人生とは、選択です。
あなたは常に選択しています。
あなたは常に選択しなければならないのです。
すべての人が、選択と共に人生を歩みます。
選択を拒否することはできません。
何かを選ぶことも選択ですが、何かを選ばないことも選択であるからです。
すべてが選択であり、あなたは常に選択しているのです。
すべての人が幸福を求めています。
すべての人は、それぞれの幸福の形を所有しています。
そして、それぞれの幸福の実現を求めているのです。
幸福の形はそれぞれに異なっているのが自然です。
人は、それぞれの幸福を実現すれば良いのです。
しかしながら、幸福を実現する方法は共通しています。
あなたはそのことを覚えておかなければならないのです。
誰もが自分の求める幸福を所有しています。
誰もが自分であれば、幸福への方向性は自然と定められます。
あなたが自分でありさえすれば、幸福に迷うことはありません。
それは、自分というものが幸福の目的地であるからです。
人は、誰もが自分を知るために幸福を求めているのです。
幸福とは、自分であるということです。
自分が何者なのか?という問いの答えが幸福です。
自分を知れば、人生が何のためにあるのか?という問いの答えも自ずと導かれます。
あなたが幸福を得るためには、自分でなければならないのです。
しかしながら、あなたが自分であることは簡単なことではありません。
それは、あなたが常に自分以外の他者に引き寄せられるからです。
ある歌を輪唱(りんしょう)する時、あなたは他者の歌声に釣られてしまいます。
あなたの歌声は、他者の歌声の調子に導かれるのです。
そして、いつの間にかに同じように歌っているのです。
人は、他者と共鳴するのです。
あなたは常に他者と共鳴しています。
他者と共鳴する内に、考え方や価値観の調子が揃(そろ)います。
あなたはいつの間にかに、周囲の人と同じように振る舞うようになるのです。
あなたの人生は、他者の人生と共鳴しています。
あなたは、他者と同じような人生を築くのです。
しかしながら、多くの人は幸福を実感してはいません。
多くの人は、不満や不安を抱えながら生きているのです。
それは、自分ではないからです。
それが、自分の人生ではないからなのです。
共鳴するのは良いことです。
それは、美しい輪唱を響かせるからです。
しかしながら、そのためには、それぞれが自分であるという前提が必要なのです。
あなたが自分を手放し、他者を生きるのであれば、この世界には美しさが導かれません。
あなたはそのような世界に幸福を感じることはないのです。
他者に引き摺(ず)られ、自分を見失うということは、人生の可能性を失うことと同じです。
幸福とは、選択肢の数によって決まるのです。
あなたが自分であることは、人生に無限の選択肢を導く行為なのです。
しかしながら、自分を見失うことによって、あなたは同時に選択肢を失うのです。
選択肢の数が多いことに、人は幸福を感じます。
しかしながら、選択肢の数が少なければ、人は不幸を覚えるのです。
人は、自分であることによって多くの選択肢を得ることができます。
自分であれば、自由なのです。
しかしながら、他者のように生きれば、選択肢はそれ以外にはありません。
自分を失えば、自由を失うのです。
大切なのは、自分であることです。
あなたが自分である以上に、選択肢を増やす方法はありません。
幸福を求めているのであれば、自分でありましょう。
他者という既知(きち)に生きてはなりません。
自分という未知に生きるのです。
そこには、無限の選択肢が存在しているのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿