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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年5月17日木曜日

最悪は最善

人生は、思い通りには展開しません。
人生は、予想に反して展開します。
それは、人生の方があなたよりも最善を知っているからです。
人生には、常に最善が導かれています。
人生に、最悪が導かれることはありません。
"残念ながら"、導かれるすべての状況が最善であるのです。
しかしながら、あなたには、理解することが出来ません。
それは、あなたが未熟に生まれ、未熟を生きているからです。
未熟なあなたには、何が最善なのかを理解することが出来ないのです。
そのため、最善を最悪だと思い込みます。
そして、最悪を最善だと思い込んでしまうのです。
多くの人は、誤解を抱えています。
しかしながら、多くの人は、自分が誤解を抱えていることを知らず、寧(むし)ろ自分が正しいと思っているのです。
そのために、判断を誤ります。
判断を誤れば、人の心は苦しみを見出してしまうのです。
多くの人が人生に苦しんでいます。
それは、判断を誤っているからです。
判断を誤ることがなければ、人生に苦しみを見出すことはなく、どのような状況も学びとして前向きに受け入れることが出来るのです。
残念ながら、多くの人は、目の前の状況を学びとして前向きに受け入れることが出来ません。
多くの人は、その苦しみのために、目の前の状況を災難だと思い込んでしまうのです。
そこには、否定や拒絶が導かれるのです。
目の前の学びを否定したり、拒絶するのであれば、そこから得られる大切な気付きを得ることが出来ません。
学ばなければ、気付きを得ることは出来ないのです。
あなたが気付きを得ることは重要です。
それは、気付きを得ることによって、自分の成長を促(うなが)し、成長した自分によって人生を豊かなものにすることが出来るからです。
人生は、自分に相応しく展開します。
それは、あなたの思い通りの展開ではないのです。
あなたに相応しい展開は、あなたの考え付くようなものではありません。
なぜなら、あなたは自分を知らないからです。
誰も、自分の現状を理解してはいないのです。
そのため、人生に刃向かうことは得策ではありません。
人生に抗議したところで、あなたの最善には変わりがないのです。
あなたの最善は、人生が現状を通じて教えています。
あなたに求められているのは、人生が導いた最善を受け入れることなのです。
残念ながら、あなたには目の前の状況を最善だとは思えません。
他により良いものがあると思って探し回るでしょう。
しかしながら、どこを探しても、現状よりも優れた学びは存在してはいないのです。
それがどのように思える現状であったとしても、それを受け入れなければなりません。
最善を受け入れることが出来なければ、最善を学ぶことは出来ないのです。
あなたにとっての最善とは、あなたにとって決して楽なものではありません。
寧ろ、あなたにとっては苦しみであるのです。
多くの人は、そのことを理解することが出来ずに、暗中を模索(もさく)しているのです。
受け入れることで、最悪と思える現状は最善へと好転します。
その苦しみは、決して最悪などではありません。
あなたが未熟であるために、見誤っているだけなのです。
"雨降って地固まる"という言葉があるのです。
悪いと思えることは良く、良いと思えることは悪いということを覚えておきましょう。
あなたは、自分が未熟であることを知らなければなりません。
そして、それを忘れてはならないのです。
目の前の苦しみは、あなたの歩みの抵抗となるでしょう。
未熟な者は抵抗など無い方が良いと思うのです。
向かい風が吹かなければ、歩みは軽やかです。
しかしながら、向かい風によって足腰は鍛(きた)えられ、険しい道を歩んでいくことが出来るのです。
足腰の軟弱な者は、なだらかな道を歩んでいくことは出来ますが、道が険しくなれば、それ以上に歩みを進めることが出来ないのです。
苦しみとしての向かい風が、結果としてあなたの助けと成るのです。
多くの人が、道が険しく成ることを知りません。
成長する程に、道は険しく成るのが自然なのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
目の前の苦しみを苦しみと考えてはなりません。
直接的に判断してはなりません。
人生には"裏"があるということを知らなければなりません。
それは、深い意味があるということなのです。
安易に判断してはなりません。
無駄に思えることや、苦しくて投げ出したく成るように思えることも、そのままの意味で解釈してはなりません。
最善を最悪として、最悪を最善としましょう。
そうすれば、あなたが道を踏み違えることはないでしょう。

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