのです。
	あなたは自分自身に対して、自分の人生に対して、目の前の他者に対して、目の前の状況に対して、目の前の問題に対して、懸命に向き合えば良いのです。
	今の自分に出来ること、許されることと懸命に向き合い、懸命に行うことなのです。
	それは、誰にでも出来ることなのです。
	誰にでも、自分に出来ることや許されていることに対して、懸命に向き合い、行うことが出来ます。
	赤子は懸命に泣き、懸命に乳を飲み、懸命に眠り、懸命に生きているのです。
	それが、赤子にとっての世界への貢献なのです。
	赤子が懸命に泣かず、懸命に乳を飲まず、懸命に眠ることもなく、懸命に生きていないのであれば、それは誰かを苦しめてしまうのです。
	それでは、貢献することは出来ないのです。
	理想に溺れ、周囲との比較によって熱意を失ってはなりません。
	理想や周囲の人達と比べて詰まらないことだと思っても、あなたはそれと懸命に向き合い、行わなければならないのです。
	あなたは、与えられた状態と状況の中で、自らを磨き、輝かせる必要があるということを覚えておきましょう。
	不満を抱き、文句を吐いているようでは輝きません。
	不安を抱き、心配に支配されているようでは輝かないのです。
	彼岸花(ひがんばな)は土の中から花を咲かせるのです。
	睡蓮(すいれん)は泥の中から花を咲かせるのです。
	どちらの花も、美しく咲き誇(ほこ)ります。
	それは、懸命に生きているからです。
	懸命に生きているからこそ、美しい花を咲かせ、世界に貢献することが出来るのです。
	不満を抱き、文句を吐くことは、懸命な態度ではありません。
	不安を抱き、心配に支配されることも、懸命な態度ではないのです。
	あなたは自分であることを諦めてはなりません。
	彼岸花も睡蓮も、自分であることに懸命であるのです。
	そのために、自然界に貢献することが出来るのです。
	あなたは彼岸花でも睡蓮でもありませんが、より美しく輝くことが出来るのです。
	自分という存在は、他の何にも劣らない輝きを放ちます。
	そのことを理解しましょう。
	そうすれば、偏見に捕らわれた心を手放し、全体性を得ることも出来るのです。
	多くの人は、恐怖への反発によって利益のみを求めます。
	多くの人は、損失を得ることを嫌うのです。
	それは、偏見によって恐れているからです。
	偏見(恐怖)は、全体性を覆い隠してしまうのです。
	目の前のことに懸命に向き合うことによって、あなたは偏見を離れることができるでしょう。
	恐怖は、怠惰(たいだ)によって導かれます。
	自分に出来ることや許されていることを懸命に行っていない者には、恐怖が付き従います。
	恐怖はあなたを孤立させるのです。
	恐れることなく、懸命に向き合いましょう。
	自分に出来ることや許されていることに恐れる必要はないのです。
	
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