人生において重要なことは、成長するということです。
	すべての人は、成長を実現するために生きているのです。
	あなたの目の前に存在するすべての体験は、あなたが成長するための学びです。
	あなたは常に学ぶことができます。
	そして、常に成長することができるのです。
	しかしながら、多くの人は目の前のすべての体験を成長するための学びであるとは実感しません。
	多くの人にとっては、学びは時々やってくるものであり、成長とは、稀(まれ)に実感することのできるものなのです。
	実際には、常に学びは導かれています。
	そして、あなたはいつでも成長することができるのです。
	しかしながら、それを実感することは難しいのです。
	それは、あなたが偏見を抱えているからです。
	偏見によって、あなたは学びと成長を遠ざけます。
	偏見によっては、学びを学びと認識することは難しく、成長を実現することは不可能なのです。
	大切なのは、偏見によって学びを見失わないことです。
	成長するためには、学びを得なければならないのです。
	学びを得るためには、偏見に従っていてはなりません。
	偏見は、学びに偏りを起こすからです。
	人は、心の中に善悪の隔(へだ)たりを持ちます。
	それは、正義感という名によって正当化されています。
	そのため、善悪の隔たりに違和感を覚える人は少ないのです。
	多くの人は、善悪の隔たりを当然のことのように考えています。
	そして、それは良いことであると考えているのです。
	残念ながら、善悪の隔たりによって、あなたは学びを失います。
	多くの人は、自分にとっての善から学ぼうと考えるからです。
	多くの人は、自分にとっての悪から学ぼうとはしません。
	それは、正義感というものの本質が利己主義であるからです。
	利己主義者は、正義感を振りかざします。
	それは、正義感というものが敵を生み出す思想であるからです。
	正義感によって、あなたは誰かや何かを敵として認め、それと争うことになります。
	善悪の隔たりによって、人は敵でも味方でもないものを敵としてしまうのです。
	この世界には、敵も味方も存在しません。
	目の前に存在するのは学びだけです。
	この世界は、善悪によって隔てられるような低水準な場所ではありません。
	あなたの利己的な考えによって計り知ることができる程、浅い世界ではないのです。
	善を好んでいる時には、悪を学ぶことはできません。
	それは、悪と決め付けているものを否定しているからです。
	否定からは学びを得ることはできないのです。
	善悪によって隔たりを作るのであれば、成長することはできないということを理解しましょう。
	多くの人は、自分に近しいものから学ぼうとします。
	自分に遠いものからは学ぼうとはしないのです。
	それは、心地が悪いからです。
	例えば、気が置けない人に対しては、学ぶ姿勢を見せます。
	しかしながら、気が置ける人に対しては、否定の姿勢を見せるのです。
	それは、学びの偏りを意味します。
	好きなことしか学ぶことができなければ、嫌いなことに対しては無知が生じるのです。
	それでは、何も説明することはできません。
	学びが偏っていれば、本質を得ることができないのです。
	あなたは、自分が生まれた目的を考えなければなりません。
	あなたは偏るために生まれたのではありません。
	隔たりなく学び、本質を見極めるために生まれたのです。
	成長は、本質に触れることによって実現します。
	本質に触れることがなければ、成長することはできないのです。
	あなたは、隔たりなく学びましょう。
	善と共に過ごす時間が多ければ、悪と過ごす時間を設けましょう。
	好きなことばかりをやっているのであれば、嫌なことをやりましょう。
	気が置ける人達との時間を過ごしているのであれば、気が置けない人達との時間も過ごしてみましょう。
	そうすれば、あなたは多くの学びを得ることができます。
	学びというものは、満遍(まんべん)なく得るものなのです。
	
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