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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年5月23日水曜日

生きることの先

人生は、何のために存在しているのでしょうか?
あなたは、人生について考えたことがありますか?
すべての人が、一度は人生について考えます。
しかしながら、多くの人はその問いを手放してしまうのです。
それは、考えることが難しいからです。
多くの人にとって、考えることは容易ではありません。
それは、多くの人が普段から考えてはいないからです。
多くの人は、従うことを選択します。
誰かや何かに命じられるままに動くのです。
それは、楽だからです。
命令に従って生きることは、何も考える必要がありません。
次の行動は、次の命令を待てば良いからです。
何も考える必要がなくても、次の命令が与えられます。
それは、とても楽な生き方なのです。
しかしながら、楽な生き方を選択したとしても、人生が豊かになることはありません。
残念ながら、楽な生き方を選択すれば、人生は乏しくなるのです。
命令に従う生き方は、人生の可能性を損なってしまうのです。
多くの人はそのことを知らずに生きているのです。
人生の理由を知るためには、人生の可能性を広げる必要があります。
人生の可能性が乏しい状態では、人生の理由を知るための余裕はありません。
人生の可能性が乏しい状態では、人は生きることに集中してしまうのです。
残念ながら、生きることは人生の理由ではありません。
なぜなら、生きることは当たり前のことだからです。
人生の理由は、生きることの先に存在しているものなのです。
そのため、人生の可能性が乏しい状態では、人は生きることの先を考えることは出来ません。
人生の可能性が乏しい状態では、その日を生きるのに精一杯なのです。
そのような状態では、人生の理由を知ることは出来ません。
生きることは、決して難しいことではありません。
なぜなら、あなたは既に生きているからです。
大切なのは、既に生きているのに、生きようとしないことです。
生きる先を考える必要があるのです。
しかしながら、考えることは難しく、多くの人が挫折(ざせつ)します。
人生が豊かであるのも、乏しくあるのも、それは、あなたの責任です。
誰かや何かによって、あなたの人生の状態が決められている訳ではありません。
すべては内から生じるのです。
人生という結果は、あなたという原因から生じているのです。
多くの人が、すべては内から生じたことを忘れています。
そのため、人生を誰かや何かに委(ゆだ)ねるのです。
命令に従うのも、誰かや何かに責任転嫁(せきにんてんか)するのも、人生を自分以外の存在に委ねていることなのです。
多くの人は考えることが嫌いです。
そのため、内から生じた人生の原因を外に探すのです。
大切なのは、内を考えることです。
考えるということは、内省(ないせい)するということです。
あなたは、内を考えなければなりません。
内を考えれば、人生の理由も見えてくるでしょう。
しかしながら、外を探すのであれば、決して人生の理由は見付けられないのです。
あなたは、人生の理由を考えなければなりません。
それは、人生について内省するということなのです。
あなたは、何のために生まれたのでしょう?
あなたは、考えなければなりません。
既に生きているのに、生きることを考えてはなりません。
生きることの先に、どう生きるか?を考えましょう。

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