このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年5月14日月曜日

苦しみの共有

人生は、学びの場所です。
人は、学ばなければなりません。
人は、学びを通じて、初めて自分自身に気付き、それを改めることによって成長することが出来るのです。
成長するのは、人生を豊かなものにするためです。
人生は、自分に相応しく存在します。
どのような人生も、自分に相応しい形で存在するのです。
そのため、人生を豊かなものにするためには、それに相応しい自分であることが必要なのです。
多くの人は、分不相応な人生を望みます。
自分には、相応しくない高望みを持つのです。
高望みは悪いことではありませんが、分際を見極め、現状を知り、賢明な選択をすることの方が重要です。
残念ながら、人は望みよりも劣っています。
人は、自分で考えるよりも未熟な存在なのです。
未熟な存在であるが故(ゆえ)に学んでいます。
未熟な存在であるが故に、学びが必要なのです。
残念ながら、学びは優しくはありません。
それを楽しいとも思えないでしょう。
それは、あなたが未熟であり、それを優しいとも楽しいとも思うことが出来ないからです。
人は、未熟さから、学びを苦しいと感じます。
あなたは、学びが苦しいものだと理解しなければならないのです。
多くの人は、苦しみを嫌います。
それは、苦しみが学びであることを知らないからです。
多くの人は、優しさや楽しみを好み、それに追従(ついじゅう)するのです。
自分にとって優しく、楽しいことは、重要な学びではありません。
なぜなら、あなたは既にそれを”知っている”からです。
それを知っているために、優しく、楽しく感じるのです。
知らないものは優しくはありません。
それに、楽しくも感じないものなのです。
知らないものは難しく、また厳(きび)しくも感じるでしょう。
それは、苦しみとして認識されるのです。
重要なのは、未知を体験することです。
未知の体験には、多くの可能性が存在します。
しかしながら、既知(きち)の体験には、可能性を見出すことは出来ません。
そこには慣れが存在し、感動は薄れるのです。
苦しみには、慣れが存在しません。
慣れていないからこそ苦しいのです。
苦しみは、感動を教えてくれます。
苦しみの力によって、人は感動を理解することが出来るのです。
苦しみの助力によって、人は成長を実現します。
人は、苦しみを受けなければなりません。
残念ながら、人生が学びの場所であり、その目的が成長であるために、苦しみを避けることは出来ません。
あなたは必ず苦しみます。
しかしながら、独りで苦しむのではありません。
あなたは、独りで苦しむことは出来ないのです。
人は、苦しみを分け合わなければなりません。
残念ながら、あなたが独りで苦しむことは不可能です。
あなたは、誰かと苦しみを共有しなければならないのです。
苦しみとは学びです。
学びは、誰かとの間に生じるのです。
あなたが苦しむ時、それを分け合う他者も苦しみます。
立場が異なるように、苦しみの形は異なりますが、同じように苦しむのです。
独りで苦しんでいると思い込んではなりません。
誰もが苦しんでいるのです。
苦しみに対して気を落とさず、その本質が学びであり、成長の助力であることを覚えておきましょう。
抱えている苦しみは、独りのものではないということを忘れてはなりません。
苦しみを大切に扱い、その意図を汲(く)み取りましょう。
そうすれば、苦しみは今までのように、ただ苦しいものではなくなるのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿