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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年5月31日木曜日

人生を始めた理由

あなたは、何のために生まれたのでしょう?
あなたが人生を始めたのには、理由があるのです。
この世界では、理由もなく何かを始めることは出来ません。
それは、因果の仕組みが存在しているからです。
すべての結果には、それに相応しい原因が存在しています。
そして、すべての原因は、それに相応しい結果を導くために存在しているのです。
原因は結果を欲し、結果は原因を欲しています。
原因が結果を導くこともあれば、結果が原因を導くこともあるのです。
あなたが人生を始めたのには、重要な理由があるのです。
それは、人生の原因であり、結果でもあるのです。
あなたは人生を始めた理由のための原因と結果を所有するのです。
すべては、人生を始めた理由のためなのです。
しかし、残念ながら、多くの人が人生を始めた理由を忘れています。
そのために、目の前に導かれる状況に対して苦悩しているのです。
多くの人は、目の前に導かれる状況を理解することが出来ません。
多くの人は、目の前に導かれる状況を否定的に考えているのです。
そのため、多くの人は、心に不満や不安を抱えることになるのです。
目の前に導かれる状況を理解することが出来れば、心に不満や不安を抱え、人生に苦悩することもないのです。
あなたは、目の前に導かれる状況を理解するように努めなければなりません。
しかしながら、どのように努めても、誤解や偏見に縛られているあなたには、目の前の状況を理解することは簡単ではありません。
目の前に導かれる状況を理解することが出来ないのが"普通"なのです。
そのため、あなたは、目の前の状況を理解することを目指す必要はありません。
あなたが目指すべきは、それがどのような状況であれ、それが最善であることを受け入れるということを目指すべきなのです。
人は、自分に出来ることしか出来ません。
人は、段階を必要としているのです。
あなたは、目の前の状況がどのようなものであれ、それが今の自分にとっての最善であると受け入れましょう。
理由など、今のあなたには理解することが出来るはずもありません。
理由を理解しなくても良いのです。
ただ、最善だと思い、目の前の状況を受け入れて学ぶことが必要なのです。
残念ながら、あなたは人生の理由を忘れています。
しかしながら、人生はあなたが人生を始めた理由を覚えているのです。
そのため、人生はあなたに最善を導くのです。
あなたが求める人生を実現するために、人生は働き掛けているのです。
しかしながら、あなたは自分が求める真の人生を忘れています。
多くの人は、私利私欲や生活の患(わずら)いに心を奪われ、真の人生の目的や理由を忘れているのです。
あなたは、人は自らの抱える弱さを克服するために生まれたということを知らなければなりません。
あなたは、私利私欲に根差した生活や、様々な生活の患いのために生まれたのではないのです。
あなたは、人生において、自らの抱える弱さを克服しなければなりません。
自らの抱える弱さを克服するためには、苦しみと向き合い、それを乗り越える必要があります。
そのため、あなたは苦しみを避けることは出来ません。
どのような方法を用いても、苦しみは必ず襲うのです。
苦しみは避けられません。
例外は認められていません。
あなたは必ず苦しみます。
それは、自らの抱える弱さと対峙(たいじ)しなければならないからです。
あなたが人生を始めた理由は、自らの抱える弱さを克服することです。
あなたは苦しみと向き合いましょう。
苦しみを受け入れるのです。
苦しみを否定することも出来ます。
苦しみから逃れることも出来るのです。
しかしながら、それをいつまでも続けることは許されません。
苦しみを否定し、逃れる程に、状況は厳しくなってしまいます。
それは、更に弱さを重ねたからです。
あなたは、人生を始めた理由を考えなければなりません。
人生を本質的に考えましょう。
目の前の状況が、今のあなたにとっての最善であることを理解しましょう。
苦しみが自らの抱える弱さを克服するために必要不可欠な学びであることを理解しなければなりません。

2018年5月30日水曜日

自分の目的と人生の目的

人生の目的は成長することです。
あなたは、成長を目的としなければなりません。
成長を実現することが出来れば成功です。
成長を実現することが出来なければ、どのような結果を得ても成功ではないのです。
何かを失ったとしても、成長していれば成功です。
多くの人は、人生を誤解しています。
多くを得ることが成功であると思い込んでいるのです。
そのため、欲求は尽きません。
その結果、多くの人は欲望に溺れてしまうのです。
それは、成長するという目的を見失っているからです。
成長することが出来れば、それで良いのです。
成長しなければならないということを覚えておきましょう。
何を得ようが、失おうが、それを気にしてはなりません。
何かを得ることや失うことは目的ではないからです。
成長のために得ることや、成長のために失うことが最善なのです。
人は、何かを得ることや、何かを失うことによって成長を実現することが出来ます。
それは、人生によって、成長のための最適化が成されているからです。
現状に停滞しているのであれば、成長を実現することは出来ません。
何かを得ることや、何かを失うことは、現状に対して大きな変化をもたらします。
多くの人はそれを嫌い、恐れるのです。
そのために、現状維持という選択をするのです。
多くの人は、現状維持を好みます。
そのため、成長という目的よりも、何を得たか?何を失ったか?ということを優先するようになるのです。
成長とは、本質的な変化です。
何を得て、何を失うかは、表面的な変化に過ぎないのです。
得ることや失うことを目的としたところで、本質的な変化は実現しません。
本質的な変化が実現しなければ、人生は変わらないのです。
人生が変わらないということは、それ以上には豊かにはならないということなのです。
すべての人は、豊かさを求めています。
しかしながら、一方では停滞を求めているのです。
その矛盾が、葛藤(かっとう)を生み、苦悩を導くのです。
大切なのは、人生の目的を見極めることです。
人生の目的は、自分の目的とは異なるのです。
多くの人は、人生の目的に従わずに、自分の目的に従います。
それは、自らの抱える矛盾に従うことなのです。
矛盾とは、停滞です。
停滞は、乏しさであることを理解しなければならないのです。
人生の目的には矛盾はありません。
それは、人生の目的が成長することだけだからです。
人生に従えば、人生は展開します。
それは、成長するという道を進めば良いことが分かっているからです。
成長するためには、何かを得て、何かを失わなければなりません。
その繰り返しが歩みとなるのです。
何かを得て、何かを失うということは、現状を改めるということです。
それは、より良くなるための改善です。
物事は、改める程向上するのです。
それは、例えば、失敗を繰り返すことによって改良がなされるということなのです。
失敗がなければ、改良もありません。
改良がなければ、成功はないのです。
多くの人は、既知(きち)に執着し、停滞を許します。
それでは、いつまで経っても人生に真の満足を得ることは出来ません。
何かを得たり、失ったりするだけの人生は空しいのです。
成長を実現するために、あなたは未知へ挑戦しなければなりません。
知らないことを知るのは良いことです。
それは、知らないことを知ることによって、成長を実現することが出来るからです。
自分の目的と、人生の目的を混同してはなりません。
欲望に溺れてはなりません。
何かを得ることや失うことを気にしてはなりません。
それによって、成長することが出来るかどうかだけを気にしていましょう。



2018年5月29日火曜日

飲料

豊かさとは、必要が満たされることです。
あなたは、人生に豊かさを実現しなければなりません。
それは、あなたがそう望んでいるからです。
あなたは、豊かな人生を必要としているのです。
それは、それが人生の目的であるからです。
人生の目的は、豊かに生きることであり、豊かに死ぬことです。
人は、人生を豊かなものにしなければならないのです。
しかしながら、多くの人は人生を乏しく生きています。
多くの人は、必要が満たされることなく生きているのです。
多くの人は、不満の中に生きています。
それが、”普通”なのです。
しかしながら、世の中の”普通”というものは、自然ではありません。
世の中の”普通”というものは、不自然であるということを理解しなければならないのです。
多くの人は、不自然を重要視しているのです。
多くの人は、不自然に気が付きません。
多くの人は、不自然を受け入れているのです。
大切なのは、自然を受け入れることです。
不自然を受け入れてはなりません。
それは、不自然というものが、乏しさであるからです。
人は、海水を飲むことが出来ません。
海水を飲めば、胸が焼けてしまいます。
海水によって、人は乏しい生と死を招き入れることになるのです。
海水は、この世界において最も大量の水です。
それは、手に入れ易い水なのです。
しかし、それは飲料としては不向きです。
人が海水を飲むのは不自然です。
あなたには、このことを理解することが出来るでしょう。
しかしながら、不満の中に生きているという不自然には気が付きません。
大切なのは、自分が飲んでいる水がどのようなものであるのかを知ることです。
自分が認識している”普通”というものが、自然であるか、不自然であるかを見極める必要があるのです。
海水は、自然を循環することで飲み水となります。
海水は、大気や森や土を経由することによって、飲み水となるのです。
それは、あなたの胸を潤(うるお)します。
飲み水によって、人は豊かな生と死を招き入れることが出来るのです。
あなたは、海水を直接飲んではなりません。
それは、大気や森や土を通して、間接的に飲むようにしなければならないということなのです。
水とは、豊かさのことであり、豊かさとは利益のことです。
多くの人は、直接的に利益を求めます。
それは、海水をそのまま飲むようなものなのです。
多くの人は、利己的に生きているのです。
海水をそのまま飲むことは毒です。
それと同じように、利益を貪(むさぼ)るのは毒なのです。
大切なのは、直接的に利益を求めないことです。
間接的に利益を求めましょう。
多くの人は、自分の利益を求めます。
しかしながら、あなたは相手の利益を求めましょう。
相手の利益のために自分を提供するのです。
そうすれば、相手はあなたのために自分を提供するでしょう。
相手の利益はあなたが与えなければなりません。
そして、あなたの利益は相手が与えてくれるのを待つのです。
”悪銭身につかず”という言葉があるのです。
自分の利益を追い求めているのであれば、いつかは悪事を働いてしまうのです。
それは、海水を飲むようなことなのです。
喉(のど)が渇いていたとしても、目の前の海水を飲んではなりません。
大気や森や土が与えてくれる水を待ちましょう。
あなたの利益は、相手が提供してくれます。
相手が提供してくれないのであれば、あなたの働きが足りないのです。
不貞腐(ふてくさ)れずにいましょう。
相手が利益を提供してくれるまで、相手の利益を提供し続けましょう。
焦りは禁物です。
人生は、長い目で見ましょう。

2018年5月28日月曜日

最大の挑戦

すべての人は、役割を以(もっ)て生まれました。
すべての人は、自らの役割を果たさなければなりません。
あなたには、あなたの役割が与えられています。
あなたは、それを果たす必要があるのです。
しかしながら、役割を果たすことは誰にとっても容易なことではありません。
なぜなら、人は自らの役割を忘れてしまっているからです。
人は、自分が何のために生まれたのか?ということを知らずに生きているのです。
あなたは、自分が何のために生まれたのか?を知っていますか?
残念ながら、あなたはその問いに答えることが出来ないでしょう。
人は、自らの役割を見失った状態を生きているのです。
それは、人生を乏しくさせる道のりです。
多くの人が、空しさを抱えながら生きています。
誰もが、心のどこかに空しさを抱いているのです。
それは、自らの役割を見失っているからなのです。
人生を豊かなものにするためには、自らの役割を思い出す必要があります。
そして、それを果たさなければならないのです。
自らの役割を果たすことなく、人生に豊かさを実現することは出来ません。
人生を豊かなものにするためには、自らの役割を果たさなければならないのです。
何よりも、自らの役割を思い出すことが先決です。
あなたは、自らの役割を思い出さなければなりません。
自らの役割を知っているのは、自分以外には存在しません。
そのため、あなたは誰かや何かに頼って、自らの役割を教えてもらうことは出来ません。
あなたは自分自身に対して、自らの役割を問わなければならないのです。
自分自身に意識を傾けることが重要なのです。
多くの人は、誰かや何かを気にしています。
残念ながら、誰かや何かを気にしても、自らの役割を理解することは出来ません。
残念ながら、あなたの役割は、あなたにしか分からないものなのです。
あなたは、自分自身を大切にしましょう。
そうすれば、あなたは自分を知ることが出来るでしょう。
あなたが自分であることによってのみ、自らの役割を果たすことが出来ます。
あなたが自分でなければ、自らの役割を果たすことは出来ないのです。
大切にすることによって、あなたは自分を知ることが出来るでしょう。
大切にしなければ、あなたは自分を知ることは出来ないのです。
人生において、自分を知ることは重要です。
あなたは、自分を知らなければなりません。
そのためには、自分を知っている存在を手本としなければなりません。
例えば、それは杉の木です。
杉の木は、真っ直ぐに成長します。
傾斜(けいしゃ)に生まれた杉は、曲がりながら成長します。
傾斜に生まれることによって、根元は大きく歪んでしまうでしょう。
しかしながら、杉は自分を知っています。
傾斜に生まれた杉も、自らの役割に従って真っ直ぐに成長します。
根元は曲がっていたとしても、真っ直ぐに育つのです。
それは、杉が自分を忘れてはいないからです。
人もこのようでなければなりません。
多くの人は、自らの役割を見失い、歪んでしまいます。
それは、傾斜に生まれた杉のように、自分を歪めるのです。
多くの人は、自分を歪めているのです。
人生には、思い通りにならないことがあります。
それは、人の心を歪めます。
歪んだ心によっては、人は自らの役割を思い出すことが出来ないのです。
紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、人は自らの役割を思い出します。
根元の歪んだ杉が、その幹や枝を真っ直ぐに伸ばすのです。
杉に出来ることは、あなたにも出来ることです。
悔い改める必要があるでしょう。
過去や現状がどのような状態であっても構いません。
大切なのは、”今”を自分らしく生きることなのです。
自分らしく生きることが出来れば、あなたは人生を豊かなものにすることが出来るでしょう。
どのような現状からであっても、成長することが重要なのです。
成功することは然程(さほど)役には立ちません。
なぜなら、成功することだけでは、成長しないからです。
成功も失敗も含(ふく)めて成長なのです。
成功も失敗も経験する必要があるのです。
杉は、曲がっても杉です。
あなたは、どのような状況が導かれようとも、そこで自分でなければならないのです。
自分を知り、自分らしく生きてみましょう。
それは、容易なことではありませんが、不可能ではないのです。
自分らしく生きることは、人生における最大の挑戦なのです。
その挑戦から逃げてはなりません。

2018年5月27日日曜日

弱さも役に立つ

あなたは、目的を果たさなければなりません。
それは、あなたが果たすべき目的なのです。
他の誰かの果たすべき目的ではありません。
あなたには、あなただけが果たすべき目的があるのです。
目的を果たすのは、あなたの仕事です。
目的を果たすためには、それを果たすに相応しい自分を実現しなければなりません。
そのためには、成長する必要があるのです。
成長することがなければ、目的を果たすこともありません。
人生の目的は、容易に果たすことの出来るものではないのです。
なぜなら、成長を実現することが容易ではないからです。
成長を実現するためには、全方向性への成長が求められます。
一箇所を成長させたとしても、それは、成長ではないのです。
例えば、多くの人は、強くあることが成長であると考えます。
成長するために、強くあることを目指しているのです。
強さとは、限定された方向性です。
強さを強化することは、例えば、硬(かた)さを強化するようなものです。
それは、枯れ枝のようなものなのです。
ただ、硬くするだけであれば、それよりも強い力の前に折れてしまいます。
硬くするだけではならないのです。
強さを求める人は、弱さを嫌います。
弱さとは、柔らかさのようなものです。
多くの人は、柔らかさを弱さだと考えるのです。
それは、若枝(わかえだ)のようなものなのです。
ただ、柔らかくするだけであっては、簡単に折れてしまうのです。
強さを求める人は、それを嫌うのです。
大切なのはバランスです。
成長とは、全方向性の強化です。
強さと弱さの強化によって、成長は実現するのです。
力強く、しなやかな枝であれば、暴風にも耐えることが出来ます。
暴風に耐えるためには、強さと弱さが協力しなければならないのです。
多くの人は、全体性を見失っています。
多くの人は、全体の一部分に捕らわれているのです。
そのため、成長しようとして、強さにこだわるようになってしまうのです。
成長するためには、弱さが必要です。
弱さの協力がなければ、人は成長を実現することが出来ないのです。
あなたは、弱さも役に立つということを覚えておきましょう。
自分の弱さを拒絶してはなりません。
弱さを活用することで、成長を実現させるのです。
水は飲まれる程に弱い存在ですが、それを飲み干すことは出来ません。
水は生命に対して、従順に仕(つか)えていますが、水がなければ命を保つことは出来ないのです。
水は弱い存在ですが、それはとても強い存在でもあるのです。
暑い時には蒸発し、寒い時には凍ります。
水は環境に支配される弱い存在ですが、それがなければ自然は存続しません。
自然は、最も弱い水によって支えられているのです。
人は未熟な存在です。
それぞれに弱さを抱えています。
多くの人は弱さを否定します。
それは、強さを求め過ぎているためです。
大切なのは、弱さを認めることです。
弱さを認めることによって、人は環境に順応することが出来るのです。
しかしながら、弱さを認めず、強くあろうとすれば、自我を押し通すことになります。
それは、枯れ枝のように、やがては折られて投げ捨てられる結果に至るのです。
あなたは、強くある必要はありません。
あなたに必要なのは、成長することなのです。
弱さを認めることが出来れば、成長を実現することが可能です。
弱さも役に立つということを理解し、自分の弱さを認めましょう。
そうすれば、成長し、豊かに生きることが出来るでしょう。

2018年5月26日土曜日

仲間

人生の目的は成長することです。
すべての人は成長を実現しなければなりません。
成長とは、理解を深めることです。
理解が深まることによって、人は成長を実現することが出来ます。
しかしながら、理解を深めることは容易ではありません。
なぜなら、人はそれぞれに偏見(へんけん)を所有しているからです。
偏見とは、誤解の結果です。
誤解を積み重ねることによって、人は偏見を抱えることになるのです。
誤解とは、無知によって生じる自分勝手な見方のことです。
理解を深めることによって、人は誤解を改め、偏見を手放すことが出来るのです。
あなたが成長するためには、理解を深める必要があります。
理解を深めるためには、誤解を改め、偏見を手放すことの出来るような状況を選択する必要があるのです。
人生は、自分自身の選択です。
自分自身の選択によって、人生は形を決めるのです。
豊かさも乏しさも、自分で決めることが出来るのです。
理解を深め、豊かな人生を生きても良いですし、誤解と偏見を抱え、乏しく生きても良いのです。
あなたは、自分で選ぶことが出来るのです。
好きに選択しましょう。
その代わり、選択は因果の仕組みに従って、それに相応しい人生を導くということは覚えておかなければならないでしょう。
大切なのは、誤解を改め、偏見を手放すことです。
そうすれば、人生は豊かさを導きます。
誤解を改め、偏見を手放すためには、広く学ぶ必要があるのです。
広く学ぶことがなければ、誤解を改め、偏見を手放すことは出来ません。
なぜなら、誤解と偏見を打ち砕く程の情報が与えられなければ、誤解を改め、偏見を手放すことは出来ないからです。
大切なのは、新たな情報を得ることです。
既知(きち)の情報に頼っているのであれば、誤解を改め、偏見を手放すことは出来ません。
あなたは、未知の情報によって、誤解を改め、偏見を手放しましょう。
多くの人は、変化を恐れています。
多くの人は、現状を維持することに安心するのです。
しかしながら、現状を維持するだけであれば、可能性は失われてしまうのです。
あなたには、未知の情報が必要です。
そのためには、未知の選択をしなければならないのです。
あなたは、今までにはない選択をしなければなりません。
例えば、仲間で固まっていてはならないのです。
多くの人は、自分の理解者と共に生きています。
それは、一見すると良いことのように思えます。
もちろん、仲良くするのは良いことです。
仲が悪いよりは、良い方が良いのです。
しかしながら、それでは進歩がないのです。
善悪は抜きにしても、あなたは仲間で固まってはなりません。
それは、誤解を正当化させるからです。
仲間は、あなたに同情し、同調します。
”傷”を癒すのであれば、それでも構いません。
しかしながら、あなたの目的は成長することです。
”傷”を癒すために生まれたのではないのです。
誤解を解かなければ、成長することは出来ません。
誤解を解くためには、未知の情報を所有し、違う価値観を持つ人と交流する必要があるのです。
仲間で集まれば、誤解を解くことも、偏見を手放すことも出来ません。
それは、仲間があなたへの賛同を止めないからです。
賛同されることによって、あなたは安心感を覚え、変わる必要がないと思い込んでしまいます。
それは、変化の無い、安定し、安心した状態なのです。
そのため、人は仲間と群れたがるのです。
仲間と群れることによって、人は誤解を改め、偏見を手放す機会を失ってしまいます。
居心地の良さによって、人は成長を諦めなければならないのです。
成長を実現するためには、異なる価値観を持つ人と交流しなければなりません。
異なる価値観を所有する人との交流によって、あなたは未知の情報を得ることが出来るのです。
未知の情報は、あなたの学びを広げます。
学びが広がれば、誤解を改め、偏見を手放すことが出来るでしょう。
それは、豊かさへの道です。
理解を深めましょう。
成長を実現するのです。
仲間は居心地の良い存在です。
しかしながら、居心地の良さに溺れ、人生の目的を見失ってはなりません。

2018年5月25日金曜日

大丈夫

すべての人は未熟に生まれました。
すべての人は、未熟を生きなければなりません。
すべての人は、未熟を生きることによって、大切なことを学ぶようになっているのです。
未熟を避けることは出来ません。
未熟であるが故(ゆえ)の学びも避けることは出来ないのです。
あなたは、多くの問題を抱え、多くの後悔を経験します。
その心は乱れ、大きく歪んでしまいます。
そして、自分のことが嫌いになってしまうのです。
自分のことが嫌いになった人間は、人生を恨(うら)むようになってしまうのです。
自分が不幸なのは、誰かや何かのせいだと思い込み、喜びと感謝の気持ちを忘れてしまいます。
心には怒りと不安が荒れ狂い、冷静さを覆い隠してしまうのです。
そのような状態では、幸福を得ることは出来ません。
不幸を感じている者は、より不幸を増します。
それは、仕方のないことなのです。
あなたが求めているのは、不幸ではありません。
あなたが求めているのは、幸福であるはずなのです。
幸福を得るためには、心を冷静に保たなければなりません。
心を冷静に保ち、喜びと感謝の気持ちを見失うことなくいなければならないのです。
そして、目の前の問題に対して、学ぶ姿勢を忘れることなく、成長を実現するように努めなければならないのです。
しかしながら、多くの人は目の前の問題に対して、学ぶ姿勢を見失ってしまいます。
それは、目の前の問題に苦しんでしまうからです。
人は、冷静さを失うことによって苦しみます。
冷静さを失うことによって、学ぶ姿勢を見失ってしまうのです。
人生におけるすべての状況には、学ぶ価値があります。
あなたは、人生を学ぶべきなのです。
それは、あなたを成長させるのに最善だからです。
目の前の問題も、あなたを成長させるための最善です。
目の前の問題には、学ぶ価値があるのです。
多くの人は、そのことを見失っています。
現状がどのようなものであったとしても、それはあなたを成長させるための学びに違いないのです。
多くの人は、学ぶ姿勢を見失っています。
そのため、目の前の状況が自分には厳しいと感じれば、そこから学ぶことを忘れてしまうのです。
多くの人は、厳しい現状に対して、手段に困っているのです。
学ぶことをしなければ、あなたが成長することは出来ません。
多くの人は、自分にとっての厳しい現状を否定するために、成長することが出来ず、成長することが出来ずに苦しむのです。
現状がどのようなものであれ、あなたはそこから学び、成長することが出来ます。
それは、どのような現状であろうとも、それはあなたに相応しい学びであるからです。
あなたの目の前には、常に最善と必要が導かれているのです。
現状がどのようなものであろうとも、心配する必要はありません。
それがどのような現状であろうとも、あなたの成長のために導かれた最善と必要だからです。
どのような現状を前にしても大丈夫です。
あなたは、そこから必ず学ぶことが出来るのです。
未来のことを思い悩む必要はありません。
未来がどうなるかは、誰にも分からないことなのです。
分からないことを思い悩んではなりません。
大切なのは、現状から学ぶことです。
あなたは、人生を豊かなものにするために現状から学ぶのです。
思い悩むためではありません。
人生がどうなろうとも構わないのです。
人生がどうなろうとも、あなたはそこから学ぶことが出来るのです。
未熟も学びも避けることは出来ません。
それ等を避けられないということは、成長と幸福も避けることが出来ないということなのです。
残念ながら、人生を思い通りに展開させることは出来ません。
しかし、人生を豊かにすることは出来るのです。
安易に逆らわないことです。
あなたは、安易に心を歪めてはなりません。
どのような現状にも、大切な学びが存在しています。
そのことを覚えておきましょう。
現状がどのようなものでも大丈夫です。
安心して学びましょう。



2018年5月24日木曜日

反対者

すべての人は幸福を望みます。
すべての人は、幸福を目指さなければなりません。
あなたは、幸福を求めなければなりません。
しかしながら、多くの人は幸福の本質を知りません。
本質を知らないままに、幸福を求めているのです。
本質を知らなければ、真の幸福を手にすることは出来ません。
多くの人は、幸福の本質を知らないために、偽りの幸福を手にすることになるのです。
多くの人が手にするのは、偽りの幸福です。
もちろん、それは幸福ではありません。
幸福に似た不幸なのです。
残念ながら、幸福と不幸を見分けることは簡単ではありません。
なぜなら、幸福も不幸も、同じような形をしているからです。
それは、桑の実が黒く熟しているように見えても、強烈な酸味によって口に苦いようなものです。
同じような形をしていたとしても、少しの差によって、それは幸福にもなり、不幸にもなるのです。
幸福だと思っているものは、不幸であるかも知れません。
不幸だと思っているものも、幸福であるかも知れないのです。
口にしてみなければ、それが何なのか分からないのです。
人は、失敗や苦しみによって、成功や喜びを知ることが出来ます。
幸福や不幸というものは、比較することによって認識が生まれるのです。
比較することがなければ、認識は生まれないのです。
本質を知るためには、比較しなければならないのです。
あなたは、幸福の本質を知りません。
あなたが幸福を得るためには、比較を経験しなければならないのです。
人生が思い通りに展開するのであれば、比較を体験することは出来ません。
そのため、人生は決して思い通りにならない仕組みになっているのです。
あなたは未熟です。
未熟者の思いが叶うことによっては、不幸を得るだけなのです。
未熟者は、どの実が熟れているのかを知りません。
そのため、初めは酸っぱい実と、甘い実の両方を食べなければならないのです。
その比較によってどの実が熟れているのかを知ることが出来るのです。
人生には、苦しみと喜びが同時に訪(おとず)れます。
それは、あなたに幸福の本質を得させるためです。
どのような場所にも、必ず問題が生じます。
問題の生じない場所は存在しません。
どのように注意深く、思慮深く振る舞ったとしても、必ず問題は生じるのです。
それは、この世界には、陰陽の仕組みが存在しているからです。
あなたは、陰陽の仕組みに逆らうことは出来ません。
どのような場所にも、陰と陽の二つの性質が存在しているのです。
例えば、どのような集団にも、必ず反対者が生じます。
それを避けることは出来ないのです。
反対者はいない方が物事は円滑(えんかつ)に展開します。
反対者のいない方が、人生は思い通りに展開するのです。
しかしながら、そのような訳にはいきません。
それは、あなたが幸福を得る必要があるからです。
あなたには、必ず反対者が現れます。
それは、あなたを悩ます問題となるでしょう。
しかしながら、苦しみを知ることによって、何が喜びであるのか?を知ることが出来るのです。
反対者はいない方が理想ですが、それは偽りの幸福に過ぎません。
真の幸福を実現するためには、反対者の助力が必要不可欠なのです。
苦しみの助力によって、喜びを知ります。
幸福と不幸を簡単に見分けることは出来ません。
桑の実は、食べてみなければその味は分かりません。
それと同じように、幸福も不幸も、それを体験しなければ、その本質を理解することは出来ないのです。
すべての人は幸福を望みます。
しかしながら、幸福の本質は知りません。
そのために、あなたは様々なものを比較しなければなりません。
どの場所にも、必ず反対者が生じるということを覚えておきましょう。
そして、反対者の意見を蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
それは、大切な比較だからです。
反対者によって、あなたは豊かさを得るでしょう。
安易に嫌ってはなりません。

2018年5月23日水曜日

生きることの先

人生は、何のために存在しているのでしょうか?
あなたは、人生について考えたことがありますか?
すべての人が、一度は人生について考えます。
しかしながら、多くの人はその問いを手放してしまうのです。
それは、考えることが難しいからです。
多くの人にとって、考えることは容易ではありません。
それは、多くの人が普段から考えてはいないからです。
多くの人は、従うことを選択します。
誰かや何かに命じられるままに動くのです。
それは、楽だからです。
命令に従って生きることは、何も考える必要がありません。
次の行動は、次の命令を待てば良いからです。
何も考える必要がなくても、次の命令が与えられます。
それは、とても楽な生き方なのです。
しかしながら、楽な生き方を選択したとしても、人生が豊かになることはありません。
残念ながら、楽な生き方を選択すれば、人生は乏しくなるのです。
命令に従う生き方は、人生の可能性を損なってしまうのです。
多くの人はそのことを知らずに生きているのです。
人生の理由を知るためには、人生の可能性を広げる必要があります。
人生の可能性が乏しい状態では、人生の理由を知るための余裕はありません。
人生の可能性が乏しい状態では、人は生きることに集中してしまうのです。
残念ながら、生きることは人生の理由ではありません。
なぜなら、生きることは当たり前のことだからです。
人生の理由は、生きることの先に存在しているものなのです。
そのため、人生の可能性が乏しい状態では、人は生きることの先を考えることは出来ません。
人生の可能性が乏しい状態では、その日を生きるのに精一杯なのです。
そのような状態では、人生の理由を知ることは出来ません。
生きることは、決して難しいことではありません。
なぜなら、あなたは既に生きているからです。
大切なのは、既に生きているのに、生きようとしないことです。
生きる先を考える必要があるのです。
しかしながら、考えることは難しく、多くの人が挫折(ざせつ)します。
人生が豊かであるのも、乏しくあるのも、それは、あなたの責任です。
誰かや何かによって、あなたの人生の状態が決められている訳ではありません。
すべては内から生じるのです。
人生という結果は、あなたという原因から生じているのです。
多くの人が、すべては内から生じたことを忘れています。
そのため、人生を誰かや何かに委(ゆだ)ねるのです。
命令に従うのも、誰かや何かに責任転嫁(せきにんてんか)するのも、人生を自分以外の存在に委ねていることなのです。
多くの人は考えることが嫌いです。
そのため、内から生じた人生の原因を外に探すのです。
大切なのは、内を考えることです。
考えるということは、内省(ないせい)するということです。
あなたは、内を考えなければなりません。
内を考えれば、人生の理由も見えてくるでしょう。
しかしながら、外を探すのであれば、決して人生の理由は見付けられないのです。
あなたは、人生の理由を考えなければなりません。
それは、人生について内省するということなのです。
あなたは、何のために生まれたのでしょう?
あなたは、考えなければなりません。
既に生きているのに、生きることを考えてはなりません。
生きることの先に、どう生きるか?を考えましょう。

2018年5月22日火曜日

地上の財

人には、それぞれの道が存在します。
人は、自らの道を歩まなければなりません。
道は、目的地へと続いています。
自分の道を歩むことによって、自分の目的地へと辿り着くことが出来るのです。
あなたが歩まなければならないのは、自分の道です。
そして、辿り着かなければならないのは、自分の目的地なのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
残念ながら、多くの人は道を見失っています。
多くの人は、自分の目的地を知らないのです。
目的地を知らず、道を見失ったままで歩んでいます。
それは、荒れ野を当てもなく歩き回るようなものなのです。
そのような生き方であれば、人生の充足を得ることは出来ません。
偽りの満足で自分を騙(だま)し続けることにも限界があるのです。
自分の道を歩むことなく、自分の目的地へと辿り着くこともなければ、人生は空しいものとなってしまうのです。
多くの人が、空しい人生を生きています。
認めたくはないでしょうが、多くの人の人生は空しいのです。
何を得ようとも、自分の道を歩み、自分の目的地へと辿り着くことがなければ、人生は決して豊かなものにはならないのです。
大切なのは、自分の道を知ることです。
あなたが自分の道を知るためには、自分の道を探さなければなりません。
自分の道を探すためには、自分の純粋な心に問い掛ける以外には方法がありません。
あなたの道は、純粋な心が知っているのです。
誰かに聞いても無駄です。
誰も、あなたの道を知りません。
そして、あなたの目的地は尚更(なおさら)のことです。
あなたは、自分で自らの純粋な心に問い掛ける必要があるのです。
しかしながら、多くの人は自分の純粋な心に問い掛けることが出来ません。
多くの人は、自分の純粋な心がどこに存在しているかを知らないのです。
それは、心を多くの雑念が塞いでいるからです。
しかしながら、多くの人は、自らの心が多くの雑念によって塞がれていることを知りません。
心が雑念によって塞がれ、乱れている状態を”普通”だと思い込んでいるのです。
多くの人の心は乱れています。
多くの人の心は、泥水のように濁(にご)り、底に沈む純粋な心を覆い隠しているのです。
多くの人は、純粋な心を知らずに生きています。
多くの人は、余計なことに気を取られているのです。
あなたが気にしなければならないのは、自分の道と、自分の目的地です。
それ以外のことを気にする必要はありません。
自分の道と自分の目的地以外のことは、取るに足らないことなのです。
多くの人は、地上の財に心を奪われています。
それは、肉体、絆、時間、環境、他者、仕事、財産・・・
様々な地上の財に執着しているのです。
地上の財に執着すれば、それ以上の財を成すことは出来ません。
本当に価値のある財とは、地上の財ではありません。
それは、見ることも触れることも出来ない財であるのです。
それは、あなたの道と目的地のことなのです。
地上の財に心を奪われてしまえば、それが心を塞ぎます。
多くの人は、空しい人生を生きています。
それは、地上の財に執着しているからに他なりません。
本当に価値のあるものは、他にあるということを理解し、地上の財に執着する気持ちを手放しましょう。
あなたは、地上の財を集めるために生まれたのではありません。
そのように小さな目的のためにわざわざ生まれたのではないのです。
地上の財は、自分の道を歩み、自分の目的地へと辿り着くための道具に過ぎません。
道具が目的であるはずがありません。
道具とは、目的を果たすための助力に過ぎないのです。
しかしながら、多くの人は道具を目的だと思い込んでいるのです。
道具を使って道を歩み、目的地へと辿り着くことが求められているのです。
地上の財は、道具に過ぎません。
道具に執着してはなりません。
道具は、使うことで価値を生むのです。
自分の道を進むために道具を使いましょう。
目的地へと辿り着くために、道具は使わなければなりません。
それは、地上の財を手放すということなのです。
地上の財のために生きてはなりません。
それは、道具に過ぎません。

2018年5月21日月曜日

小石

すべての人生には目的が存在しています。
人は、それぞれの人生の目的を果たすために生まれたのです。
しかしながら、それぞれが果たさなければならない目的を果たすことが出来る保証はありません。
誰にも、果たさなければならない目的を果たすことの出来る確証は無いのです。
すべての人は未熟に生まれました。
誰もが無知であり、未熟なのです。
それが普通です。
人が未熟に生まれるのは、非効率的に思うかも知れません。
しかしながら、人が自らの目的を果たすためには、未熟に生まれることが最も効率的なのです。
なぜなら、人生の目的を果たすためには、それ相応の覚悟と資格が求められるからです。
残念ながら、誰にとっても、人生の目的を果たすことは簡単ではありません。
誰にとっても、人生の目的を果たすことは難しいのです。
それが自然です。
なぜなら、誰も自分の人生の目的を知らないからです。
人は、人生の目的を以(もっ)て生まれますが、それを忘れてしまうのです。
あなたが人生の目的を果たすためには、それを思い出さなければならないのです。
あなたが人生の目的を忘れているのは、それを果たすためです。
もしも、初めから決められているということであれば、人は熱意を保つことが出来ません。
やらされているという意識には、力強さが無いのです。
大切なのは自発性です。
人は、自らやろうと思わなければ、熱意を保つことが出来ないのです。
熱意を保つことが出来なければ、決して人生の目的を果たすことは出来ないのです。
なぜなら、あなたの力に比べて、人生の目的は大きなものだからです。
思い付きで成し遂げることが出来るようなことではないのです。
それは、小石で山を築くようなことなのです。
人生の目的を果たすためには、人生を通じた努力が必要なのです。
生半可な気持ちでは、小石で山を築くことは出来ません。
一日一日を懸命に積み重ねなければならないのです。
あなたは、生涯を通じて、人生の目的を果たすために生きているということを知らなければなりません。
無駄に思えることも、決して無駄ではありません。
すべての経験は、あなたが人生の目的を果たすために必要なことなのです。
小石で山を築くためには、様々な形の小石が必要です。
形に偏りがあれば、積み上げた山は一定の力には耐えても、別の一定の力には崩れてしまうのです。
様々な形の小石によって築かれた山は、どのような力にも耐えることが出来るでしょう。
崩れる山を築くことが人生の目的ではありません。
どのような力にも屈することのない山を築くことが目的なのです。
そのためには、様々な形の小石を自発的に集めなければなりません。
そして、それを自発的に積み上げなければならないのです。
与えられた指示に従うだけでは、必ず偏(かたよ)ります。
そして、堅固(けんご)な山を築くことは出来ません。
人生の目的は、それぞれにしか分からないことです。
あなたの人生の目的は、あなたにしか分からないことなのです。
人生の目的を思い出すためには、自発的に小石を拾い集め、自発的にそれを積み重ねる必要があるのです。
あなたは、懸命に一日を学ばなければなりません。
それが人生を築きます。
どのような一日にも、深い理由があります。
あなたはそれに気が付かなければならないのです。
一日の中に学びを得れば、それをどのように積み重ねていけば良いのかを知ることが出来ます。
小石が無ければ、積み上げることは出来ないのです。
あなたは一日の中に学びを得ましょう。
学びを得るためには、学ぶ気持ちを保つことです。
それ以外には方法がありません。
学ぶ気持ちの無い者に、価値のある知識を与えても無駄です。
自発性の無い者は、すべての価値を破壊するのです。
小石を砂に変えてはなりません。
砂では、山を築くことは大変なのです。
あなたは、一日の中に学びを探し、その意味を考えなければなりません。
その繰り返しによって、あなたは人生の目的を知ることが出来るでしょう。
人生の目的を知れば、それを果たすことも出来るのです。
人生は楽しいことばかりではありません。
未熟なあなたには、苦しいことの方が多いかも知れません。
重たい石ほど大きいのです。
大きい石ほど、山は大きなものとなるでしょう。
人生の目的を果たすためには、大きく成長する必要があるということを覚えておきましょう。
それは、人生の目的を果たすことが難しいからです。

2018年5月20日日曜日

苦しみを忘れる

人生は、自由に選択することが許されています。
あなたは、自分の思うように選択することが出来るのです。
あなたは、人生を自分の思うように選択しましょう。
しかしながら、人生を自由に選択することは許されても、自分の好きなように生きることは出来ません。
なぜなら、選択には必ず責任が付いて回るからです。
責任とは、因果の報(むく)いです。
すべての人は、因果の報いを受けなければならないのです。
原因とは、自分自身の選択です。
結果とは、目の前に導かれる状況です。
あなたは、自らの選択によって、目の前に導かれる状況を選択しているのです。
しかしながら、自らの選択によって、目の前にどのような状況が導かれるかを知ることは出来ません。
残念ながら、人生は予想を裏切るのです。
あなたは、自らに最適な学びを得ます。
自らにとっての最善は、あなたには分からないことなのです。
それは、核心を突くためです。
人生は、あなたを成長させるための場所なのです。
すべては、あなたを成長させるために働くのです。
あなたを成長させる一番の近道は、本質を認識させることです。
本質を改めることによって、人は成長することが出来るのです。
しかしながら、核心を突くこともなく、本質を改めることもなければ、あなたが成長を実現することは出来ないのです。
人は弱い存在です。
その心は、常に安泰(あんたい)を求めます。
心は、危険が引き起こされないように努めます。
心にとっての危険とは、核心を突かれることです。
偽りによって懸命に覆い隠している本質が暴かれることを、心は危険と判断するのです。
それは、心の状態が不安定になるからです。
心は、不安定になることによって、危機を得ます。
それは、心にとっては悪いことなのです。
そのため、心は安泰を求めるのです。
一見すると、心が安泰なのは良いことのように思えます。
しかしながら、そこには弊害(へいがい)も存在しているのです。
それは、安泰によって苦しみを忘れてしまうことです。
苦しみを忘れることを喜ぶ人がいますが、苦しみを安易に喜ぶ訳にはいかないのです。
なぜなら、苦しみは、謙虚さを思い出させてくれるからです。
苦しみによって、人は謙虚でいられるのです。
安泰によって苦しみを忘れてしまえば、謙虚さを忘れてしまうことになります。
謙虚さを失えば、豊かさは破滅するのです。
人生を豊かなものにするためには、驕(おご)らず、自惚(うぬぼ)れないことです。
あなたが謙虚であれば、豊かさが破滅することはありません。
あなたが謙虚であるためには、苦しみが必要なのです。
人の心は、優秀には作られていません。
人の心には、必ず欠陥(けっかん)が存在しているのです。
それは、高ぶりかも知れませんし、傲慢(ごうまん)かも知れません。
そのため、多くの人は苦しみを嫌います。
苦しみを嫌い、気楽を選択するのです。
人生に気楽を選択することは、選択によって許されています。
しかしながら、人生を気楽に生きていると、いつの間にかに苦しみを忘れてしまいます。
そのため、人生を気楽に生きている者には、成長が乏しいのです。
人生を苦しみながらも生きている者には、成長が実現するということを覚えておかなければならないのです。
どのような人物も、目の前に導かれる状況からは逃れることができません。
それは、自らの選択した因果なのです。
あなたには、導かれる状況を経験するという報いが与えられるのです。
それがどのような報いであろうとも、あなたは懸命に学びましょう。
それが、あなたにとっての最善です。
気楽さによって苦しみを忘れてはなりません。
苦しみを忘れることによって謙虚さを忘れてはなりません。
誰も、豊かさを手放したくはないのです。
”海老で鯛を釣る”という言葉があります。
餌(えさ)である海老をいつまでも大切にしているのであれば、いつまでも鯛を釣り上げることは出来ません。
苦しみという海老を大切に扱い、豊かさという鯛を釣り上げましょう。
豊かさを得るのに、苦しみを忘れてはなりません。

2018年5月19日土曜日

必要が必要

あなたは、人生を歩まなければなりません。
人生を歩むというのは、成長するということです。
あなたは、意識の道を歩んでいます。
人生とは、心の旅路なのです。
意識を成長させることによって、あなたは歩みを進めることが出来ます。
意識こそが、あなたの本質であるのです。
意識が停滞すれば、人生も停滞します。
人生は、あなたの意識の状態に相応しく展開するのです。
大切なのは、意識の成長を図(はか)ることです。
欲望に従って、利益を追求してはなりません。
意識の状態を充実させることに努めるのです。
意識の状態が充実することによって、人生はそれに相応しく充実します。
人生を充実させるためには、意識の状態が充実していなければならないのです。
意識の状態が不安定であれば、人生もそれに相応しく不安定な状態であるでしょう。
意識の状態が乏しければ、人生も乏しいものであるのです。
怒りや不安を抱えている人が、人生に豊かさを感じるでしょうか?
状況がどのようなものであれ、心が充足しているのであれば、人生に豊かさを感じることが出来るのです。
人生の状態に、状況は関わりがないのです。
人生の状態に関わりがあるのは、あなたの意識の状態だけなのです。
人生を豊かなものにするのに、特別な方法は必要ありません。
特別な場所も、特別な相手も必要とはしないのです。
どのような状況においても、心を充足していることだけが必要なのです。
それ以外には何も必要ではありません。
あなたが豊かな人生を必要としているのであれば、意識の状態を気に掛けていましょう。
その心が充足するような選択を行わなければならないのです。
多くの人は、人生に乏しさを感じています。
多くの人は、苦悩を抱えながら生きているのです。
それは、安易に感情に従っているからです。
人は未熟です。
未熟者は、感情を制御することが出来ません。
未熟者は、感情を制御することが出来ずに従ってしまうのです。
自分よりも身体の小さな犬でさえ、あなたを転倒させる力を持つのです。
感情を侮(あなど)ってはなりません。
それは、簡単にあなたを転倒させる力を持つ存在なのです。
感情は犬のように、欲望に向かって突き進みます。
感情に従っているのであれば、あなたは道を誤ってしまうでしょう。
大切なのは、何によって人生を歩んでいるのか?を考えることです。
あなたは、自分の意思によって人生を歩まなければなりません。
感情に従って、欲望のままに生きてはならないのです。
自分の意思によって人生を歩むのであれば、外に特別な方法や特別な場所、特別な相手を探すことはありません。
自分の意思によって人生を歩むのであれば、自分の意識の中に必要な方法や場所や相手を探すようになるのです。
特別は必要ではありません。
あなたが求めなければならないのは、特別ではなく、必要だということを覚えておきましょう。
あなたに必要なのは、一歩を踏み出すことです。
目の前の必要を行うことが求められているのです。
目の前の必要を行うことが出来なければ、それ以上の展開はありません。
一歩を踏み出さない者には、二歩目は無いのです。
二歩目を歩み出さない者には、それ以上の歩みは無いのです。
一歩とは、学びであり、成長のことです。
人は、学びの段階を飛ばすことは出来ません。
人生は、一歩ずつ、一段ずつの積み重ねなのです。
特別は必要ではありません。
必要が必要だということを覚えておきましょう。

2018年5月18日金曜日

盲目

人生は、無駄に時間を過ごすために存在するのではありません。
あなたは、ただ生き長らえるために生まれたのではないのです。
欲望を貪(むさぼ)るために生まれたのでもありません。
誰かに、気に入られるために生まれたのでもないのです。
あなたが生まれたのは、目的を果たすためです。
あなたは、目的を果たすために人生を生きているのです。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
あなたには、あなただけの目的が存在しています。
それを果たさなければならないのです。
人生の目的には、小さなものから大きなものまであります。
そして、それは無数に存在しているのです。
しかしながら、あなたには、人生の目的を認識することが出来ません。
なぜなら、あなたの考える人生の目的とは、欲求の実現に過ぎないからです。
”これ”は、あなたの欲求を実現するための人生ではありません。
あなたの考える欲求よりも深く、大きな目的が存在しているのです。
その詳細を知ることは出来ませんが、そのようなものがあるということは知っておかなければならないのです。
残念ながら、多くの人は人生の目的を見失っています。
多くの人は、自分の考える欲求に従って生きるばかりなのです。
残念ながら、すべての人は未熟です。
未熟であるが故(ゆえ)に、自分の考える欲求が最善であると思い込むのです。
自分の考える欲求に従って生きることは、決して悪いことではありません。
なぜなら、自分の考える欲求を満たしていくことによって、それが人生の目的ではないことに気が付くからです。
残念ながら、自分の考える欲求を満たしていくことによって得られるのは空しさです。
それは、独りの食事が味気(あじけ)ないのと同じです。
自分のための贈り物は空しさに行き着きます。
しかしながら、誰かのための贈り物であれば、喜びは尽きないのです。
人生の目的は、自分自身の成長です。
それは、自分のための目的なのです。
しかしながら、人生の目的は、誰かのために働き掛けることによって果たすことが出来るのです。
自分のための目的ではありますが、それは誰かのためのものであるのです。
誰かの役に立つことによって、人生の目的は果たされます。
しかしながら、自分のためだけの働き掛けによって、自分の役にしか立とうとしないのであれば、人生の目的は果たされないのです。
自分の欲求を満たすだけでは、人生は乏しくなります。
独りで食事を済ませてはなりません。
その食事は、誰かと分け合うようにしなければならないのです。
あなたの知っている良いことは、誰かの役に立つかも知れません。
役に立つかは分かりませんが、それを分け合わなければならないのです。
そうすれば、それを聞いた人が更に分け合う誰かの役に立つこともあるかも知れないのです。
あなたが成長するためには、誰かの役に立つ必要があります。
例えば、どのように料理の腕を磨いても、誰かに振る舞わなければ成長したことにはならないのです。
自分の欲求を満たすことには価値がありません。
あなたは、誰かの役に立つように努めなければならないのです。
感覚は麻痺(まひ)してきます。
人は、自分の考える欲求を満たすことに幸せを感じるようになるのです。
それが味気ないということが分からなくなってしまうのです。
独りで得られる喜びは、誰かと得られる喜びよりも小さなものなのです。
誰かと得られる喜びは、独りで得られる喜びよりも大きいということを覚えておかなければなりません。
慣れは、人を盲目(もうもく)にさせてしまいます。
多くの人は、自分の欲求を満たすことが空しいということを忘れているのです。
自分の欲求を満たすことよりも、誰かの役に立つことの方が喜びは大きいのです。
人生を豊かなものにするためには、誰かの役に立とうとしなければなりません。
誰かの役に立とうと努めていれば、いつの間にかに人生の目的を果たしているものなのです。
あなたには、人生の目的を認識することが出来ません。
しかしながら、それを果たすことは出来るのです。
誰かの役に立つことによって、人生の目的を果たすことが出来ます。
それ以外の方法によっては、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
麻痺した感覚を放置して、盲目的に生きてはなりません。
無駄に時間を過ごしてはなりません。
誰かの役に立つための準備を始めましょう。

2018年5月17日木曜日

最悪は最善

人生は、思い通りには展開しません。
人生は、予想に反して展開します。
それは、人生の方があなたよりも最善を知っているからです。
人生には、常に最善が導かれています。
人生に、最悪が導かれることはありません。
"残念ながら"、導かれるすべての状況が最善であるのです。
しかしながら、あなたには、理解することが出来ません。
それは、あなたが未熟に生まれ、未熟を生きているからです。
未熟なあなたには、何が最善なのかを理解することが出来ないのです。
そのため、最善を最悪だと思い込みます。
そして、最悪を最善だと思い込んでしまうのです。
多くの人は、誤解を抱えています。
しかしながら、多くの人は、自分が誤解を抱えていることを知らず、寧(むし)ろ自分が正しいと思っているのです。
そのために、判断を誤ります。
判断を誤れば、人の心は苦しみを見出してしまうのです。
多くの人が人生に苦しんでいます。
それは、判断を誤っているからです。
判断を誤ることがなければ、人生に苦しみを見出すことはなく、どのような状況も学びとして前向きに受け入れることが出来るのです。
残念ながら、多くの人は、目の前の状況を学びとして前向きに受け入れることが出来ません。
多くの人は、その苦しみのために、目の前の状況を災難だと思い込んでしまうのです。
そこには、否定や拒絶が導かれるのです。
目の前の学びを否定したり、拒絶するのであれば、そこから得られる大切な気付きを得ることが出来ません。
学ばなければ、気付きを得ることは出来ないのです。
あなたが気付きを得ることは重要です。
それは、気付きを得ることによって、自分の成長を促(うなが)し、成長した自分によって人生を豊かなものにすることが出来るからです。
人生は、自分に相応しく展開します。
それは、あなたの思い通りの展開ではないのです。
あなたに相応しい展開は、あなたの考え付くようなものではありません。
なぜなら、あなたは自分を知らないからです。
誰も、自分の現状を理解してはいないのです。
そのため、人生に刃向かうことは得策ではありません。
人生に抗議したところで、あなたの最善には変わりがないのです。
あなたの最善は、人生が現状を通じて教えています。
あなたに求められているのは、人生が導いた最善を受け入れることなのです。
残念ながら、あなたには目の前の状況を最善だとは思えません。
他により良いものがあると思って探し回るでしょう。
しかしながら、どこを探しても、現状よりも優れた学びは存在してはいないのです。
それがどのように思える現状であったとしても、それを受け入れなければなりません。
最善を受け入れることが出来なければ、最善を学ぶことは出来ないのです。
あなたにとっての最善とは、あなたにとって決して楽なものではありません。
寧ろ、あなたにとっては苦しみであるのです。
多くの人は、そのことを理解することが出来ずに、暗中を模索(もさく)しているのです。
受け入れることで、最悪と思える現状は最善へと好転します。
その苦しみは、決して最悪などではありません。
あなたが未熟であるために、見誤っているだけなのです。
"雨降って地固まる"という言葉があるのです。
悪いと思えることは良く、良いと思えることは悪いということを覚えておきましょう。
あなたは、自分が未熟であることを知らなければなりません。
そして、それを忘れてはならないのです。
目の前の苦しみは、あなたの歩みの抵抗となるでしょう。
未熟な者は抵抗など無い方が良いと思うのです。
向かい風が吹かなければ、歩みは軽やかです。
しかしながら、向かい風によって足腰は鍛(きた)えられ、険しい道を歩んでいくことが出来るのです。
足腰の軟弱な者は、なだらかな道を歩んでいくことは出来ますが、道が険しくなれば、それ以上に歩みを進めることが出来ないのです。
苦しみとしての向かい風が、結果としてあなたの助けと成るのです。
多くの人が、道が険しく成ることを知りません。
成長する程に、道は険しく成るのが自然なのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
目の前の苦しみを苦しみと考えてはなりません。
直接的に判断してはなりません。
人生には"裏"があるということを知らなければなりません。
それは、深い意味があるということなのです。
安易に判断してはなりません。
無駄に思えることや、苦しくて投げ出したく成るように思えることも、そのままの意味で解釈してはなりません。
最善を最悪として、最悪を最善としましょう。
そうすれば、あなたが道を踏み違えることはないでしょう。

2018年5月16日水曜日

役に立つ道具

すべての人は、自分を学んでいます。
人は、人生において、自分を学んでいるのです。
人生におけるすべての経験は、自分を知るためのものです。
あなたはどこで、誰と、何をしていても、常に自分を学んでいるのです。
すべての経験は、自分を理解するためのものです。
あなたは常に、自分を見せられているのです。
あなたは常に、自分を通じて人生を経験しています。
自分を通じてのみ、人生を体験することが出来るのです。
自分を介(かい)することなく、人生を経験することは出来ません。
それは、人生には、自分しか存在していないからです。
自分以外の存在は、自分を学ばせるための幻想に過ぎません。
あなたは、その環境に自分を見ます。
その相手に自分を見ます。
その行為に自分を見るのです。
すべては自分です。
自分以外の存在も自分であるということなのです。
しかしながら、多くの人は、自分以外の存在が存在すると思い込んでいます。
すべては、自分を通じた存在です。
”それ”は、自分であるということを覚えておきましょう。
あなたは、誰かや何かを学んでいる訳ではありません。
あなたは、誰かや何かを通じて自分を学んでいるのです。
人生には、あなた以外には存在しません。
すべての存在から自分を学びましょう。
学ぶことによって、あなたは自分という存在を高めることが出来ます。
あなたは、学ぶことによって、自分という存在の本質に近付くのです。
それは、大きな原石から小さな宝石を削り出すようなものなのです。
原石とは、余計が付属した自分です。
それは、自分ではあっても、輝きを放ちません。
宝石とは、必要な自分です。
それは、本質的な自分であって、輝きを放ちます。
原石よりも、宝石の方が価値を見出されます。
原石よりも、宝石の方が役に立つことが出来るのです。
自分を学ぶということは、余計を削り落とすということなのです。
人は、多くの余計を抱えています。
それは、本質的ではない考え方や価値観や生き方などです。
本質的ではないというのは、自分らしくないということです。
自分らしいとは、分際に相応しいということです。
分際に相応しいとは、貢献(こうけん)するということなのです。
この世界においては、役に立つものに価値があります。
酸素は、酸素であるために価値があります。
水は、水であるために価値があるのです。
火は火であり、土は土であり、鉄は鉄であるために価値が認められています。
人は、自分であることによって価値が見出されるのです。
人が自分でなければ、残念ながら、何かの役に立つことが出来ません。
役に立つことがない者に価値を見出す人はいないのです。
どのような人物であろうとも、必ず役に立ちます。
そして、必ず価値があるのです。
しかしながら、役に立つ状態でなければなりません。
切れない鋏(はさみ)や長さの分からない定規(じょうぎ)、曲がった釘や書けない筆・・・
役に立たない道具には価値がないのです。
役に立たない道具は、投げ捨てられてしまうでしょう。
あなたは、自分を学ばなければなりません。
そして、自分を磨くのです。
役に立つ道具として、存在しなければなりません。
道具には、位(くらい)があります。
あなたは、自分に位があるということを知りましょう。
成長する程に、位は高まります。
それは、より役に立つ自分に成るということなのです。
あなたは人生から自分を学び、より良い存在と成りましょう。

2018年5月15日火曜日

新たな知恵

人生は、未知の旅路です。
あなたには、人生がどのように展開するか分かりません。
人生は、あなたには想定することが出来ないように展開するものなのです。
それは、人生の目的が成長することであるからです。
あなたが成長するためには、想定の範囲を超えた展開を体験する必要があります。
予期せぬ事態に向き合うからこそ、成長するための知恵を捻出(ねんしゅつ)することが出来るのです。
想定の範囲内の展開であれば、新たな知恵は必要ではありません。
想定の範囲内の展開であれば、今までのやり方で乗り越えて行くことが出来るのです。
それでは、成長する必要もないのです。
今までに無い知恵によって、人は成長するということを知らなければなりません。
しかしながら、多くの人は想定の範囲内を好みます。
多くの人は、想定の範囲を超えることを恐れるのです。
多くの人は変化を嫌います。
それは、新たな知恵を捻出する必要があるからです。
新たな知恵を捻出するのには、多くの労力と時間を必要とするのです。
それは、簡単なことではありません。
多くの人は楽を求めます。
楽を求めるために、難しいことを避けるのです。
多くの人は、自分にとっての難しいことを避け、自分にとっての簡単なことを選択するのです。
自分にとっての簡単なことを選択することが悪いという訳ではありません。
時には、自分にとっての簡単なことを選択する必要もあるのです。
しかしながら、人生の目的である成長を実現するためには、自分にとっての難しいことを経験することで捻出される新たな知恵が必要不可欠なのです。
新たな知恵無くして、成長を実現することは出来ません。
成長無くして、人生は豊かにはならないのです。
多くの人は、成長することがなくても、人生を豊かにすることが出来ると考えています。
例えば、環境や他者によって、人生が豊かになると思い込んでいるのです。
そのため、多くの人は、特別な環境や特別な他者を探し続けています。
特別な環境や特別な他者を探し続けることによって、自分を成長させることを忘れてしまうのです。
それは、特別な環境や特別な他者に頼ることによって、自分にとっての難しいことを避けることに繋がります。
それは、新たな知恵を捻出することを諦めているということでもあるのです。
残念ながら、特別な環境や特別な他者が、あなたの人生を豊かなものにすることはありません。
なぜなら、特別な環境や特別な他者というものは存在しなからです。
そして、環境や他者には、あなたの人生を豊かなものにする権限は与えられてはいないのです。
環境や他者は、あなたの願望を実現するための助けにはなっても、あなたの人生を豊かなものにする助けにはならないのです。
どのような環境であり、どのような他者であっても、あなたは人生を豊かなものにすることが出来るのです。
それは、そこから新たな知恵を捻出することで実現します。
大切なのは、環境や他者ではありません。
自分自身であるのです。
あなたは、自分自身を見詰めなければなりません。
自分自身を大切に扱うのです。
あなたは、自分自身を支えにする必要があるのです。
自分の足で立つのです。
そして、自分の足で歩むのです。
残念ながら、人生には正解がありません。
すべてが正解であり、すべてが不正解なのです。
そして、未来のことは分かりません。
未来は、想定の範囲内には納まらないのです。
そのため、未来のことを考えるのは無駄です。
あなたの思うようにはなりません。
思い描いた未来は実現しないのです。
大切なのは、一つ一つを乗り越えていくことです。
一歩一歩を進めていくしか方法はないのです。
豊かさは、地道な努力の結果です。
地道な努力を積み重ねることの出来ない者には、豊かさは実現しません。
自分の中で未来を様々に思い描き、目の前の現実から目を逸らしてはならないのです。
目の前の難しい現実と向き合わなければ、新たな知恵を捻出することは出来ないのです。
未来のことは分かりません。
焦って歩みを進めるのは得策とは言えません。
現状が難しくても悲観する必要はありません。
人は、難しいことを経験することで、新たな知恵を捻出するからです。

2018年5月14日月曜日

苦しみの共有

人生は、学びの場所です。
人は、学ばなければなりません。
人は、学びを通じて、初めて自分自身に気付き、それを改めることによって成長することが出来るのです。
成長するのは、人生を豊かなものにするためです。
人生は、自分に相応しく存在します。
どのような人生も、自分に相応しい形で存在するのです。
そのため、人生を豊かなものにするためには、それに相応しい自分であることが必要なのです。
多くの人は、分不相応な人生を望みます。
自分には、相応しくない高望みを持つのです。
高望みは悪いことではありませんが、分際を見極め、現状を知り、賢明な選択をすることの方が重要です。
残念ながら、人は望みよりも劣っています。
人は、自分で考えるよりも未熟な存在なのです。
未熟な存在であるが故(ゆえ)に学んでいます。
未熟な存在であるが故に、学びが必要なのです。
残念ながら、学びは優しくはありません。
それを楽しいとも思えないでしょう。
それは、あなたが未熟であり、それを優しいとも楽しいとも思うことが出来ないからです。
人は、未熟さから、学びを苦しいと感じます。
あなたは、学びが苦しいものだと理解しなければならないのです。
多くの人は、苦しみを嫌います。
それは、苦しみが学びであることを知らないからです。
多くの人は、優しさや楽しみを好み、それに追従(ついじゅう)するのです。
自分にとって優しく、楽しいことは、重要な学びではありません。
なぜなら、あなたは既にそれを”知っている”からです。
それを知っているために、優しく、楽しく感じるのです。
知らないものは優しくはありません。
それに、楽しくも感じないものなのです。
知らないものは難しく、また厳(きび)しくも感じるでしょう。
それは、苦しみとして認識されるのです。
重要なのは、未知を体験することです。
未知の体験には、多くの可能性が存在します。
しかしながら、既知(きち)の体験には、可能性を見出すことは出来ません。
そこには慣れが存在し、感動は薄れるのです。
苦しみには、慣れが存在しません。
慣れていないからこそ苦しいのです。
苦しみは、感動を教えてくれます。
苦しみの力によって、人は感動を理解することが出来るのです。
苦しみの助力によって、人は成長を実現します。
人は、苦しみを受けなければなりません。
残念ながら、人生が学びの場所であり、その目的が成長であるために、苦しみを避けることは出来ません。
あなたは必ず苦しみます。
しかしながら、独りで苦しむのではありません。
あなたは、独りで苦しむことは出来ないのです。
人は、苦しみを分け合わなければなりません。
残念ながら、あなたが独りで苦しむことは不可能です。
あなたは、誰かと苦しみを共有しなければならないのです。
苦しみとは学びです。
学びは、誰かとの間に生じるのです。
あなたが苦しむ時、それを分け合う他者も苦しみます。
立場が異なるように、苦しみの形は異なりますが、同じように苦しむのです。
独りで苦しんでいると思い込んではなりません。
誰もが苦しんでいるのです。
苦しみに対して気を落とさず、その本質が学びであり、成長の助力であることを覚えておきましょう。
抱えている苦しみは、独りのものではないということを忘れてはなりません。
苦しみを大切に扱い、その意図を汲(く)み取りましょう。
そうすれば、苦しみは今までのように、ただ苦しいものではなくなるのです。

2018年5月13日日曜日

補い合う存在

人生の目的は成長することです。
すべての人は成長しなければなりません。
成長することこそが喜びであり、豊かさなのです。
そのため、すべての人は無意識の内にも成長を欲してるのです。
人が喜びと豊かさを得るためには、成長する必要があるということを覚えておかなければなりません。
人生の喜びと豊かさには、成長が必要不可欠だということを覚えておきましょう。
成長するというのは、不足を補うということです。
不足を満たすことを成長というのです。
不足を抱えたままでは、成長は実現しません。
不足を満足させる必要があるということを知らなければなりません。
すべての人は未熟です。
すべての人は不足を抱えているのです。
すべての人は、それを満たす必要があるのです。
残念ながら、人は独りでは成長することが出来ません。
なぜなら、独りでは、何が不足しているのかを知ることすら出来ないからです。
不足は、他者によって教えてもらわなければなりません。
人は、主観に生きています。
誰も、自分を客観することが出来ません。
自分の不足は、他者との対峙によって初めて認識することが出来るものなのです。
人は自分が正しいと思い込んでいます。
それは、主観を生きているからです。
自分が正しいという思い込みを手放すためには、客観に生きる他者の助けが必要なのです。
あなたは、他者に助けられることによって成長を実現することが出来るのです。
それと同じように、他者の成長は、あなたの助けによって実現するのです。
人が成長を実現するためには、互いが助け合い、補(おぎな)い合う必要があるということなのです。
人は、互いに協力しなければなりません。
相手を助けなければ、自分が助けられることもありません。
相手の成長に協力しなければ、自分の成長に協力してくれることもないのです。
主観を生きることは、人の考えを利己的にしてしまいます。
人は、利己的なのが”普通”です。
しかしながら、”普通”では成長することは出来ないのです。
互いに助け合うためには、利他的でなければなりません。
利他的であるということは、”普通”ではないということなのです。
恐怖に従うのが”普通”です。
恐怖に従うことで、人は自分の利益を優先してしまうのです。
そのような状態では成長することは出来ません。
人が成長するためには、恐怖を乗り越えなければならないのです。
あなたが恐怖を乗り越えるためには、他者の協力が必要です。
他者は、あなたが恐怖を乗り越えるために存在しているのです。
また、他者が恐怖を乗り越えるために、あなたが存在しているのです。
独りでは、乗り越えることの出来ない恐怖であっても、他者と共にならば乗り越えることが出来ます。
独りでは、乗り越えることの出来ない恐怖であっても、あなたと共にならば乗り越えることが出来るのです。
人生において、他者の存在は重要です。
そして、他者にとって、あなたの存在は重要なのです。
あなたは他者に協力しなければなりません。
他者が恐怖を乗り越えるための手助けを行わなければならないのです。
相手のために協力しなければ、自分のために協力などしてはくれません。
なぜなら、人生は自発性を求められているからです。
成長したいという自発性があれば、相手のために協力することは苦にはならないはずなのです。
しかしながら、多くの人は助けを求めています。
困っている時には、誰かが手を差し伸べてくれると思い込んでいるのです。
残念ながら、そのように都合の良い話はありません。
自発性の欠けている者には、それ以上の展開は導かれないのです。
あなたは、相手を助けなければなりません。
自分の成長のために、相手を助けるのです。
そう考えれば、相手を助けることで損をすると考えなくて済みます。
実際には、相手を自発的に助けることは利益にしか繋がりません。
しかしながら、恐怖が損失を連想させるのです。
強い意志を以(もっ)ていなければならないのです。
相手を助けることは、自分を助けることになります。
それは、相手があなたを助けてくれるからです。
互いに補い合いましょう。
互いの存在を大切にしなければなりません。
人は、補い合う存在なのです。




2018年5月12日土曜日

結末

すべての人生には目的が存在しています。
すべての人は、目的を果たすために人生を築くのです。
あなたには、あなたの果たすべき目的があるのです。
あなたは、それを果たさなければなりません。
目的を果たすためには、目的を見出さなければなりません。
目的を知らずに、目的を果たすことは出来ません。
大切なのは、人生の目的を知ることなのです。
残念ながら、人は人生の目的を知りません。
あなたは、人生の目的を知っていますか?
あなたはそれを知らないでしょう。
人生の目的を見出すのは容易ではありません。
なぜなら、人生の目的を見出すためには、それに相応しい自分でなければならないからです。
人は、自分に相応しいものを得ます。
自分に相応しくないものを得ることは出来ません。
どのように努めても、相応しくなければ得ることは出来ないのです。
人生の目的を見出すことは重要です。
なぜなら、人生の目的を見出すことによって初めて、人生に豊かさが導かれるからです。
何事も、目的を知らずに豊かさを得ることは出来ません。
人生という旅路においては、目的を見出すことに価値があるのです。
そのため、あなたは目的を見出す必要があります。
目的を見出すためには、それに相応しい自分に成る必要があるのです。
あなたが目指すべきは、成長した自分です。
自分を磨き、人生の目的を見出すに相応しい状態へと高める必要があるのです。
人生を豊かに生きるためには、自分という存在を磨くことです。
それ以外の方法は必要ではありません。
人生を豊かなものにするためには、特別な場所も、特別な相手も、特別な所有物も、特別な時間も必要ではありません。
磨かれた自分が存在していれば、それだけで人生には豊かさが導かれるのです。
多くの人は、外に豊かさを求めています。
そのために、”奇跡”を待ち望んでいるのです。
例えば、宝くじの当選や遺産相続などによって多くの財産を得ることによって、人生には豊かさが導かれると考えています。
多くの人は、そのように考えているのです。
残念ながら、そのように考えている者が豊かさを得ることはありません。
なぜなら、”奇跡”などという幻想を信じているからです。
”奇跡”は起きません。
それは、すべてが因果の仕組みの中に存在している事象だからです。
すべての結果には、それに相応しい原因が存在しているのです。
原因に相応しい結果以外には、決して実現することはないのです。
一見すれば、相応しくないような状況を得る者がいます。
しかしながら、そのような者の結末は、やはり相応しいものなのです。
”奇跡”に思えるようなことはありますが、それは決して”奇跡”などではありません。
人生は、因果の仕組みを離れはしないのです。
結末は必ず相応しいということを覚えておきましょう。
そのため、物事が思惑通りに進んでいたとしても、それが自分に相応しいかどうか?ということを考えましょう。
結末は、必ず自分に相応しいものであるからです。
あなたは、自分に相応しい結末を得ます。
それを避けることは出来ません。
あなたは、因果の仕組みの中に存在しているのです。
因果の仕組みを支配することは出来ないのです。
すべての人は、因果の仕組みに支配されています。
そのため、決して思い上がってはなりません。
そして、悲観する必要もないのです。
自分に相応しい結末が必ず訪れます。
そのことを理解しておけば良いのです。
結末を知りたければ、自分を顧(かえり)みましょう。
そうすれば、受け取る結末を知ることが出来るでしょう。
因果を避けることは出来ません。
何も考えずに生きてはなりません。
結末は、自分に相応しいということを覚えておきましょう。

2018年5月11日金曜日

欲張らなければ自由である

人は、人生を豊かに生きなければなりません。
人生は、豊かに生きるべきものなのです。
人生を乏しく生きてはなりません。
不自由な生き方をしてはならないということなのです。
豊かさは、自由によって認識することが出来ます。
不自由によっては、乏しさが認識されるのです。
自由とは、人生における選択肢の自由のことです。
自由な生き方というのは、人生を自由に選択することが出来る状態のことを現しているのです。
あなたは、人生を自由に選択することが出来ているでしょうか?
残念ながら、多くの人は人生に不自由を感じています。
あなたは、人生に豊かさを感じることが出来るでしょうか?
多くの人は、豊かさよりも、乏しさを感じているのです。
多くの人は、不自由な生き方をしているのです。
それは、自分でそれを選んだからなのです。
人生は、自分で選択することが出来ます。
誰も、あなたの代わりに人生を選択することは出来ません。
あなたの人生は、あなたが自分自身で選択した結果なのです。
あなたは、人生を豊かにすることも出来るし、反対に乏しくすることも出来るのです。
現状というものは、自分の生き方の反映であるということを理解しなければならないのです。
あなたは、生き方を自分自身で選択しました。
自由に生きるのも、不自由に生きるのも、自分自身で選択した生き方なのです。
現状に対して不満を抱き、文句を吐くのは間違っています。
自分自身で選択した結果に過ぎない現状に、不満を抱き、文句を吐くことは愚(おろ)かな行為なのです。
あなたは、自分自身で選択しているということを忘れてはなりません。
どのような現状であれ、それは、自分自身の選択した結果です。
理不尽に思えることも、自分自身の選択の結果でしかないのです。
あなたには、他の結果を導く選択もあったのです。
しかしながら、あなたはその結果を導く選択をしたのです。
不可抗力(ふかこうりょく)による結果だと思えても、不可抗力が発生するように選択したのは自分自身なのです。
どのような言い分(ぶん)も空しさへと繋がります。
大切なのは、現実は変えられないという事実を受け入れることなのです。
一度導かれた現実を否定することは出来ません。
現実は変えられないのです。
変えられるものがあるとすれば、それは、自分自身の生き方なのです。
これまでのことは仕方ありませんが、これからのことなら新たに選択することが出来るのです。
これまでのことを悔(く)いていてはなりません。
これからのことを考えるのです。
あなたはこれからの人生を自由な生き方によって築けば良いのです。
自由な生き方をするためには、その心が自由でなければなりません。
心が自由であるということは、束縛(そくばく)されない状態ということなのです。
心が自由であるためには、欲から離れることなのです。
欲張る者は、その欲求に縛られています。
欲張る者は、その欲求を満たす必要に迫られるのです。
それは、不自由な状態なのです。
欲張らなければ自由です。
欲張らなければ自由でいられるのです。
欲張らない者の心は、何にも縛られません。
それは、自由な生き方の基本であるのです。
あなたが自由を必要とするのであれば、必要以上を求めてはなりません。
必要以上に求めることは、人生を乏しくさせるのです。
必要の範囲内で満足し、感謝することが重要なのです。
欲には果(は)てしが無いのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
人は、克己(こっき)しなければ、欲に溺れてしまいます。
人が弱い存在であることを忘れてはなりません。
必要以上に求めてはなりません。
導かれたものを受け入れ、感謝しましょう。
そして、新たに選択しましょう。
人生は、自由に、豊かに生きるべきものなのです。