人生は、自由に選択することが許されています。
あなたは、自分の思うように選択することが出来るのです。
あなたは、人生を自分の思うように選択しましょう。
しかしながら、人生を自由に選択することは許されても、自分の好きなように生きることは出来ません。
なぜなら、選択には必ず責任が付いて回るからです。
責任とは、因果の報(むく)いです。
すべての人は、因果の報いを受けなければならないのです。
原因とは、自分自身の選択です。
結果とは、目の前に導かれる状況です。
あなたは、自らの選択によって、目の前に導かれる状況を選択しているのです。
しかしながら、自らの選択によって、目の前にどのような状況が導かれるかを知ることは出来ません。
残念ながら、人生は予想を裏切るのです。
あなたは、自らに最適な学びを得ます。
自らにとっての最善は、あなたには分からないことなのです。
それは、核心を突くためです。
人生は、あなたを成長させるための場所なのです。
すべては、あなたを成長させるために働くのです。
あなたを成長させる一番の近道は、本質を認識させることです。
本質を改めることによって、人は成長することが出来るのです。
しかしながら、核心を突くこともなく、本質を改めることもなければ、あなたが成長を実現することは出来ないのです。
人は弱い存在です。
その心は、常に安泰(あんたい)を求めます。
心は、危険が引き起こされないように努めます。
心にとっての危険とは、核心を突かれることです。
偽りによって懸命に覆い隠している本質が暴かれることを、心は危険と判断するのです。
それは、心の状態が不安定になるからです。
心は、不安定になることによって、危機を得ます。
それは、心にとっては悪いことなのです。
そのため、心は安泰を求めるのです。
一見すると、心が安泰なのは良いことのように思えます。
しかしながら、そこには弊害(へいがい)も存在しているのです。
それは、安泰によって苦しみを忘れてしまうことです。
苦しみを忘れることを喜ぶ人がいますが、苦しみを安易に喜ぶ訳にはいかないのです。
なぜなら、苦しみは、謙虚さを思い出させてくれるからです。
苦しみによって、人は謙虚でいられるのです。
安泰によって苦しみを忘れてしまえば、謙虚さを忘れてしまうことになります。
謙虚さを失えば、豊かさは破滅するのです。
人生を豊かなものにするためには、驕(おご)らず、自惚(うぬぼ)れないことです。
あなたが謙虚であれば、豊かさが破滅することはありません。
あなたが謙虚であるためには、苦しみが必要なのです。
人の心は、優秀には作られていません。
人の心には、必ず欠陥(けっかん)が存在しているのです。
それは、高ぶりかも知れませんし、傲慢(ごうまん)かも知れません。
そのため、多くの人は苦しみを嫌います。
苦しみを嫌い、気楽を選択するのです。
人生に気楽を選択することは、選択によって許されています。
しかしながら、人生を気楽に生きていると、いつの間にかに苦しみを忘れてしまいます。
そのため、人生を気楽に生きている者には、成長が乏しいのです。
人生を苦しみながらも生きている者には、成長が実現するということを覚えておかなければならないのです。
どのような人物も、目の前に導かれる状況からは逃れることができません。
それは、自らの選択した因果なのです。
あなたには、導かれる状況を経験するという報いが与えられるのです。
それがどのような報いであろうとも、あなたは懸命に学びましょう。
それが、あなたにとっての最善です。
気楽さによって苦しみを忘れてはなりません。
苦しみを忘れることによって謙虚さを忘れてはなりません。
誰も、豊かさを手放したくはないのです。
”海老で鯛を釣る”という言葉があります。
餌(えさ)である海老をいつまでも大切にしているのであれば、いつまでも鯛を釣り上げることは出来ません。
苦しみという海老を大切に扱い、豊かさという鯛を釣り上げましょう。
豊かさを得るのに、苦しみを忘れてはなりません。
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