すべての人は、自分を学んでいます。
人は、人生において、自分を学んでいるのです。
人生におけるすべての経験は、自分を知るためのものです。
あなたはどこで、誰と、何をしていても、常に自分を学んでいるのです。
すべての経験は、自分を理解するためのものです。
あなたは常に、自分を見せられているのです。
あなたは常に、自分を通じて人生を経験しています。
自分を通じてのみ、人生を体験することが出来るのです。
自分を介(かい)することなく、人生を経験することは出来ません。
それは、人生には、自分しか存在していないからです。
自分以外の存在は、自分を学ばせるための幻想に過ぎません。
あなたは、その環境に自分を見ます。
その相手に自分を見ます。
その行為に自分を見るのです。
すべては自分です。
自分以外の存在も自分であるということなのです。
しかしながら、多くの人は、自分以外の存在が存在すると思い込んでいます。
すべては、自分を通じた存在です。
”それ”は、自分であるということを覚えておきましょう。
あなたは、誰かや何かを学んでいる訳ではありません。
あなたは、誰かや何かを通じて自分を学んでいるのです。
人生には、あなた以外には存在しません。
すべての存在から自分を学びましょう。
学ぶことによって、あなたは自分という存在を高めることが出来ます。
あなたは、学ぶことによって、自分という存在の本質に近付くのです。
それは、大きな原石から小さな宝石を削り出すようなものなのです。
原石とは、余計が付属した自分です。
それは、自分ではあっても、輝きを放ちません。
宝石とは、必要な自分です。
それは、本質的な自分であって、輝きを放ちます。
原石よりも、宝石の方が価値を見出されます。
原石よりも、宝石の方が役に立つことが出来るのです。
自分を学ぶということは、余計を削り落とすということなのです。
人は、多くの余計を抱えています。
それは、本質的ではない考え方や価値観や生き方などです。
本質的ではないというのは、自分らしくないということです。
自分らしいとは、分際に相応しいということです。
分際に相応しいとは、貢献(こうけん)するということなのです。
この世界においては、役に立つものに価値があります。
酸素は、酸素であるために価値があります。
水は、水であるために価値があるのです。
火は火であり、土は土であり、鉄は鉄であるために価値が認められています。
人は、自分であることによって価値が見出されるのです。
人が自分でなければ、残念ながら、何かの役に立つことが出来ません。
役に立つことがない者に価値を見出す人はいないのです。
どのような人物であろうとも、必ず役に立ちます。
そして、必ず価値があるのです。
しかしながら、役に立つ状態でなければなりません。
切れない鋏(はさみ)や長さの分からない定規(じょうぎ)、曲がった釘や書けない筆・・・
役に立たない道具には価値がないのです。
役に立たない道具は、投げ捨てられてしまうでしょう。
あなたは、自分を学ばなければなりません。
そして、自分を磨くのです。
役に立つ道具として、存在しなければなりません。
道具には、位(くらい)があります。
あなたは、自分に位があるということを知りましょう。
成長する程に、位は高まります。
それは、より役に立つ自分に成るということなのです。
あなたは人生から自分を学び、より良い存在と成りましょう。
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