人には、それぞれに分際が与えられています。
	すべての人は、自らに与えられた分際と共に生きる必要があります。
	分際とは、役割を果たすための制限です。
	すべての人には役割が与えられています。
	すべての人は、自らの役割を果たすために生きているのです。
	しかしながら、多くの人が自らに与えられた役割を見失っています。
	自分が何のために生まれたのか?
	何のために生きているのか?ということを見失っているのです。
	役割を見失ったとしても、それを果たさなければなりません。
	そのため、分際という制限が設けられているのです。
	あなたが自らに与えられた役割を見失ったとしても、分際がそれを見失うことはありません。
	分際はあなたを役割に引き寄せます。
	あなたがどのような選択をしようとも、分際によって自らの役割に立ち返るようになっているのです。
	多くの人は自らの役割を見失っている状態です。
	そのため、無理をして様々なものを求めます。
	本当は欲しくないものや、本当は必要ではないものを無理に求めているのです。
	それは、皆がそうしているからです。
	誰かがそれを”良いもの”だと言ったからです。
	自らの役割を見失っている人は、他者の役割と自らの役割を混同してしまいます。
	他者にとって”良いもの”が、あなたにとって”良いもの”とは限りません。
	それは、それぞれに役割が異なるからです。
	”良いもの”とは、役割を果たすために必要な要素に過ぎません。
	人は、それぞれの立場によって、何かを”良いもの”と思うのです。
	役割は、人それぞれに異なります。
	そのため、必要もそれぞれに異なるのです。
	それは、必ずしも”良いもの”が共通しないということを意味しているのです。
	あなたには、あなただけの”良いもの”が存在しています。
	もちろん、共通するものもあります。
	すべての生命にとって、陽の光や 水が”良いもの”であるようにです。
	大切なのは、共通しなくても”良いもの”は良いということを知ることなのです。
	この世界において、あなたは唯一の存在です。
	あなたと同じ人は存在しません。
	それは、あなたと同じ役割が存在しないことを示しているのです。
	あなたに似た人は存在し、似た役割は存在します。
	しかしながら、それ等は異なった存在なのです。
	あなたは、他者とは異なるものを背負います。
	それが、初めから背負っているものでも、誰かに背負わされたと思うものでも、自分で背負ったものでも、それを背負っているのはあなたなのです。
	それを背負っているのであれば、背負ったままで歩むしかないのです。
	荷物の重さに耐え兼ねて、それを投げ捨てて歩む者は、必要な荷物が無いことによって道を進むことができません。
	あなたが背負っている荷物の中には、道を進むための大切な必要が存在しているのです。
	必要な荷物を手放せば、それ以上を進むことはできません。
	責任を果たさずに、幸福を得た人がいるでしょうか?
	責任を放棄する人を、あなたは尊敬することができるでしょうか?
	責任を果たさない者は自由を失います。
	背負った荷物を投げ捨てる者は、依頼主によって自由を奪われるのです。
	覚えておかなければならないのは、あなたが役割を与えられているということです。
	あなたは自分のために生きてはいないのです。
	あなたは自分のために生まれたのではありません。
	あなたは、依頼主のために生まれ、役割を果たすのです。
	仕事を放棄すれば自由を失います。
	あなたは幸福を得るために生きているのです。
	人生を豊かなものにしなければなりません。
	そのためには、自らの分際の導きに従わなければなりません。
	背負ったものを背負ったままで歩みましょう。
	それがどのようなものであろうとも、意味のある荷物なのです。
	どのような荷物を運ぼうとも、あなたはそれを丁寧に扱わなければならないのです。
	
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